「何がまずかった？」彼女を初めて家に呼んだ翌日、女と音信不通に…。彼が犯した過ちとは
スマートウォッチが全盛の今、あえてアナログな高級時計を身につける男たちがいる。
世に言う、富裕層と呼ばれる高ステータスな男たちだ。
ときに権力を誇示するため、ときに資産性を見込んで、ときに芸術作品として、彼らは時計を愛でる。
ハイスペックな男にとって時計は、価値観や生き様を表す重要なアイテムなのだ。
この物語は、高級時計を持つ様々な男たちの人生譚である。
▶前回：「いつ結婚してくれるの！」同棲4年目の彼女からの最後通告。決断を迫られた男は…
Vol.11 公認会計士・優斗（33歳）が再会したマドンナ
「乾杯！」
優斗は、乾杯とともに上機嫌でヴーヴ・クリコを流し込んだ。
ザ・ペニンシュラ東京の被露宴会場で、早稲田大学の同級生同士で結婚した友人夫婦を眺める。
「学生時代のほうが、条件とか考えずに純粋な気持ちで相手と恋愛できていた気がする。
30代になると学生時代と同じ熱量では、恋愛できないよな」
「たしかにな。優斗は結婚早いタイプだと思っていたんだけどな〜」
久しぶりに再会した旧友・悟とグラスを片手に談笑をする。
優斗は、公認会計士として大手監査法人に勤務している。
順調に昇進し、仕事面は充実しているが、恋愛はいまいちだ。
特に、30代になってからは、学生時代のように本当に好きだと思える相手に出会えていない。
優斗は、さりげなく会場を見回すと、奥のテーブルで見覚えのある美女がシャンパンを飲む姿が目に留まった。
“近藤 真奈美”
彼女は大学のときフランス語のクラスが一緒で、何度か飲み会で話したことがある。
当時から大人びた雰囲気と美貌で学部内では注目の的だった。
美しい黒髪を綺麗にまとめ、はっきりとした目鼻立ち。上品なネイビーのドレスの上からでもわかるスタイルの良さが光る。
― 大学の頃も綺麗だったけど、より妖艶な雰囲気になったな。
優斗は真奈美をチラチラ見ていると、彼女はそれに気づいて優斗にニコッと笑いかけた。
彼女からの視線にドキドキしていると、悟がすかさず優斗に耳打ちをした。
「…おい優斗、近藤真奈美の“うわさ”って知ってる？」
「うわさって何？」
「実はさ…彼女…」
「彼女、学生時代から、得意の英語を生かして外国人の太〜い“パパ”に面倒みてもらっていたらしいよ。今は、外資系企業の社長秘書やってるんだって。
彼女と飲みに行くと、大抵の男はメロメロになるらしいよ。いわゆる“悪女”ってやつ。お前も気をつけろよ」
「…へぇ、そうなんだ」
優斗は、生返事で対応した。
学生時代から、彼女について耳にしたことのある情報といえば『パパがいる』『男をとっかえひっかえする』『単位のために教授に媚びている』などの品のよくないうわさだ。
嫉妬も入り混じったただのうわさ話だと思っていたが、いまだにそんなうわさがたつぐらい女として魅力的なのか、と優斗は感心した。
◆
披露宴が終了し、優斗は友人たちと丸の内の二次会会場へ向かった。
二次会ではバンドあり、お笑いありの、賑やかなパーティーだ。
― こういう学生ノリ疲れるな。
そう思いながら、一息つくために会場の外に出ると、偶然、化粧室から出てきた真奈美とすれ違い、呼び止められた。
「優斗くん？久しぶりだね。さっきの披露宴では話せなかったけど、私のこと覚えてる？」
「真奈美ちゃん、二次会も来てたんだ。久しぶりだね」
「私、なんかこの二次会のノリ疲れちゃった。優斗くんは？」
「わかるよ、俺も一息つきに来たんだ」
「……そう、よかったら2人で抜け出さない？」
優斗は真奈美からの思いもよらぬ誘いに、心が躍った。
このパーティーから抜け出したいという気持ちもあり「俺でいいなら」と誘いに乗ることにしたのだ。
『悟、ごめん、飲みすぎたから帰るわ』と友人にLINEをして、タクシーを拾った。
「愛宕グリーンヒルズまでお願いします」
優斗は、憧れていた真奈美とこの機会にゆっくり話したいと思い、気合を入れて夜景が見える店を急遽予約した。
◆
2人は愛宕にある『The BAR』に到着すると地上の喧騒から離れた、東京タワーがよく見えるソファ席に案内された。
夜景とピアノの生演奏がよりムードを盛り上げる。
ドリンクを注文して乾杯したものの、優斗は内心ドキドキしっぱなしで何を話せばよいのかわからない。そんな優斗の気持ちを知ってか知らずか、真奈美がぴったりと寄り添ってきた。
「さっきはいきなり誘っちゃってごめんね」
「助かったよ、俺も疲れていたし」
「ねぇ、気がついたんだけど、優斗くんのしてる時計、それゼニスでしょ？」
そう言って、真奈美は優斗の左腕を触る。
そして、真奈美はカバンの中からおもむろに、同じゼニスの「エル・プリメロ オープンハート」を取り出した。
「私も同じブランドの時計を持ってるんだ。きらびやかな宝飾時計よりも、こういう中身がしっかりしている時計が好きなの。今日はドレスに合わなくて外したけど」
優斗は奇しくも真奈美が同じ“ゼニス”という時計ブランドを着けているということに、親近感を持った。
ゼニスは、1865年に天才時計師と呼ばれた“ジョルジュ・ファーブル＝ジャコ”が創立したスイスの高級時計ブランド。
自社で時計づくりの工程を集約させる“マニファクチュール”にこだわっており、時計界で根強いファンがいるブランドだ。決して派手ではないが“中身重視”にはぴったりの時計。
有名な「エル・プリメロ」はムーブメントの名前でもあり、モデル名でもある。かつては、あのロレックスもこのムーブメントを採用しており、技術力も確かなブランドだ。
優斗の左腕に光る時計は「クロノマスター オープン」。文字盤の一部がスケルトンになっており、時計の心臓部が見える。銀座の時計店で、5年前にボーナスで購入したものだ。
― 彼女、俺と同じ、“ゼニス”を選ぶってことは、中身は案外と誠実なタイプなのかも。
優斗は派手なイメージのある真奈美が、優斗の価値観と同じ視点で“ゼニス”を選んだことに好感を持った。
「…ねぇ優斗君。私の良くないうわさ、いろいろと知ってるでしょう？」
優斗は真奈美の一言に「聞いたことないな」とうそを言う。
「私ね、大学時代から、“悪女”ってうわさされていたの。
学生時代に既婚者と付き合っていたからだと思う。当時の私は、今より純粋だったから、本気だったんだよね。
でも、4年付き合ったあと、あっさり捨てられた。
当時の私は純愛だと思い込んでいたけど、結局不倫してただけ。自分は最低だなって、心底反省したの」
真奈美は夜景を見みながら、悲しげな表情をした。
「同じ時計を選ぶなんて、優斗くんと私って気が合うのかもね。たしか学生時代も、好きなバンドもいっしょだったよね」
「そんなこと、よく覚えてるね」
優斗は、好きなものや価値観が似ている真奈美に対して“運命”を感じた。
「色々と大変だったんだね。俺は君のこと“悪女”なんて思ったことないよ。皆、魅力的な真奈美ちゃんが羨ましいんだよ」
優斗は、憧れだった真奈美の弱い部分を見て、心動かされていた。
すると、真奈美は、優斗の腕にそっと触れ、透き通るような瞳で見つめた。
「優斗くんて、優しいね…。ねぇ…今日は、もうちょっと一緒にいたいな」
優斗は積極的な真奈美にたじろぎつつも、急いで会計を済ませ、タクシーへ乗り込んだ。
新富町の1DKの優斗のマンションに着くと、この状況が夢なんじゃないか、とさえ感じた。
― あの“近藤 真奈美”が俺の家に。
「ふーん、素敵な部屋だね」
真奈美は、部屋を見回しソファに深く座った。眠そうな目でワインを飲む真奈美にドキドキしながら、優斗も横に座りいい雰囲気になる。
優斗の肩にしなだれかってきた彼女に、優斗は緊張しながらも、右手を真奈美の肩に回した。
優斗は、この状況に舞い上がってある一言を口にした。
「…よかったら俺と付き合ってみない？実は、学生の時からすごく気になってたんだ」
「私でいいの？嬉しい…」
優斗は真奈美の一言にうなずき、そのまま一夜を過ごした…。
◆
「おはよ」
優斗は、真奈美の甘い声で、目が覚めた。
真奈美はすでに身支度を整えてベッドサイドに座っている。
― 昨日の再会から、こんな関係に発展するとは。
優斗は憧れの真奈美が自分と同じ部屋にいる状況が、まだ信じられなかった。
「あ、朝ごはんでも食べに行こうか…」
優斗は、起き上がり真奈美を後ろからハグしながら言う。
「大丈夫、ゆっくり寝てて。私、今日は予定があって早く帰らなきゃの」
真奈美はそう言って、優斗にキスをした。
そして「あ、アプリで呼んだタクシーが来たみたい」とすぐに帰っていった。
優斗は、夢見心地のまま、再び眠りについた。
目覚めた後、真奈美に「無事帰れた？」とLINEで連絡をした。
「帰れたよ」と返事は来たものの、それ以降のメッセージは未読のまま既読になることはなかった。
― 俺の何がまずかったのだろうか。
優斗は、真奈美と音信不通になったことにショックをうけ、彼女のことを考える日々が続いた。
◆
半年後。
優斗は虎ノ門ヒルズでの打ち合わせの帰りに、真奈美と行った「The BAR」に立ち寄った。
「ウイスキーの山崎をロックでお願いします」
優斗はウイスキーを味わいながら、あの“悪女”と呼ばれた真奈美について思い出していた。
風のうわさによると、真奈美は20歳も年の離れた外国人の資産家の男と結婚し、パリへと引っ越したらしい。
― 俺、弄ばれただけのかな…。
優斗はふと、左腕に着けた“ゼニス”の文字盤を見る。スケルトン部分からは、精巧なマニファクチュールのムーブメントの心臓部が見える。
「一晩過ごしただけなのに、ここまで魅了されるとは。あの時計も本当は、男に買ってもらったのだろうか」
結局、真奈美の心中は謎のままだが、「これはこれでいいのかも」と優斗は真奈美の“悪女”と呼ばれる所以に妙に納得した。
優斗は、左腕のゼニスの時計を見ると、たぶんもう会うことはない真奈美を思い出すのだった。
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