「ねぇ、遊びに付き合って」美人タクシードライバーが、乗客の男性に頼んだコトとは
東京…特に港区は、ウソにあふれた街。
そんな港区を走る、すこし変わったタクシーがある。
ハンドルを握るのは、まさかの元・港区女子。美しい顔とスタイル。艶のある髪。なめらかな肌…。
乗客は皆、その美貌に驚き、運転席の彼女に声をかける。
けれど、彼女と話すには、ひとつルールがあった。
「せめて乗車中はウソ禁止です」
乗客たちは、隠れた本音に気づかされていく――。
▶前回：「本当のことを教えて…」結婚式を控えた元カレと再会。女は“禁断の質問”をしてしまい…
麻布十番〜恵比寿 井川優吾（31歳）を乗せて
23時47分の鳥居坂下交差点。
ハンドルを握っている舞香は、たったいま拾ったばかりの、スーツ姿の男性客に話しかけられた。
「どこかでお会いしたことがありませんか？」
似たことを言われることは、よくあった。運転手の舞香が若い女性だと気づいた男性客が口にする、ナンパの常套句だ。
しかし、この夜はナンパとは違った。
舞香はその男性に、本当に会ったことがあったのだ。このタクシーの車内で。
バックミラー越しに確認したその男性客は、かつて西新宿まで乗せた“つまらない男”井川優吾だった。
「ああ、一度お乗せしましたよね」
そういえばあのときも鳥居坂下交差点でこの男性を拾ったな、と思い出す。
「ご無沙汰しています。また柊さんのタクシーに乗れて嬉しいです。でもよく僕のこと覚えていましたね」
タクシードライバーになって4年。
これまで多くの客を乗せてきたが、一度乗せた客の顔は覚えていることが多かった。
舞香は、これはドライバーの職業病かと思っていたが、他のドライバーはそうでもないという。
「ちゃんと覚えててくれるなんて、すごいです。タクシードライバーって仕事は、柊さんにとって天職なのかもしれないですね」
褒められた舞香は、ただ微笑んだ。感謝の言葉は、言わなかった。言えなかった。
「今でも『車内での会話はウソ禁止』ってルールでやってるんですか？」
優吾は、無邪気に尋ねてくる。
「やっています。でも今日で最後です」
「えっ？」
優吾から笑みが消えた。
「今日でタクシードライバーを辞めるんです」
「今日で辞めるって…どうしてですか？」
「タクシードライバーになったのは、会いたい人がいたからなんです。ドライバーをしていたら、いつかその人を拾えると思っていたんです。
そして実際に会うことができた。だから、もう辞めるんです」
「…もしかしてそれって、柊さんが港区女子だったときに、失恋した相手ですか？」
舞香はうなずく。
「そっか…」
詳しい説明を求められると思った。しかし優吾は、何かを察したように押し黙る。
暗闇坂をのぼりきり仙台坂上に到達したところで、優吾は口を開く。
「何と言っていいかわかりませんが、残念です…。というのも柊さんには感謝してるんです。
あのとき柊さんと話すことで、自分がつまらない人間になっていたと気づかせてもらいました。あの夜から自分は変わることができたんです。
仕事も変わってないし、恋人ができたわけでもありません。変わったことといえば、1つ年を取ったことと、西新宿から恵比寿に引っ越したぐらいで…」
ここまで言うと、優吾は、笑顔になった。
「でも毎日が楽しいんです。昔なら『つまらない』と途中で帰っていたような飲み会も、なんだか楽しいんです。
それも全部、柊さんのおかげだと思っています。だからいつか再会することができたら…柊さんのタクシーに乗ることができたら、お礼を言おうと思っていました。
ずっと『ありがとうございます』って言いたかったんです。柊さん、ありがとうございます」
タクシーは有栖川公園を通過し、広尾駅前に辿り着いた。
優吾のまっすぐな言葉が、素直に嬉しかった。
「こちらこそ、ありがとうございます」
舞香は赤信号のタイミングで、斜め後ろを見て頭を下げる。
「これまでいろんなお客様に『車内ではウソは言わない』なんてルールを押しつけて、時にはアドバイスしていたことを、実は、申し訳なく思っていたんです。
会いたかった人には会えましたが、でも思い描いていた再会とは、ぜんぜん違うものになってしまって。自分が情けなくて…。
『私はそんなに偉い人間じゃなかった』って思っていたところなんです。だから、嬉しいです」
信号が青になり、タクシーを走らせる。すると優吾は、明るい口調でこう告げた。
「この際ですから、僕も偉そうにアドバイスさせてもらいます。柊さん、タクシードライバーを続けたら、どうでしょうか？
港区ばかりを走っていると聞きましたけど…たとえば港区を離れて、違う場所で、とか…」
「それは私も考えました」
舞香は答える。
「でもケジメとして辞めることにしました。
ドライバーになった当初から『もし会いたい人に会えたら辞める』って決めていたんです。たとえその再会が、思い描いていたハッピーエンドだったとしても、辞めるつもりでした」
「そうですか…」
優吾は切り替えるように大きく息を吐く。
「わかりました。これ以上、説得したらダサいので、もうやめます」
余計な詮索をしなくなった優吾の姿を見て、たしかに以前に乗せたときとは人が変わったようだと、舞香は思った。
「でも…もし答えてくれたらでいいんですが、伺ってもいいですか？」
「どうぞ。ウソは禁止ですので、本音で答えますよ」
「タクシードライバーを辞めたら、次は何をやるんですか？」
舞香の口からフフッと笑みがこぼえる。
「それ、私も悩んでました。辞めると決めてから、次は何しようか考えて、ずっと決まっていなかったんですが…実はつい昨日、決めたんです」
「おおっ。それって何です？」
つまらない人間のやることだと思いながらも、舞香は質問を質問で返す。
「何だと思います？当ててみてください」
「え？」
「私のドライバーとしての最後の遊びに付き合ってください」
「…そういえば、初めて柊さんのタクシーに乗ったときも、同じようなことを言われましたね。僕、“遊び”って言葉に弱いんですよ」
優吾は笑う。
「じゃ、当ててみますね」
「んー、そうだなぁ…」
大袈裟に腕組みをして優吾は考える。
「起業するとか？」
あははっ、と舞香は声に出して笑う。
「もし本当に私が起業するなら、どんな会社だと思います？」
「そうですね…お悩み相談を受けるセラピストの会社、とか？」
言いながら優吾も笑った。
「さすがに、そんなワケないか」
「ええ。起業はしません。だって、ただの大学生が港区女子になって、その後、タクシードライバーですよ？起業できるような人生を歩んできてません」
「でも、もし本当にお悩み相談の会社を始めるなら、僕は通いますよ」
「ありがとうございます」
軽口の社交辞令だったとしても、舞香は嬉しかった。
タクシーは天現寺を左折し、恵比寿方面へ向かう。
「もうすぐ到着しちゃいます。答えを教えてください」
「わかりました」
舞香は軽く咳払いしてから言った。
「お気に入りのレストランがあるんです。そこのアシスタントマネージャーとして勤めることになりました」
かねてから、その店が人材を募集していることは知っていた。昨日に思い立ち、すぐに面接を受け、今日の昼に「採用」の連絡を貰ったばかりだった。
「最初はバイトですが、見習い期間が終われば正社員です」
「へえ〜、レストランですか！でも今の仕事とぜんぜん違いますね。どうして急に飲食業に？」
恵比寿橋入口の交差点でタクシーは停まる。優吾が指定した目的地だ。
会計を始める前に、舞香は答えた。
「考えてみたら私はずっと、男性を意識して、人生の選択をしてきた気がするんです。タクシードライバーも、会いたい男性と再会するためでしたし…。
でもレストランの仕事は違うんです。小さいときから、いつかレストランで働きたいって思っていたんです」
「そうなんですね」
優吾はにこやかに言った。
「本当の意味で、吹っ切れたんですね、その男の人のこと」
舞香はドキリとした。たしかにそうだ、と思う。
「…はい。そうなんだと思います」
「前にお話ししたように、僕にも忘れられない女性がいました。でも柊さんと話して吹っ切ることができたんですよ。
だからお互い、このままがんばりましょうね」
「ありがとうございます」
舞香が微笑むと、優吾も笑った。
「こちらこそ、ありがとうございます」
会計を済ませ、車から降りるときになって、優吾は言う。
「柊さんが働くことになるレストラン、どの店なのか聞いてみたい気がしますが、やめておきます。もしまた偶然再会することができたら、面白いと思うので」
舞香はひとしきり笑ってから頷く。
「そうですね。そうしましょう」
車外に出た優吾は会釈をして去っていった。
舞香は『会計』のランプを『空車』に切り替えると、サイドブレーキを外し、ギアをドライブに入れる。
「…」
だが走り出す前に、ランプを『回送』へと変えた。
時刻は、0時を回ろうとしている。
― この仕事を締めくくるには、今がベストタイミングだ。
優吾を“最後の客”にすると舞香は決めた。
長いようで短い4年間。
明日から、人生の新しい章が始まる。
タクシーを運転していると「最短距離を行かずに、あえて遠回りしたほうが、早く目的に到着することもある」と気づかされる。
それがわかっただけでも、舞香の4年には意味がある。
― さあ、行こう。
舞香はゆっくりとアクセルを踏みだした。
To be continued...
▶前回：「本当のことを教えて…」結婚式を控えた元カレと再会。女は“禁断の質問”をしてしまい…
▶1話目はこちら：港区女子を辞め、運転手に転職した美女。きっかけは？
