エッセイスト・作家としてはもちろん、インタビュアー、俳優としても活躍中の阿川佐和子さん。3月1日には食にまつわるエッセイ集『母の味、だいたい伝授』(新潮社刊)を上梓されました。

 阿川佐和子さんの“だいたい”料理で暮らしが楽しくなる理由

今回は69歳になった現在も第一線で活躍される阿川さんにスペシャルインタビュー。著書に込められた想いや料理と家族の思い出など、貴重なお話をたっぷり伺いました。

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●母がつくるものって思っていたけれど…

――まずは、新刊『母の味、だいたい伝授』についてお伺いしたいのですが、タイトルに込められた想いを伺ってもよろしいでしょうか。

阿川佐和子さん(以下阿川):小さい頃から母の手伝いはしていたけれど、主体的に母の得意料理を1人でつくったことはそんなになかったし、ひとり暮らしのときにまねしてつくってみても、やっぱり母の味とは違うものになることが多かったんですよね。

なかでもいちばん未練があるのは「クリームコロッケ」。これはカニじゃなく、ひき肉とタマネギを炒めて、ホワイトソースを別につくっておいて、それを和えて冷蔵庫に入れて固めて、タワラ状にして粉、卵、パン粉をつけて揚げるというものでした。

大好きな料理だったんだけど、ちょっと難しいんですよ。生地がかたすぎるとおいしくないし、やわらかすぎると揚げたときに爆発しちゃう。だからこれはもう母がつくるものって思っていたのですが、母がボケ始めてちゃんと指導を受けておけばよかったなと後悔したんですよね。

本にも書きましたけど、「母さんちょっとつくってみようよ」って言ったら、「私は興味ない」って言われちゃった。母はどういう風につくってたか、そんなに律儀に決めていたかどうかもわからないけど、ちゃんとは伝授されてないなと思って、母の料理ノートも見つからないままだし、だいたいの記憶でつくるしかないか、と。それで、タイトルは「だいたい伝授」ってことになりました。

――お母さまとの思い出も料理と重なっていますか?

阿川:本当に四六時中、母は台所に立ってなにかつくらされてましたからね。私も、自分の部屋にこもると、手伝えって父に怒られるけど、台所にいると怒られないし、母に愚痴を言ったりする場所でもありました。

台所は私のシェルターだったから、そこで手伝っている限りは平和を保てるっていうんですかね。そういう意味では、母と料理をしてた時間は長かったかもしれないですね。

●朝昼晩と3食つくるのは本当に大変!

――著書には阿川さんが食材選びからの料理工程も書かれていますが、冷蔵庫からさまざまな食材が出てくる描写は「冷蔵庫」の大冒険という感じがしてとてもワクワクしました。

阿川:コロナ禍のステイホーム期間中に書いたエッセイなので、冷蔵庫にあるものでなんだかんだと料理をしたエピソードが多くなりました。「これは化学の実験の本ですな」なんて言った人がいたくらい。あと、「あなたの冷蔵庫信仰はいきすぎです」なんて言葉も(笑)。

「冷蔵庫に入れておけば安全ってことはないですよ」って。冷蔵庫に入れてもカビは生えますもんね。でもあら、カビだ、なんて言いながら食べちゃったりして。実験ですね、食べても大丈夫かの…実験(笑)。

――阿川さんは台所仕事をめんどうだと感じることはないのでしょうか?

阿川:めんどくさいとは思いますよ。コロナの前は仕事で忙しいから毎食つくっていたわけじゃないですし、つくりはするけれども、週に2回、多いときは3回くらい外食をしたり、朝はつくっても昼はつくらないしね。

「サワコの朝」や「週刊文春」の連載、テレビ・ラジオ出演、親の介護があって忙しかったときには、夕方帰ってきて晩ご飯つくるときに、さすがに「もうキレた! もう無理―!」ってヒステリー起こしたこともありました。

それが緊急事態宣言の間は朝昼晩とつくったでしょ。それもひとり暮らしならいざ知らず、夫がいるっていうことになると、ね。1人ならつくるのめんどくさいと思ったら、自分が我慢したり、なにかつまむだけでもいい。もうちょっと食べようかな? っていうときも、「一品でいいや」ってなりますよね。

でもやっぱり夫がいると一品じゃ悪いと思うし、お肉とサラダとスープとかみそ汁とか、それから前菜と酒のつまみ…って考えると、トータル7〜8品ぐらい並べることになるから、それはめんどうですよ。

――7品はすごいですね! それだけつくるのは大変じゃないですか…?

阿川:それは、「今日食べないと腐るから早く食べなきゃ」とか私自身の都合もあるというか。そんな事情もあると7〜8品になるんですけど、よく見るとどれも立派な料理ではないんです。そういうわけで、私は本当に主婦の皆さまというか、普段から3食つくっている人を尊敬し直しました。

●つくることよりも「献立」づくりが大変だった

――お話を伺っていると料理をつくることよりも、“献立”をつくる方が大変だったのかと感じたのですが、いかがでしょうか?

阿川:そう、献立が辛かった。寝てても、献立のことがよぎるんですよね。(食材の)あれがあるから別のものと組み合わせて…昨日出したものをなんとか加工して…こっちの野菜は早く使った方がいいから…みたいな。なんとかどうにかしようとか、うなりながら考えてました。

朝ごはんのときに夫に「晩御飯なににする?」って聞いても、「今おなかいっぱいだから考えられない」、「好きなもんで、簡単でいいよ」とか「少なくていいんだよ」とか言われるのよね。言葉は優しいんだけど、じゃあつくってくれるってわけじゃないですから、ねえ…。

――そういった日常の会話で、意見が合わなくてギスギスすることはなかったのでしょうか?

阿川:ありますよ。でも、笑いの方向にするのが好きっていうのはあるわね。この怒りは、他人から見たら笑いにしかならないっていう。大抵のことはそうですよ。だれかが怒ってるのは、横で見てる人間にはコメディにしか見えないじゃない? なりふり構わず怒っている人見てるとおかしいじゃない。

夫は、私が怒ってると「また文句ばっか」とか言って、フラッといなくなるんです。私も我ながら、父に似ている人間でイヤになっちゃう。父と似た人とは結婚できなかったと思います。

●旅行先でもついつい食材を買っちゃう!

――現在とご実家でお父さまに対してお料理をつくっていたときとでは違いますか?

阿川:父はもっと厳しかったですから。食事のために1日があるっていう人でした。でも、それは私が全責任取っていたわけじゃなくて、母の助手としていたわけだから、大したことはなかったんです。

とはいえ、それこそ、朝起きてご飯を食べているときに、父から「おい佐和子、今日は何時に帰ってくる? 5時ぐらいか? よし、今日はなにかうまいものをつくってくれ」って言われるんですから、プレッシャーですよ。

だから、私が部活なんかで遅れて帰ってくるっていうのは不愉快なんです。さっさと帰ってきて母親の手伝いをしろ、俺にうまいものを食わせろ、と。なにが部活だ! ってなもんでしたね。

家を出てひとり暮らしになった頃は料理から解放されましたけど。だけど、私自身も食べることは好きなので、たとえば辛い原稿が終わったあとは、「よし、今日晩ご飯なに食べようかな?」とか考えます。原稿が上がってなにがうれしいって、スーパーに買い物に行けることなのよね。それで、つい買いすぎたりして腐らせるんですけどね(笑)。

――スーパーでの買い物が阿川さんにとっての喜びなんですね。

阿川:お魚ならあそことか、お肉ならあそことか、トラックで来てるお魚屋さんが昔はいたので、よく通ってたんだけど、どこ行っちゃったのかな? とかね。野菜はあそこ安いから行こう、とかそんな風に考えて巡ってます。

外国に旅行しても、ブランド街を歩くときは大して興奮しないんですが、市場に行った途端に生き生きしちゃうのよね。まだ外国にいるのに、やっぱり見ちゃうと生鮮食品が買いたくなるんですよ。買ってもしょうがないのにね(笑)。

市場で両方の手にカゴをぶら下げて、この肉買いたいとか、このハム買いたいとか、どんどん盛り上がってしまう。どこへ行っても、まずは市場に行きたい。それくらい食材の買い物は好きですね。

 

食への好奇心や探求心を笑顔で語ってくださった阿川さん。そのこだわりは、『母の味、だいたい伝授』でも多く書かれています。5月14日公開予定の中編では、阿川さんのアイデア料理の秘密やおうちごはんが好きな理由などお伺いしました! こちらの記事もぜひお楽しみに。