世界の左ウイング歴代ベスト20(2)

【16位】ブライアン・ロイ(オランダ)=右利き

 アヤックスがチャンピオンズリーグ(CL)で1994−95シーズン優勝、1995−96シーズン準優勝に輝いた当時の左ウイングはマルク・オーフェルマルスだが、ブライアン・ロイはその一時代前の左ウイングになる。

 オランダ代表として1994年アメリカW杯で活躍。グループリーグ最終戦のモロッコ戦は終盤まで1−1で、このまま終わればグループリーグ敗退の可能性があった。その苦境を救う決勝ゴールを挙げたのがロイ。この大会の準々決勝ブラジル対オランダは、W杯史に刻まれる名勝負とされるが、このロイのゴールがなければ拝めなかった一戦になる。

 オランダからイタリアに渡ったのは1992−93シーズン。前シーズン、セリエAに昇格するや9位と健闘したフォッジャに入団。チームを率いるズデネク・ゼーマンは攻撃的サッカーの信奉者で、布陣も当時のイタリアにあっては珍しいウイングつきの4−3−3を採用した。アヤックス時代、同型のスタイルで戦ってきたロイにとって相性のいいチームだった。

 ロイがゼーマンサッカーの象徴として活躍したのは当然の帰結で、4−4−2のサイドハーフはあってもウイングの文化がなかった当時のセリエAにおいて、ロイのウイングプレーは異彩を放った。滑らかな推進力のあるドリブル。得点力も備えていた。

 ロイはその後、ノッティンガム・フォレスト、ヘルタ・ベルリンなどでプレーしたが、ハイライトはフォッジャ時代になる。弱小チームだったフォッジャが、攻撃的サッカーを旗印に掲げて躍進する姿と、左ウイング、ロイのドリブルは重なって見える。

【15位】ハリー・キューウェル(オーストラリア)=左利き

 2006年ドイツW杯で日本と対戦したオーストラリア代表の、最近では珍しい左利きの左ウイング。2004−05シーズンにはリバプールの一員として、CLの優勝メンバーになっているが、この頃のキューウェルは調子が下降気味だった。ドイツW杯はイタリア戦(決勝トーナメント1回戦)を欠場。ミランとイスタンブールで戦ったCL決勝も前半の途中、故障で退いている。キューウェルは語り草となっているミランを下した大逆転劇には加わっていない。

【クライフ時代の名ウイング】

 リバプール時代より、2000−01シーズンのCLで準決勝まで進んだリーズ時代のほうが魅力的に映った。CFを務めた同じオーストラリア人のマーク・ビドゥカとともにチームを牽引。まさしく快進撃の立役者となった。

 キープ力、さらには精度の高いキックに優れた左ウイングで、リーズ、オーストラリア代表で背負った10番がよく似合う、中盤的なセンスも兼ね備えた左ウイングだった。

【14位】ロブ・レンセンブリンク(オランダ)=左利き

 1974年西ドイツW杯と1978年アルゼンチンW杯で活躍したオランダ代表選手だが、現役生活を長く送ったクラブはアヤックスやフェイエノールトではなく、隣国ベルギーのアンデルレヒトだったという異色選手。均整の取れた優男タイプである。プレーぶりもスマートで、パッと見、ヨハン・クライフに似ていなくもない。年齢は両者同じだ。

 クライフが参加しなかった1978年アルゼンチン大会では中心選手として活躍。決勝戦を前にレンセンブリンクは左ウイングながら、ペルーのテオフィロ・クビジャスと並び5得点を挙げ、得点王争いのトップに立っていた。

 開催国アルゼンチンと対戦したその決勝戦でも、1−1で迎えた後半終了間際という土壇場で、ポストに当てるシュートを放っている。それが入っていれば優勝はオランダで、得点王もレンセンブリンクの頭上に輝いていた。だが、優勝を飾ったのは延長戦で2ゴールを挙げたアルゼンチン。得点王の座も、決勝戦で2ゴールを挙げ、合計6ゴールとしたアルゼンチンの10番、マリオ・ケンペスにさらわれた。

【13位】キリ・ゴンサレス(アルゼンチン)=左利き

 1999−2000シーズンと2000−01シーズン、バレンシアの一員としてCL決勝に2年連続で出場した。監督のエクトール・クーペルが採用した布陣は中盤フラット型の4−4−2で、キリ・ゴンサレスはその左サイドハーフとして活躍した。右のガイカス・メンディエタとともに織りなすサイド攻撃こそがチーム最大の売りだった。


バレンシアで活躍したアルゼンチン代表キリ・ゴンサレス

【日本語を喋るオランダ代表】

 見かけは強引なタイプに見えるキリ・ゴンサレスだが、コンビネーションプレーが得意で、バレンシアではイタリア代表SBアメデオ・カルボーニとの連係で、左サイドを支配した。レアル・マドリードに0−3で完敗した1999−2000シーズンのCL決勝は、そのカルボーニが累積警告で欠場したことが痛手となった。

 アルゼンチン代表としては2002年日韓共催W杯に出場している。1998年フランスW杯(初戦で日本代表と対戦)は、監督のダニエル・パサレラが守備的サッカーの信奉者で、5バックで戦う布陣だったため選考外となったが、マルセロ・ビエルサのもと、攻撃的な3−4−3で臨んだ2002年W杯は左ウイング、あるいはその1列下でプレーした。

 ビエルサとは相性がよく、その2年後に行なわれたアテネ五輪にもオーバーエイジ枠で出場。ここでは3−4−3の4の左で出場。左ウイング、セサール・デルガドとダブルウイングのような格好で、左サイドを制圧した。チームは金メダル。グループリーグ落ちした2002年W杯の借りを返した。

【12位】ボウデヴィン・ゼンデン(オランダ)=左利き

 左利きの左ウイング。出身はPSVで、1997年オランダの年間最優秀若手選手に選ばれると、PSV→バルサという当時の出世の黄金ルートを歩んだ。174センチと小柄だが、がっちりとした体型でドリブルもパワフルだった。バルサでプレーする一流選手ともなれば近寄りがたい存在となるものだが、ゼンデンは常にニコニコと陽気で笑顔を振りまくフレンドリーなタイプだった。

 ある時、向こうから、こちらが日本人であると見るや「コンニチワ」と話しかけてきた。「どうして日本語?」と尋ねれば、「オランダでずっと柔道を習っていたんだ。カトウ先生という日本人の柔道家から」「黒帯だよ」と、ポーズ入りで胸を張った。腰の落とし方、股の開き方、DFと対峙する姿勢など、確かに身のこなしは柔道的で、全体的に親近感を抱かせるウイング選手だった。

【11位】クライブ・ウッズ(イングランド)=左利き

 1970年代を中心にイプスウィッチ・タウンなどで活躍した左利きの左ウイング。対峙する右SBを独得のステップで、縦にかわす切れ味鋭いフェイントを十八番としていた。左足と右足の体重移動で相手SBの逆をとるクライブ・ウッズのフェイントは、筆者を含む当時の「ダイヤモンドサッカー」の視聴者には衝撃的で、一世を風靡することになった。

 利き足に違いはあるが、三笘薫のフェイントと基本的には同じ原理だ。飄々としたプレーぶりも似ている。だが三笘ほどのスピード感はなく、文字どおりタイミングのズレだけを狙う技巧派だった。それだけに、まさに対面の右SBを欺くような切れ味鋭い必殺フェイントに、テレビ画面越しながら惚れ惚れさせられたものだ。
(つづく)