「いつ結婚してくれるの！」同棲4年目の彼女からの最後通告。決断を迫られた男は…
スマートウォッチが全盛の今、あえてアナログな高級時計を身につける男たちがいる。
世に言う、富裕層と呼ばれる高ステータスな男たちだ。
ときに権力を誇示するため、ときに資産性を見込んで、ときに芸術作品として、彼らは時計を愛でる。
ハイスペックな男にとって時計は、価値観や生き様を表す重要なアイテムなのだ。
この物語は、高級時計を持つ様々な男たちの人生譚である。
▶前回：「もしかしてシャネル？」待ち合わせ場所に現れた彼女の服装を見て、28歳男がドン引きしたワケ
Vol.10 元プロサッカー選手・裕太（33歳）の華々しい過去
「うわぁ、ストレスってこんなところにも出るんだ……」
裕太は、千駄ヶ谷にある陽当たりの良い1DKの洗面所で、自分の頭皮に十円ハゲを見つけ、ため息をついた。
まさかの円形脱毛症にショックを受けた裕太は、同棲している彼女の里美に頭を見せる。
「見て、こんなふうになっちゃったよ、まさか自分が円形脱毛症になるとはな」
「うわぁ〜相当ストレスたまっているんだね」
ストレスの原因に、裕太は心当たりがあった。
裕太は、30歳までプロリーグで活躍していた元サッカー選手だ。
ケガを機に引退し、現在は知り合いの紹介で入ったITシステムの会社で、営業の仕事をしている。
現役時代は2,500万円ほどの年俸だったこともあり華々しい生活を送っていた。
だが今は、年収もプロ選手時代の4分の1ほどになり、慣れない仕事に悪戦苦闘する毎日。
収入が落ち込んだことによる生活レベルの変化にも、裕太は順応しきれずにいた。
そんなことを考えていると、「今日、カレーでいいかな？」という里美の声がキッチンから聞こえてきた。
里美とは、現役時代に知人の誕生日パーティーで知り合った。
彼女とは出会ってすぐに同棲を始めたのもあり、関係はすでに4年目を迎えていた。
いつものように、ふたりで食卓を囲んでいると、彼女が何かを言いかけた。
「ん？何か言った？」
「……ねぇ、裕太。結婚っていつになりそう？私、今年で30歳になるんだけど」
― うっ、とうとう来たか。
「まぁ、仕事がもう少し落ち着いたらかな、来年ごろには…」
里美が結婚に焦っていることはわかっていた。
「そう、前も同じような答えだったと思うけど……」
気まずい空気が流れる中、裕太は話を遮るかのように「ご馳走さま」と席を立ち、おもむろにテレビをつけた。
すると、現役当時同じチームだった若手の選手が海外のチームに移籍するというニュースが目に飛び込んできた。
― あいつ、海外のチームから声がかかったんだ。すごいな…。
裕太は過去の仲間の活躍に、複雑な気持ちになった。
そして、窓際の棚の上のアクセサリー置き場にある思い出の時計に目をやった。
裕太の視線の先にあったのは、ウブロの「ビッグ・バン ウニコ チタニウム セラミック」。
スポーツ選手を起用した広告で有名になった時計を気に入り、200万円ほどで購入した思い出の一本だ。
ウブロはブランド創設当初、その“独創性”に時計業界や老舗時計メーカーからは批判があった。
だが高級時計でありながらラバーストラップという斬新でスポーティーなデザインが、ファッション業界やスポーツ界で活躍する人たちから支持を集め、名だたる高級時計への仲間入りを果たしていた。
裕太は、この時計を休みの日にしか最近は身に着けてはいない。
営業で派手な高級時計をしていると、客先からの反応がよくない場合があるからだ。
― サッカー選手時代の俺、調子に乗っていたよな。
裕太はサッカー選手を引退後、サラリーマンとして働く生活になじむのに苦労した。
そんな裕太を見放さずについてきてくれたのが、里美だった。
だが、最近里美は浮かない様子だ。
ピラティスインストラクターとして働く彼女の口癖は「早く仕事を辞めて、ママになりたい」。
里美が抱える顧客には金銭的に余裕のあるセレブママたちが多く、「自分も彼女たちのようになりたい」と憧れている。
でも、里美を専業主婦にしてあげられるだけの金銭的余裕が、裕太にはない。
だから裕太は、結婚に踏み切れずにいる。
思い出の時計を見ながら、過去の華やかな生活を懐かしんでいると、裕太の携帯が振動した。
『最近は仕事どう？ちょっと裕太に話があって、今週末飲まない？』
それは高校時代のサッカー部で共に全国優勝を果たした、旧友の大輔からの連絡だった。
― 話ってなんだろう？まさか、あいつもそろそろ結婚とか？
裕太は突然の連絡を不思議に思ったが、すぐに了承した。
◆
『南青山 とりや幸』で、旧友との久しぶりの再会を、ビールで祝う。
「男友達とこうやって飲むのも久しぶりだな〜。引退してからは、ほんと地味な生活してるから」
「裕太らしくないな〜。昔はあんなに派手に食事会や、パーティーに繰り出してたのに」
大輔は、敏腕広告マンとしてバリバリ働いている。
裕太がサッカー選手だったころは、頻繁に飲み会にも一緒に繰り出した仲だ。
「今日の話なんだけど、単刀直入に言う。裕太、俺と会社立ち上げないか？」
「え？いきなりどうしたんだよ、そもそも何の会社を？」
大輔の話は、スポーツ選手専門の転職エージェント会社を一緒に起こそうというものだった。
プロのアスリート選手は、引退後のキャリアに悩む人が多い。現に、裕太もそうだ。
そんな選手たちのセカンドキャリアを応援するビジネスだと、大輔は言った。
「裕太に、もう一度サッカー選手の頃みたいに輝いてほしいんだ」
「興味はあるけど…今すぐ返事は難しい。少し考えさせてくれ」
確かに、裕太のまわりにも悩みを抱える元アスリートは多い。さらに、いまの仕事で培った営業力にも自信があった。
だが、現在の仕事を辞めて、リスクをとることへの不安が大きく、簡単には踏み切れない。
また安定とは真逆の道を進むことになり、ますます里美との結婚が遠のくかもしれない…と。
― でも、大輔と起業したら、うまくいくかもしれない。
その想いを振り切れない裕太は、帰り道、大輔のひと言を思い出していた。
“もう一度、輝くお前が見たい”
左手に着けたウブロ ビッグ・バンを見て、プロ選手としてピッチに立っていた頃の自分を裕太は思い出す。
すると、サポーターの歓声や、ゴールを決めた時の興奮が脳裏によぎった。
― この時計を見ると“あの頃”を思い出す。やるしかない。
裕太はこの時計が「挑戦しろ」と自分に語り掛けているかのように感じていた。
「里美、話があるんだ……」
「何？いきなり」
水曜の夜、自宅の狭いダイニングテーブルで夕食を食べながら、裕太は里美に話しかけた。
「俺、親友と会社を立ち上げることにしたんだ。里美が結婚に焦ってるのは知ってる。でも、会社が軌道に乗るまで待ってほしいんだ。もし、待てないなら……」
里美はしばしの沈黙のあと、口を開いた。
「私、嬉しいよ。サッカー選手時代の裕太の挑戦する姿、かっこよかった。最近の裕太、なんかつらそうだったよね。私、……待つよ」
結婚を急ぐ里美はそろそろ自分から離れるかもしれない、裕太はそう覚悟していた。だが、里美はついてきてくれるという。
裕太は、胸が熱くなるのを感じた。
― 俺、変わらなきゃ。里美のためにも。
◆
―1年後―
裕太は、外苑前にあるオフィスから、国立競技場のきらびやかな夜景を眺めていた。
『株式会社Reflexive 役員 南 裕太』
自分の名刺を確認し、走り出した実感をする。まだまだ仕事は山積みだが、不思議と前職のときのようにつらくはない。
“再帰”を意味する「Reflexive」という会社名は、引退したスポーツ選手たちが、社会でまた活躍し、輝いてほしいと想いを込め、社長である大輔と決めた。
会社の立ち上げを決断した1年前から、朝から晩まで奔走した甲斐もあり、初年度で見事黒字をたたき出しビジネスはひとまず軌道に乗った。
裕太はおもむろにPCの検索窓に『婚約指輪』と入力する。
「これにしようかな」
里美が好きそうなクラシックなダイヤの指輪を見つけ、お気に入り登録をした。
― この仕事を天職にできるようにまた走り出したんだ。
左腕に着けたウブロに視線を落とす。
以前は、この時計を見るたび輝いていた“過去”を思い出していた。
だが今では、過去ではなく、“現在”に自信が持てるような男として成長した。
― ピッチで戦ったあの時代のように、これを着けて、今まで以上の男になる。
そう決めた裕太は、里美にLINEをした。
『来週の土曜日で5年だね。ふたりでお祝いをしよう』
裕太は里美が行きたがっていた、グランメゾンを予約した。
― 里美と、この時計が背中を押してくれた。だいぶ待たせたけど、いまなら…。
左腕のビッグ・バンがキラっと光る。
ピッチで活躍していたあの頃のような闘志が、裕太の胸に新たに宿っていた。
▶前回：「もしかしてシャネル？」待ち合わせ場所に現れた彼女の服装を見て、28歳男がドン引きしたワケ
▶1話目はこちら：「いかにもって感じ」高級時計を愛用する男に女性が痛烈な言葉を浴びせたワケ
▶NEXT：12月15日 木曜更新予定
「ゼニス クロノマスター オープン」を着ける堅実な男が、再会した“悪女”とは？
