「女同士でつるむのが、急につまらなくなった…」29歳女に訪れた変化とは
29歳―。
それは、節目の30歳を目前に控え、誰もが焦りや葛藤を抱く年齢だ。
仕事や恋愛、結婚など、決断しなければならない場面が増えるにもかかわらず、考えれば考えるほど正解がわからなくなる。
白黒つけられず、グレーの中を彷徨っている彼らが、覚悟を決めて1歩を踏み出すとき、一体何が起こるのか…。
◆これまでのあらすじ
戸田恵理は体型の崩れを感じ、スタイル改善のためにボクシングジムに入門する。そこで、イケメントレーナーの松山や、年下の練習生の神木と出会い、トレーニングを始めるが…。
ある美しさ【後編】
「だから先輩、カラダが引き締まってきたのかぁ」
恵理が、職場の後輩である若菜と梨沙にボクシングを始めたことを伝えると、納得したように言った。
「『先輩、最近すごくキレイだよね』って、2人で話してたんですよ」
恵理がジムに通い始めて1ヶ月が経つ。
トレーニングの様子を話すと、2人は興味深そうに聞いていた。
そこで、神木の試合について伝えたところ、「観に行きたい！」とのことで、会場である後楽園ホールに2人を連れて観戦しに来たのだ。
「先輩のお友だちの試合って、次ですよね？」
第1試合が終わり、神木の出場する第2試合に入ろうとしていた。
― なんか、緊張してきた。胸が苦しい…。
馴染みのない場所に来ているのもあるが、親しい友人が間もなく試合に臨むのかと思うと、抱いたことのない感情が湧きあがる。
「あ、この人イケメン！超タイプなんだけど」
「どれどれ？ええ〜、私はこっちだなぁ」
若菜と梨沙が、パンフレットに載った出場選手の写真を見ながら、場違いな会話を交わす。
恵理は呆れながらも、緊張を紛らわせるために能天気な会話に加わった。
「先輩の友だちの対戦相手、“デビュー戦”って書いてありますね。楽勝じゃないですか？」
「うん。でも、アマチュアで実績のある選手で、かなり強いみたい」
必死で練習に打ち込む神木の姿を見ているだけに、勝ってほしいと思うのだが…。
『両選手、リングに入場です』
場内にアナウンスが入る。
青いグローブをつけた神木が、恵理たちのすぐ脇を通ってリングに向かう。
気合の入ったいい表情を見せている。
― 頑張れ！神木くん！
恵理はその後ろ姿に、渾身のエールを送る。
試合終了後・・・
試合が終わり、恵理たちは会場を出ると、隣駅の飯田橋にある『Les Picolos（レ・ピコロ）』を訪れた。
そこで食事をしながら、話題が試合の内容に及ぶ。
「神木選手。残念でしたねぇ」
神木は善戦したものの、惜しくも判定で敗れてしまった。
前半は相手選手のテクニックに翻弄されていたが、後半にスタミナを切らしたところで、彼は攻勢に転じた。
逆転勝利を期待させ、どちらが勝ってもおかしくない接戦だったが、最後負けてしまった。
「ね〜。私は勝ったと思ったんだけどな…。残念」
冷静に観戦するつもりだったが、恵理は、気づくと必死で声援を送っていた。
「神木選手、泣いてましたね。男の人が泣いてるの、久しぶりに見ました」
若菜の言葉に、梨沙もうなずく。
恵理も、ずっとジムでの練習風景を見ていただけに、感情移入してしまい自然と涙があふれていた。
「顔もすごく腫れてましたね。血もいっぱい出てたし…」
「ホント、痛そうだった。なのに、なんでボクシングなんてするんだろう…」
2人の言うように、恵理も残酷なスポーツだと思った。
― でも、神木くん。カッコよかったな…。
負けてボロボロになっているはずなのに、恵理には輝いているように見えた。
「でもあの、試合中に指示とか出してた人。イケメンでしたね！」
「…ああ、松山さんのこと？」
トレーナーの松山は、神木のセコンドについてサポートをしていた。
リング上の2人のやり取りもまた、恵理の目には眩しく映った。
試合が終わり、涙を流す神木の背中を、松山が労るようにポンポンと叩いていた様子が、強く印象に残っている。
「先輩が言ってたイケメンのトレーナーって、あの人ですよね？」
「うん、そうだけど…」
「私、あの人すごくいいと思います。先輩、彼氏いないんですよね？狙っていいんじゃないですか？」
「え、ああ。そうかな…」
恵理は、今の自分の感情と、会話の内容に大きなギャップを感じた。
もっと話し合いたいテーマがあるが、頭のなかで漠然としか捉えられない。
とはいえ、自分の感情を伝えられたとしても、きっと共感は得られないだろうとジレンマを抱える。
すると、恵理のリアクションの悪さを勘違いしたのか、励ましの言葉をかけられる。
「先輩なら大丈夫ですよぉ。自信持ってください！」
「う、うん。ありがとう…」
― そういうことじゃないんだけどな…。
そのあと、目の前に座る2人は、ボクシングに関係のない恋愛トークで盛り上がっていた。
飲み会で知り合った医者に食事に誘われている。同僚が年収3,000万円の経営者と付き合っている。先輩と上司が不倫している…。
普段なら、恵理も興味深く耳を傾ける話題だ。
だが、今日はそんな気分にはなれなかった。
― なんでかなぁ…。すごくつまらない。
目の前の若菜と梨沙は、年齢も4つ下で25歳。まだ若く、溌剌としていて活力に満ちにあふれている。
恵理は、キラキラとした姿を羨ましく思い、彼女たちのような“肉体的な若さ”を取り戻すためにボクシングを始めたはずだった。
だが、今こうして一緒にいても、まるで魅力を感じないのだ。
むしろ、会話をしていても虚しく思えて仕方ない。
― 美しさ…って、なんなんだろう。
自分の求めている「美」の方向性が変化しつつあるのを感じながら、恵理はただ相づちを打つ。
◆
翌日、恵理はいつものようにトレーニングのためにジムに向かう。
そこで、松山に尋ねる。
「試合のあと、神木くん大丈夫でしたか？」
「まあ、多少ダメージはあるだろうけど、2〜3日もすれば回復してジムに顔出しに来ると思うよ」
「そっかぁ。よかった…」
デビュー以来3連敗となり、肉体的にも精神的にも大きなダメージがあるはずだが、深刻でないのなら幸いだと胸を撫でおろす。
「あの、松山さん…」
実は、恵理はある決意を抱いて、ジムに来ていた。
「女子にも、プロってあるんですよね…？」
「うん、あるけど…」
昨夜、家に帰ってからも試合の光景が頭から離れなかった。
神木の戦う姿も、試合後に対戦相手と健闘を讃え合う姿も、松山の敗者を気遣う姿も、リング上で繰り広げられたすべての出来事が眩しく映り、鮮烈に記憶に残っていた。
何もかもが輝いて見えたあの光景のなかにこそ、美しさの真髄があるのではないかと、恵理は思った。
そして、ひとつの決断をした。
「私、プロになりたいです」
「え、ライセンス取るってことだよね？そうなると、スパーリングとかもやることになるけど…」
「大丈夫です！やらせてください！」
恵理は、揺るぎない思いを伝えた。
◆
プロライセンス取得を目指し、恵理は本格的に練習するようになった。
今日も、同じくらいの体重の女子選手の胸を借り、3分2ラウンドのスパーリングを終える。
息も絶え絶えにリングを降りた恵理に、神木が声をかける。
「恵理さん。動きがすごく良くなってきましたね」
神木もジムに復帰し、初勝利に向けて再びトレーニングを始めていた。
恵理とともに、新たな目標を掲げて練習に励んでいる。
「ええ、本当？ありがとう…」
何度かスパーリングをこなすうちに、ようやくボクサーらしい動きができるようになってきたことを実感する。
神木に手伝ってもらいながら、ヘッドギアとグローブを外していると…。
「あっ…」
神木が恵理の顔を見て、ひと言発した。
「んん…？なに？」
恵理が尋ねると、神木が目もとを指でさす。
「ちょっとこの辺、青くなってます…」
鏡に駆け寄って確認すると、確かに目の下に青く痣ができていた。
しかも顔は汗だくで髪もボサボサ。決して美しいとは言えない容姿が鏡に映っている。
「この姿、ひどいね。女として、ないね…」
恵理が同意を求めると、神木が首を横に振る。
「いや、恵理さん。カッコいいっす」
力強くうなずき、親指を立てて見せる。
すると、恵理も首を横に振る。
「神木くん…。美しいと言いなさい」
「はい！」
神木の高らかな返事がフロアに響く。
ここにもまた、男女の関係を超えた“美しい絆”が生まれつつある。
▶前回：「最近、デートのお誘いが減ったかも…」焦った29歳女が駆け込んだ意外な場所とは
▶1話目はこちら：「30歳になったら結婚しよう」かつて約束していた女が、目の前に現れて…
▶NEXT：12月18日 日曜更新予定
マッチングアプリを始めた29歳女が、年上男性と出会い…
