世界の左ウイング歴代ベスト20(1)

 左利きの割合は日本人でおよそ9人に1人、世界的には10人に1人と言われる。サッカーで言えば両軍スタメンに各1人の割合だ。右利きの使用する足の部位は右足のインサイドがメインになるので、スティックを使うホッケーがそうであるように"反時計回り"の展開になりやすい。右からのサイド攻撃を本能的とすれば、左からのサイド攻撃は意図的だ。計画性が求められる。

 主役は左ウイング。左ウイングの活躍度は大きな差となって現れる。その差で試合が決まるといっても言い過ぎではない。

 だがウイングは必ずしも常時、存在するわけではない。布陣史をたどると、世界的には1990年代から2000年代前半がウイングの空白期に当たる。日本ではもっと長期に及んだ。

 カズこと三浦知良はブラジル時代、左ウイングとして名を高め、ブラジル全国選手権後に行なわれた記者のポジション別の投票で3位になった。1980年代末の話だが、その実績をひっさげて帰国したが、当時の読売クラブにはウイングというポジション、概念さえ存在しなかった。日本代表しかり。その結果、ウイングからストライカーに転身することになったその顛末を、当時、実際に見聞きしてきた筆者には、昨今、三笘薫の活躍で注目を浴びることになった左ウイングが特別な感慨深いポジションに見える。日本サッカー史の特殊性を表すポジションだと言える。

 日本の歴代の選手で頭をよぎるのは、1964年メキシコ五輪でCF釜本邦茂とともに活躍した杉山隆一、三浦カズ、そして三笘薫の3人程度だ。さらに絞り出しても平野孝ぐらいに限られる。60年間でこの数である。欠乏ぶりが目立つ。前置きが長くなったが、歴代の左ウイングについて語るなら海外のほうが楽しそうだ。というわけでここでは、筆者の記憶に残る往年の名左ウイング20人をピックアップしてみた。

【20位】ロベルト・リベリーノ(ブラジル)=左利き

 1970年メキシコW杯の優勝メンバー。史上最強とも言われたこのブラジル代表で、右ウイングのジャイルジーニョが躍動感溢れるドリブラータイプだったのに対し、リベリーノは左足キックを最大の武器とする強シューターとして鳴らした。シュートが強烈なのでキックフェイントもよく効いた。語り草となるプレーは1974年西ドイツW杯の対東ドイツ戦で見せた直接FKで、壁の間にできた僅かな隙間を射貫いた強烈な一撃になる。

【その登場がドイツ代表を復活させた】


現在はグールニク・ザブジェ(ポーランド)に所属するルーカス・ポドルスキ

【19位】エデル(ブラジル)=左利き

 1970年W杯のチームを最強に推す声が多いブラジル代表だが、1982年ブラジル代表も捨てがたい魅力を誇る。脚光はソクラテス、ジーコ、ファルカン、トニーニョ・セレーゾの4人がボックス型の中盤を構成する"黄金のカルテット"に集まった。フランスの四銃士(ミシェル・プラティニ、ジャン・ティガナ、アラン・ジレス、ベルナール・ジャンジニ)とともに、その後の日本サッカー史に大きな影響を与えた。これを機に日本には中盤全盛の時代が到来した。

 4人がボックス型に構える4バックと言えば、通常、FWは2トップの編成だ。1トップ+1トップ下の関係もあるが、この時のブラジルは1トップ(セルジーニョ)+左ウイング(エデル)という変則型だった。エデルは2トップの一角というより左ウイング然と構えたのだ。長髪を靡かせる細身の左利き。強シュートが自慢だった。

 セビージャのラモン・サンチェス・ピスファンで行なわれた1982年スペインW杯開幕戦。優勝候補のブラジルはソ連相手に苦戦した。先制点を奪われ、なんとか同点に追いついたものの、終了3分前まで試合は1−1で推移。そこで飛び出したのがエデルの一撃だった。30メートル強のロングシュートを電光石火、矢のごとく突き刺した。

 ブラジルサッカー史をたどると、その年代年代に左利きの強シューターが存在する。先述のリベリーノ以下、ブランコ、ロベルト・カルロスと枚挙にいとまがないが、エデルもその系譜に加えることができるひとりになる。

【18位】ゴードン・ヒル(イングランド)=右利き

 1975−76シーズンからマンチェスター・ユナイテッドで3シーズンプレーした左ウイング。低迷していた成績は、ゴードン・ヒル、さらには右ウイングにスティーブ・コッペル(右利き)が座ると急上昇。小兵の両ウイングがドリブルでライン際を駆け上がる姿に目は釘づけになった。

 イングランドのたいていのスタジアムがそうであるように、オールド・トラッフォードには客席とピッチを隔てるフェンスがない。広告フェンスも当時はなかった。さらにピッチの中央部がこんもりと盛り上がるかまぼこ形であることも手伝い、映像にも写真にもドリブルするボールの背後に観衆の顔が写り込んでいた。こちらの目に眩しく映った理由だ。

 ゴードン・ヒルは右利きの左ウイングなので、カットインしても見せ場を作り数多くのゴールを挙げた。イングランド代表としてもプレーしたが、移籍した先のダービー・カウンティ時代に見舞われたケガの影響で、全盛期は1歳年上のスティーブ・コッペルより短かった。

【17位】ルーカス・ポドルスキ(ドイツ)=左利き

 左利きの左ウイング。切れ込んでシュートというプレーが望みにくいにもかかわらず、ドイツ代表選手として通算49ゴールを挙げている。角度のないところから放つ左足の強シュートが印象に強く残る。

 3バックの時代が続いたドイツ代表にウイングが復活したのは、代表監督がルディ・フェラーからユルゲン・クリンスマンに代わったタイミングで、ポドルスキはその4−2−3−1の左ウイングでプレーした。フェラー監督時代に成績は低迷したが(ユーロ2004でグループリーグ敗退)、2006年自国開催のW杯で3位になると、ユーロ2008(準優勝)、2010年南アフリカW杯(3位)、ユーロ2012(3位)と、その後も好成績を維持した。

 左ウイングとしてその間、スタメンを張り続けたポドルスキとドイツの好成績は密接な関係にあった。ドイツは2014年ブラジルW杯でついに優勝を飾ったものの、ポドルスキの出場時間は短かった。スタメンではなくなっていた。ドイツの栄光の影にポドルスキあり。ドイツのサッカーを好転させた左ウイングとして記憶に留めたい。
(つづく)