日本では6割の夫婦が陥ると言われるセックスレス。「突然、体が動かなくなるなんてことが自分の身に起きるなんて…」と語るのは、結婚22年目の主婦・優子さん(仮名・48歳)。家計を支えるために20年ぶりに働きに出た職場でパワハラと大人のいじめに悩み、適応障害を発症。完全セックスレスに陥った現在の心境を取材しました。

医師から「1か月仕事を休んでください」と言われ、夫とはセックスレスに

20年ぶりに復帰した保育士の仕事現場で、同僚のA子から大人のいじめを受けた46歳の私。

働き始めてすぐにはじまった無視や嫌がらせ。半年を過ぎた頃には、保育園のスタッフどころか、子どもや保護者たちにもA子からのいじめ被害に遭っていることが知れ渡るほどにまでエスカレートしていました。なにがいけなかったのか、休憩時間に同僚から言われたのは意外な答えでした。

●私が嫌われた原因は女の嫉妬?

私やA子と同じ2歳児クラスを受け持っている同僚が、「じつはね…」と話し始めました。
「優子先生、子どもたちからすごく人気じゃない。入ってすぐに保護者の人から『優子先生が大好きって子どもが家で言ってるんです』っていう評判が立て続いていたの。A子先生は、今までそういうこと言われたことないんだよね。彼女は仕事が雑だし、言い方もきついし、保護者からクレームがきたりすることはあっても、逆はなくて。だから、優子先生のことを保護者がほめていたときにすごく怖い顔をしていて…。そういう部分の嫉妬があったのかもしれない。あとは優子先生とA子先生は年齢も近いけれど、ライフスタイルがぜんぜん逆でしょ。独身の一人暮らしのA子先生からしたら、家族がいる優子先生が普通の話をしているだけで、気に入らない部分があったのかもしれないわ」

私自身は知らないことばかりでした。A子の保護者からの評判も、独身の一人暮らしであるということも。仕事もがんばればがんばるほど彼女の気に障り、「家族のために働きに出てきた」という復帰の理由など、雑談のなかで話した普通の家族の話さえ、自慢のようにとらえられてしまっていた可能性を指摘されたのです。

胸の奥が急にざわついてきました。

●家族全員を扶養に入れて必死だった

とても働きにくい職場ではあったけれど、家計がひっ迫する状況は続き、試用期間を終えてから3か月ほど、家族全員を扶養に入れて私が大黒柱となって働き続けました。

その間に夫の転職も決まり、あと2週間がんばったら仕事の量を減らせる、ようやく少し肩の荷が下りる、そう思っていた矢先に、ついに限界が…。

●心の底にしまいこんでいた本音を口にしたら…

その日はA子の機嫌が朝から悪く、子どもたちの前でも大きな声で怒り出したり、ものに当たったりするような状況でした。さすがの私も「いい加減にしてください」と直接注意をしました。

すると「え? 私がわざとやってるっていうの? ひどくない?」と言い出すA子。すぐに上司である事務長が飛んできて「A子先生は悪気ないのよ、ちょっとコミュ障なところがあるだけで」と間に入ってきました。私はつい「悪意ありますよね? わざとやってますよ」と毅然と対応。

けれどその瞬間、ずっと心の奥底にしまい込んできた本音を明確に口に出してしまったことで、今まで私がされてきたこともこの人の悪意だったんだ、わざとだったんだと、自分の心に大きな衝撃として突き刺さったのです。震えが止まらなくなりました。

●医師から適応障害の診断が出される

事務長がびっくりして「大丈夫? 今日は帰っていいから、ゆっくり休んで」と言ってきました。もう心も体もズタズタ。今日帰って休めばなんとかなるというレベルじゃないことは自分ですぐに感じ、病院へ行こうとしたのですが、心療内科はどこも予約1か月待ち。

受診できる病院すらなく途方に暮れていたところ、ひとつだけ内科ながらメンタルも診られるという先生がいるクリニックにたどり着くことができました。そこで下された診断は「適応障害」。
医師から「仕事は1か月休んでください」と言われました。家族みんなを扶養に入れてがんばっている自負もあったので、あと2週間だけがんばれば仕事時間を減らせたのに、もうちょっとだったのに、という悔しい気持ちがこみ上げてきました。

しかし、実際のところ止まらない手の震えを見つめながら、この状態で子どもたちを抱っこしたり手を繋いだりするのは無理だなと感じ、あきらめがつきました。

●適応障害を患ってから夫と完全セックスレスに…

夫に病院へ行ってきた話や会社を休むことになったと伝えました。心配してないわけじゃなさそうなのですが、「そっか、適応障害なんだ。ゆっくりしてね」とまるで他人事。なにをしてほしいというわけじゃないのですが、どこまでもドライな雰囲気でした。
ただ家事はできる人だったので、この日から食事づくりや洗濯、掃除なども全部夫がまるっと引き受けてくれたことには感謝しています。子どもたちもすでに高校生になっていて、手がかからない年頃だったのもよかったです。

私は自分自身の心と体の回復だけに専念することができたわけですが、この日を境に夫とは完全なレスになってしまいました。どうすればいいのか思い悩む日々が続く、そのお話はまた次回したいと思います。