ジャニーズ性加害報道、最初は「1965年」 雑誌や書籍の追及はなぜ見過ごされたか
今年(2023年)BBCが火をつけたジャニーズ事務所の創業者、故ジャニー喜多川氏(享年87)による「性加害」問題。1990年代からジャニー喜多川氏による性加害問題を報じてきた『週刊文春』がこれに続き、元ジャニーズJr.のカウアン・オカモト氏が開いた記者会見は、NHKや朝日新聞など大手メディアも取り上げる展開になった。
BBCや『週刊文春』の報道、カウアン氏の証言によれば、ジャニー喜多川氏は事務所の多くの未成年男子たちに対して性加害を続けてきたという。衝撃的な内容だが、「昔から言われていたことなので、今更驚くこともないというか…」(30代のジャニーズファン)などと特段の驚きもなく受け止める人たちがいる。
その人たちがいう「昔から言われていた」噂とは何なのか。調べてみると、雑誌や書籍では1965年から報じられるようになり、さらには国会でも審議されるなど、事実を検証するチャンスは幾度となくあったのだ。何が報じられ、そしてなぜ見過ごされてきたのだろうか。
●「昔から言われていた」噂とは?
ファンたちが「昔から言われていた」という話の出処は、昭和から平成初頭にあった雑誌報道や元所属タレントらの告発本とみられる。
雑誌専門図書館の「大宅壮一文庫」で検索したところ、最初の報道は1965年の『週刊サンケイ』(3月29日号・産経新聞出版局)だった。
「“ジャニーズ”売り出しのかげに」と題されたこの記事は、ジャニー氏の“みだらな行為”をめぐる、ある裁判を報じたものだ。アマチュア時代のジャニーズタレント(後に「ジャニーズ」としてデビュー)がダンスなどを習っていた芸能学校が、ジャニー氏に授業料や損害賠償などの支払いを求めた裁判である。
記事によれば、裁判で学校の代表は、生徒から「ジャニー氏が、変なことをしたんです」と、“みだらな行為”について聞いたと証言。同誌の取材に対して、当時はまだ米国大使館の事務職員でもあったジャニー氏は次のように反論したという。
〈「ボクがいったいなにをしたというんです。あんまり失礼だ。そんなことをいわれては、ボクとしても覚悟がある」 と、すわって話していたのが、顔を蒼白にして突然立ち上がった。 「それについては、ほかにいうことはありません」〉
この裁判の続報は2年後、『女性自身』(1967年9月25日号・光文社)が「ジャニーズをめぐる“同性愛”裁判 東京地裁法廷で暴露された4人のプライバシー」というタイトルで4ページにわたって詳報した。
法廷に入廷するタレントの写真を掲載するところに時代を感じる記事だ(現在は裁判所内での写真撮影は禁止)。原告の代表側はタレントたちから学校内で聞いた話をもとにしているが、法廷でタレントたちは“いかがわしい行為”については、「おぼえてません」などと否定している。
その後10数年は、雑誌で“みだらな行為”“いかがわしい行為”疑惑は報じられなかったようだ。
1981年になって久々に扱ったのが『週刊現代』(1981年4月30日・講談社)で、「たのきんトリオで大当たり 喜多川姉弟の異能」という記事で、ジャニー氏に体を触られたという匿名の元タレント証言に触れる。
また後に度々、取り上げるようになる『噂の真相』が初めて「ホモの館」として、寮(合宿所)のグラビアを掲載したのが1983年11月号のことだった。
この時期までは、匿名での証言を中心に、どの記事も踏み込んで疑惑を書いてはいたが、同じテーマを後追いするライバル誌もなく、一誌が書いてもさざ波のように消えていくのだった。
●実名で性被害告白、元「フォーリーブス」北公次氏
その後、風向きが変わるのは1988年のこと。この年、ジャニーズグループ「フォーリーブス」(1967年結成、1978年解散)のメンバーだった北公次氏が『元フォーリーブス北公次の禁断の半生記』(データハウス)を出版したことが大きな契機となる。北氏はこの本の中で、ジャニー氏から自身が受けた性被害を赤裸々に綴った。
これを受け、出版から1年ほどは『アサヒ芸能』、『週刊文春』(文藝春秋)、『FOCUS』(新潮社)、『週刊大衆』(双葉社)、『微笑』(祥伝社)などにて、北氏や匿名の元タレントらの証言が掲載された。
その1つ、『微笑』(1988年12月17日号)は「『光GENJIへ』事務所の先輩 北公次が忠告! 俺が陥ちた同性愛の罠」とのタイトルで記事を掲載し、この中で北氏は次のように出版について語っている。
〈「お世話になった事務所の社長を責めるってつもりはないんです。ただ、このことをさけては自分の人生は語れないのだと…… 本当のことだからしようがない……と」〉
『元フォーリーブス北公次の禁断の半生記』を出版したデータハウスでは翌89年にも『ジャニーズの逆襲』などジャニーズ関連本を何冊か出版している。一連の出版当時、どんな反響があったのだろうか。データハウス鵜野義嗣代表は次のように振り返る。
「古い話なので正確にはわかりませんが、多いもので10万部、ジャニーズに関連したものは他にも何冊か出しましたが、延べで20、30万部くらいだったでしょうか。当時も取り上げてくれたのは『FOCUS』や『微笑』『噂の真相』くらいで、テレビが扱ってくれた記憶はないですね。出版を決めたのは、雑誌記者さんからの持ち込みがきっかけでした」
データハウスによれば、一連の関連本に対して、ジャニーズ事務所からの反応はなかったというが、売れ行きが渋ってきたこともあり、関連本は以後、出版していない。それに代わるかのように、今度は元ジャニーズJr.らによる書籍やムックを今に至るまで継続して発行する出版社が現れる。月刊誌『紙の爆弾』で知られる鹿砦社だ。
同社は『ジャニーズのすべて』(平本淳也、1996年、全3巻)、『二丁目のジャニーズ』(原吾一、1996年、全3巻』、『ひとりぼっちの旅立ち』(豊川誕、1997年)、『SMAPへ そしてすべてのジャニーズタレントへ』(木山将吾、2005年)など元ジャニーズJr.らの告発本やスキャンダル本を多数出版していく。事務所設立50周年に際しては、事務所さえも出していない『ジャニーズ50年史』をもまとめ上梓している。
鹿砦社の松岡利康社長は「平本さんの本は何冊か出しましたが、多いもので3万部ほど、シリーズ化した『ジャニーズおっかけマップ』は毎年更新し、累計40万部くらいになりました」という。
ちなみに平本さんの作品では性加害の実態についても、赤裸々に語られている。最初に原稿を読んだ感想については「この問題のパイオニアはデータハウスさんで、北公次氏の作品も読んでいましたから、ああやっぱりと思いました。ただ出版後もテレビの反応はなかったですね」(同)
同社は『ジャニーズおっかけマップ・スペシャル』の出版などをめぐり、ジャニーズ事務所側と計3つの裁判を抱えることになる。いずれも敗訴するが「敗北における勝利」だと松岡社長は考えている。
●1999年に始まった『週刊文春』のキャンペーン報道
元所属タレントらが実名、顔出しで証言したインパクトは大きかったはずだが、テレビや出版業界全体を巻き込んだ大きなうねりとはならなかったようだ。
元ジャニーズJr.の木山将吾さんは著書『SMAPへ 』(鹿砦社)の中でその無念さをこう著した。
〈僕らが書いた告発本も4、5冊にのぼって、何度か週刊誌の取材も受けてきたが、僕たちがテレビで取り上げられることも、ジャニーのホモセクハラが話題になったり、社会的制裁が与えられるようなこともなかった〉
〈告発以降、ジャニーズとの戦いは、まるで象に噛み付く蟻のようなもので、僕たちは己の非力さ、ジャニー氏の悪のパワーの蔓延を思い知らされるばかりだった〉
「一部の雑誌は決して報じていなかったわけではなかったんです。ただネットもない時代、テレビで取り上げられなかったら、広く世に知らしめることはできなかった。1号だけでは、それで終わってしまいますから。その意味で、『週刊文春』が毎週掲載するというキャンペーンをやり、同誌が与えたインパクトは大きかったと思います」(鹿砦社の松岡社長)
それが14週連続で大々的に報じた『週刊文春』のキャンペーン報道だ。1999年10月から、複数の元所属タレントらの証言をもとに性加害を含めた様々な疑惑を掲載し反響を呼び、国会でも審議されることになった。2000年4月、第147回国会の衆議院「青少年問題に関する特別委員会」にて、自民党の阪上善秀衆院議員(当時)がこの問題を取り上げたのだ。
しかし、捜査に進むなどの進展もなく、ジャニーズ事務所らが『週刊文春』の記事を名誉毀損だと訴えた裁判で、東京高裁が性加害の事実を認定しても、大メディアは黙殺に近い扱いだった。事務所に対して事実関係の調査などを求める社会的な機運も高まらなかったのである。
●なぜ「噂」は見過ごされてきたのか
こうして振り返ると、どれだけ広がったかは別にして、雑誌や書籍での告発は長く続けられてきた。しかし鹿砦社の松岡社長が指摘するように、インターネットがない時代、テレビが報じなければ情報が広がる対象や期間にも限界があったはずだ。
カウアン・オカモト氏はFCCJの記者会見で、こうした疑惑については把握していなかったと語っている。テレビ報道などで事実を知っていたら「多分(ジャニーズ事務所に入ることは)なかった」とも会見で明かした。
北氏の告発本でうっすら知っている人であっても、その後20年、30年と詳細に記憶していた人も少ないだろう。「噂として知っていた」という人たちでも、口伝えの情報では断片的で、告発本に書かれたような少年に対する性加害の詳細は知らずにいるのではないか。告白本には、若干11歳で被害にあったと明かす人もいた。
ある総合週刊誌のベテラン記者は「決してジャニーズ事務所に対する忖度で採り上げなかったというわけではなく、ニュースバリューを感じなかったから。社会も、芸能界の性の問題を“性加害”としてではなく、“枕営業”として被害を軽く見ていた面はあるはずだ」と振り返る。
被害にあったのが男性であったこと、男性から男性に対するものであったことなど、社会がこの問題をタブー視してきた側面も否定できないだろう。
鹿砦社の松岡社長は、悔しさをにじませて語る。
「1999年に始まった『週刊文春』の連載の後に、『週刊女性』が一時期、報じていましたが、そのほかの雑誌は全くと言っていいほど扱いませんでした。今であれば未成年性虐待、性犯罪だと社会的にも厳しく断罪されるでしょうが、当時はまだ少年愛の嗜好を持つ人物のホモセクハラぐらいに軽視されていたのかもしれない。ジャニー氏、メリーさんが生きている間にこの問題について社会が、特にマスメディアがもっと論じるべきでした。その点は非常に残念です」
「もうそのまま忘れ去られてしまうのかと思っていた」という松岡社長だが、希望もあるという。
「今回、BBCのドキュメントに触発されたとはいえ、NHKや朝日新聞の若い記者が動き、NHKは短時間ながら放映し、朝日は社説で採り上げました。これまでになかったことです。今後、NHKや朝日がここまでで止まるか、発信を続けるか、見守りたいと思います」
当事者が亡くなっているため、全容の解明には限界もあるだろう。それでも今こそ、長年にわたって放置してきた多くの被害の訴えに、社会が向き合う必要があるはずだ。