「日本人パートの1.5倍は働いてくれる」外国人労働者に手取り24万円を支払う淡路島の農業法人の言い分
※本稿は、澤田晃宏『外国人まかせ』(サイゾー)の一部を再編集したものです。
■「会社が大きくなれたのは、実習生のおかげです」
古代から平安時代にかけて、皇室や朝廷に食材を納めてきた“御食国(みけつくに)”淡路島。
その南端に位置する南あわじ市志知北(しちきた)に農業法人「アイ・エス・フーズ」がある。
淡路島はたまねぎの産地として有名だが、同社は青ネギを専作する。年間を通した周年栽培で、南あわじ市と徳島県内に計17.5ヘクタールの圃場(ほじょう)を持ち、4回転の生産を実施する。
青ネギに特化した法人としては全国トップクラスの作付け面積を誇る。
同社は2021年、優れた農業者を表彰する国の「全国優良経営体表彰経営改善部門」で、農林水産大臣賞に輝いた。
淡路島と徳島県のほか、香川県、高知県、愛媛県にも生産拠点を持ち、年間を通して安定供給できる体制を整えていること、また、後継者不在の農地を積極的に活用し、耕作放棄地の発生を未然に防いでいることなどが評価された。
創業者で、取締役会長の酒井惠司(62歳)はこう話す。
「ここまで会社が大きくなれたのは、実習生のおかげです」
電気部品メーカーの営業マンだった酒井が生まれ故郷の南あわじ市に戻ったのは、30代に入ってからだ。
しばらくは、電気関係の仕事に就いたが、「投資が少なく、何か始められる商売がないか」を考えた。両親は農業を営んでおり、畑もあり、トラクターなどの農業機械は一通り揃っている。
酒井は2014年、農業法人「アイ・エス・フーズ」を創業した。
■実習生採用後、会社は急成長
当初は淡路島の名産であるたまねぎの生産も考えたが、「後発でたまねぎをやっても難しいとアドバイスを受け、ある知り合いの青果店さんから『淡路島にネギはないのか?』と聞かれたのが、ネギの生産を始めたきっかけです。ラーメンやうどんなどの外食需要が膨れるなか、加工用の青ネギに大きな需要があったんです」
ネギの収穫は手作業だ。腰をかがめ、鎌を使っての収穫は重労働だ。機械で収穫すると、少し倒れたネギもなぎ倒してしまい、収量が落ちてしまう。
実習生の採用を始めたのは2014年だ。酒井はこう振り返る。
「監理費を払ってまで外国人の実習生を雇うことに、最初は抵抗がありました。だけど、パート労働者も高齢化し、まったく人が集まらない」
そして、こう続けた。
「実習生の仕事ぶりを見ると、日本人の40代、50代のパートの1.5倍は働くし、途中で辞めたりしない」
当初、2名だった実習生だが、2021年2月時点で13名のベトナム人(うち2名は特定技能に移行)が働く。実習生採用後、会社は急成長し、年商は5億円を超えた。
「会社が大きくなったのは実習生のおかげ。恩返ししたい」
そんな思いから、酒井は帰国する実習生に、声をかける。
「ベトナムでネギを作らないか?」
種を送り、収穫したネギは酒井が買い取る。そうして、ベトナムに戻って日本にいたときと同程度の収入を確保できるようにしている。
コロナ下でプロジェクトが止まっているが、ベトナムに会社を作り、日本で実習を終えた実習生が働く場を生み出すことを考えている。
■手取り額24万円のベトナム人
アイ・エス・フーズで働くグエン・ティ・トゥイ(33歳)は、2017年7月に来日。その後3年間の技能実習を終え、特定技能に移行した。給料が2万5000円上がり、手取りは24万円程度ある。
実習生時代は寮の相部屋だったが、今は1人部屋になった。
トゥイの両親は農家。高校卒業後、残業代が多くて人気のあったベトナム・バクニン省にあるサムスン電子の工場で働いた。
3年ほど働き、母の農家を手伝うようになった。
「ベトナムの農家は稼げない。実習で日本に行った友人の話を聞いて、私も日本で働きたいと思うようになりました」
職業紹介料や日本語教育費、そのほか、書類の手続き費用なども含め約100万円を送り出し機関に払う必要があったが、ベトナムの政府系銀行の1つで、地方都市にも大きく展開するアグリバンク(ベトナム農業・農村開発銀行)からお金を借りた。実習生、御用達の銀行だ。
「労働力輸出」を国策とするベトナム。送り出し機関に所属することを示す書類と、日本企業との労働契約書があれば、お金は借りられる。
土地や車を担保にする必要はあるが、そもそも車を保有している家庭は少なく、土地を担保とすることが大半だ。
■USJにも連れていってくれた
トゥイは日本で働き始め、毎月最低10万円は送金し、約1年半で返済を終えたという。
お金を貯めて「家を建てる」のが夢だったが、新しい夢もできた。
「ベトナムに帰って、日本で学んだネギを作りたい。ベトナムでもネギはありますが、日本のネギのように甘くなく、辛い。会社の人はみんな優しくて、コロナ前はユニバーサル・スタジオ・ジャパンに連れて行ってくれたり、コロナ後も花見のシーズンは桜の名所に連れて行ってくれたり、とても感謝しています。ベトナムでネギを作り、帰国してからもアイ・エス・フーズと仕事をしたいです」
■「劣悪な環境でこき使われている」はごく一部
メディアのイメージから、実習生と言えば劣悪な環境でこき使われているというイメージを持つ人が多いが、大半はこうして海外から出稼ぎに来る外国人に感謝し、彼らの労働環境や待遇の改善に努めている。
背景には、若手の労働者確保を実習生に頼らざるを得ない農業の深刻な高齢化がある。
日本の食料自給率はカロリーベースで38%(2021年)と低く、品目別にみればウクライナ有事で国際的にその値が高騰している小麦などは17%だ。種や肥料も輸入頼りである上、何より生産者がいない。
2021年時点で主に農業に従事する「基幹的農業従事者」の平均年齢は67.9歳。
そのうち、65歳以上が約7割を占める。基幹的農業従事者は約123万人(2022年)いるが、新規就農者は年間約5万4000人(2020年)にすぎない。
若手の労働力は、外国人に頼りっきりだ。
■コロナで深刻な人手不足に
2021年8月、筆者は長野県の川上村に足を運んだ。
日本最長河川・信濃川のうち長野県を流れる千曲川の源流地域にある、国内有数の高原野菜の産地だ。
人口約4300人の小さな村で、コロナ前の2019年度には最多1002人の外国人が農業に従事した。コロナ下で出入国に制限がかかり、村は深刻な人手不足に陥った。
2021年9月、標高1185メートルに位置する川上村役場で、由井(ゆい)明彦(はるひこ)村長(74歳)を訪ねた。
自らもレタス農家だったという由井は、こう話した。
「朝に収穫したものと、太陽が昇ってから収穫したものでは、みずみずしさも違い、味も変わります。山岳部は寒暖差が大きく、結球しやすいため、川上村の主要作物であるレタスや白菜、キャベツなどの葉物野菜には適しているのです」
■「とてもよく働き、元気だ」と評判
レタス農家の朝は早い。例年、収穫のピークを迎える6〜9月は、早ければ未明から照明をつけ、収穫作業が始まるという。
国勢調査(2015年)によれば、外国籍の人口割合が市町村別で全国1位の川上村だが、外国人労働者の受け入れは2003年にさかのぼる。
技能実習制度は1993年に創設されたが、当時はまだ「技能実習生」という在留資格はなく、「研修生」としての受け入れだった。
由井はこう振り返る。
「2003年当時は、日本人アルバイトで収穫期の人手不足を補っていましたが、技能実習制度を活用し、中国からの研修生を村として4人受け入れました。農業での受け入れは、川上村が日本で最も早かったと思います。
日本人に比べ、中国人研修生は農家から『とてもよく働き、元気だ』と評判がよく、我も我もと、受け入れ開始から5年目には559人まで増えました」
機械化が難しい葉物野菜の収穫は重労働で、日本人アルバイトの定着率が悪い。
地元農家は重労働を惜しまない外国人の採用に切り替え、2019年には川上村で農業に従事する外国人が1000人を超えた。
中国の経済発展などの影響で、外国人の主体が中国からベトナムなどの国に変わる変化はあったが、村にとって外国人は欠かせない存在になった。
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澤田 晃宏(さわだ・あきひろ)
ジャーナリスト
1981年生まれ。兵庫県神戸市出身。高校中退後、建設現場作業員、アダルト誌編集者、『週刊SPA!』(扶桑社)編集者、『AERA』(朝日新聞出版)記者などを経て、進路多様校向け進路情報誌『高卒進路』記者、同誌発行元ハリアー研究所取締役社長、NPO法人進路指導代表理事。著書に『ルポ技能実習生』(ちくま新書)、『東京を捨てる コロナ移住のリアル』(中公新書ラクレ)などがある。
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(ジャーナリスト 澤田 晃宏)