渋谷駅の顔だった「地下鉄が地上3階から発車するビル」なぜできた? 解体直前〜現在の記録
渋谷駅ターミナルビルのひとつであった東急東横店西館は、湾曲した壁面と、東京メトロ銀座線が建物内の3階から発着するのが特徴的でした。80年以上「渋谷の顔」でしたが、2022年現在は再開発により解体が進みます。
地下鉄が地上ビル3階に達する不思議
渋谷駅は数多あるターミナル駅の中でも、群を抜いて複雑な構造でしょう。駅全体を覆うように、高層ビル建設を伴う大規模再開発事業が本格化し、乗り換えが分かりにくいという声も多々聞きます。私(吉永陽一:写真作家)は渋谷出身ですが、それでも再開発中の乗り換えは正直迷ってしまいます。もう数年ほどの辛抱でしょうか。
東急東横店西館。露わになっていた84年前の構造体はあっという間に工事囲いされた。今後はこのように回送電車が走る状態を維持しながら、躯体を解体していくことになる(2022年9月、吉永陽一撮影)。
とはいえ渋谷駅は物心つく前から見てきたので、だんだんとこの複雑な建物構造とターミナル駅に興味が湧くものです。「地下鉄なのにビル3階から発車する銀座線」と言うと、なぞなぞの問いかけかと思います。この独特な構造は、渋谷駅が谷底にあって、地下の浅い銀座線が表参道から渋谷に向かうとビル3階に到達するのだと、幼少期に大人たちから教えられました。
渋谷駅は宮益坂と道玄坂に挟まれており、国土地理院地図で高低差をみると、それぞれの坂の上は海抜約33mで、渋谷駅は海抜約14m。その差は19mと、いかに谷底にあるか分かります。
そのビルとは、かつて「東急会館」と呼ばれた「東急東横店西館」です。JR山手線の西側にそびえる11階建てのビルでした。再開発に伴い、2020年9月をもって閉業したわけですが、周辺工事が進む2022年8月、解体の過程で一瞬、80年前の竣工時の躯体が露わになったのです。9月現在は仮囲いがなされ4階相当まで低くなり、往時の面影は消えつつあります。
西館が竣工するきっかけは銀座線と、既に廃止となった路面電車の玉川電気鉄道(現・東急田園都市線)でした。1934(昭和9)年、東横線を運行する東京横浜電鉄が山手線の東側に「東横百貨店」ビルを開業すると、西側では玉川電気鉄道がターミナルビル「玉電ビル」を計画しました。双方の会社は山手線を挟んでライバルでしたが、先手を打ったのが東京横浜電鉄で、1936(昭和11)年に玉川電気鉄道を買収して自社傘下の関連会社にしました。
玉電ビル計画は東京横浜電鉄が推進し、地上7階・地下2階建のビルを着工します。地下鉄(後の銀座線)乗り場は玉電ビル3階に設置することとなり、路面電車の玉電は2階に。百貨店併設ターミナルビルとして華々しくデビューする予定でした。
玉電ビルの痕跡を探す
1938(昭和13)年から翌39(昭和14)年にかけ、それぞれの乗り場は開業しました。しかし4階部分の地下鉄乗り場を覆う躯体が完成した時点で、日中戦争や太平洋戦争による物資統制のため工事は中止され、玉電ビルは未完成のまま戦後を迎えます。終戦直後の玉電ビルは、地下鉄を覆う躯体を剥き出しにした“仮屋上”の状態で、しばらく変化がありませんでした。
在りし日の東急東横店西館。坂倉準三設計の外観はのっぺりとした壁面に小窓が点在するのが特徴だ。その小窓の一部は館内の階段にある。私はずっと、城壁の銃眼(狭間)みたいに感じていた(2020年3月、吉永陽一撮影)。
1953(昭和28)年、地下鉄は銀座線と命名されました。同年、玉電ビルは坂倉準三の手によっていよいよ4階より上が増築されます。坂倉はル・コルビュジェに師事した建築家です。翌1954(昭和29)年に11階建てとなり、「東急会館」が竣工しました。小窓と湾曲した壁面が特徴的なビルがお目見えし、竣工当時は軒高43mと日本一の高さを誇りました。
館内は5〜7階が百貨店売場、8階が大食堂、9〜11階は1000席を超える劇場「東横ホール」を配した総合施設でした。また同年、山手線直上に回廊の役目を兼ねた5〜7階建ての中央館を増築。東横百貨店と繋がります。1970(昭和45)年には南館が竣工し、渋谷駅は東西南と百貨店、文化施設を直結したターミナルとなっていったのです。
こうしてできあがった複雑なターミナルビルでしたが、再開発を前に銀座線ホームは一足早く、2020年1月3日に新ホームへ移転しました。改札口は閉鎖されていたものの、同年3月の段階ではまだ3階の旧改札へ上がることが可能だったので、私は記録を兼ねて訪問しています。等間隔に並んだ柱と低い梁――。この柱か、あるいはもっと線路寄りの柱が、玉電ビル時代に建設中止となった仮屋上の覆いだったのかと推測できます。
では戦後増築部分の繋ぎ目は何かしら残っているのか。館内を探索してみました。銀座線旧降車ホーム側の3階はまだ文具店などが営業中で、私は下へ降りる人々の流れから外れて館内西側外れの階段を上がります。大理石壁面の立派な階段で、3〜4階の踊り場には低い梁があります。ただしほかの階は踊り場に梁はなく、低い梁は3〜4階部分だけで不自然です。確証はないのですが、この踊り場が増築の繋ぎ目部分なのではないかと推測しました。
80年前の構造体、姿を現す
西館は2020年3月31日に東横店が閉店し、3階以上は立入禁止となりました。一方、渋谷マークシティや京王井の頭線方面と、渋谷ヒカリエや山手線方面との連絡のため、1〜2階部分は通路として往来できました。なお、西館2階には旧玉電乗り場と向い合せになる位置に、山手線外回りホームと直結したJR玉川改札があり、玉川改札へ行くにも館内を通行する必要があったのです。
玉川改札最後のとき。JR山手線の外回り最終電車が到着したところ。降車客が改札を通った時点でこの改札口は役目を終えた(2020年9月、吉永陽一撮影)。
西館と南館の解体は2020年10月に始まりました。仮設の迂回連絡通路が建設されたため、通路として往来できたのは9月25日まででした。
日付が変わった9月26日午前0時50分。山手線外回りの最終電車が去って玉川改札は使用停止。同時に、西館は通路としての役目も終了しました。0時57分にシャッターが降り、最後の瞬間が訪れます。玉電ビルの建設から82年間活躍したターミナルビルは、ここに使命を終えたのでした。
約3時間半後の午前4時30分。仮設通路「しぶにしデッキ」が供用開始されました。デッキは京王井の頭線ならびに渋谷マークシティと駅を結ぶ連絡通路で、解体される西館の周囲をぐるっと迂回する形状となっています。
それから2年。2022年は西館が解体されていき、渋谷駅は今まで見たこともない姿となっています。8月の段階では、銀座線の回送線路を覆う部分が残されていました。そして開通当時の躯体が現れ、リベット打ちの鉄筋やタイル張りの柱が露出しましたが、2週間ほどで工事囲いされています。一瞬だけ現れた姿は、仮屋上時代の姿を彷彿とさせてくれました。
西館の解体は銀座線の回送線を生かしたまま、山手線と隣接した場所で進行します。跡地には銀座線の回送線を覆い被せる形で、「渋谷スクランブルスクエア中央棟・西棟」などからハチ公広場へ続く大屋根の階段と通路が建設されます。
完成パースを見ると、回送線は箱状に覆われるため、おそらく現在残る躯体も解体されると思われます。完成は2027年度。既に浦島太郎になりそうですが、渋谷駅はまだまだ激変していきます。