10回デートをしても、手を出してこない男。悶々とした女は、ある行動に出る…
東京…特に港区は、ウソにあふれた街。
そんな港区を走る、すこし変わったタクシーがある。
ハンドルを握るのは、まさかの元・港区女子。美しい顔とスタイル。艶のある髪。なめらかな肌…。
乗客は皆、その美貌に驚き、運転席の彼女に声をかける。
けれど、彼女と話すには、ひとつルールがあった。
「せめて乗車中はウソ禁止です」
乗客たちは、隠れた本音に気づかされていく――。
▶前回:「もういい。1人で帰って」同棲中の彼女をタクシーに残して、去った彼。怒りの理由とは?

溜池山王〜中目黒 奈緒
天気予報にもない突然の雨は、いよいよ本降りになってきた。
23時30分。傘を持たずにデートに出かけた戸川奈緒は、溜池山王の交差点で途方に暮れる。
― 空車のタクシーが全然ない。来ても乗車拒否される…。
なぜなら奈緒は今、ずぶ濡れなのだ。
ようやく1台のタクシーが目の前でスピードを落とし、停車。奈緒と同世代の女性ドライバーが、顔を出した。
「ちょっとお待ちくださいね」
ドライバーは自分が濡れることも気にせず車外に出ると、トランクからバスタオルを出して奈緒に手渡す。
「1枚で体を拭いて、1枚はシートに敷いてください」
シートにつき、柔軟剤の心地よい香りのするタオルに包まれながら、奈緒はどうしようもなく溢れてくる涙を拭った。
絶望に突き落とされた今夜、こんな形で他人の優しさに触れるとは思わなかった。
「…運転手さん。私、一世一代の告白をしてフラれたばかりなんです」
走り出すタクシーの中、気づけば言葉が漏れていた。
奈緒は長野の片田舎で育った。
愛読書は、ファッション雑誌。男ウケは悪くても、カラフルでレトロな服装に憧れた。今でいうY2Kファッションだ。
そんな服は、田舎では売っていなかったから、服のリメイクを独学で習得。
高校の制服も、自分が好きなようにリメイクした。そのせいで1週間停学になったこともある。
― とにかく早く上京したい。それで自分の好きな服をたくさん着てみたい!
奈緒にとって、東京は憧れそのものだった。
高校卒業と同時に上京した奈緒は、まずは髪を金髪に染め、髪型・服装自由のカフェで働き始めた。
現在、仕事を始めて4年。最初はアルバイトだったが、いまや正社員で店長を務めている。
仕事とプライベートで服装を分ける必要がないため、奈緒は24時間365日、自分らしいスタイルで過ごしてきた。

道岡恒也と知り合ったのは、半年前のことだった。
奈緒の働くカフェの近くにできた、ストリート系のセレクトショップ。その店を経営しているのが、恒也だった。
いつのまにか、恒也は、休憩時間のたびに来店する常連客になる。
「ウチの店内にもカフェブースがあってコーヒーを売ってるんですけど、奈緒さんの店のほうが美味しくて。しょっちゅう来ちゃいます」
そう言って屈託なく笑う恒也のことを、奈緒はいつしか好きになっていた。
― 恒也さんなら私のファッションスタイルも、きっと理解してくれるはず。
上京前も、上京後も、奈緒は人並みに…いや、人並み以上に恋愛をしてきたが、どれも短命に終わっていた。
原因はハッキリしている。
奈緒が男ウケの悪いファッションをやめないからだ。
歴代の彼は誰もが最初は「そのままでいいよ」と言ってくるが、まもなく「やっぱり女の子らしい格好をしてほしい」などと不平不満を伝えてくる。
…その発言は、地雷だ。
― 私は、ありのままの私を好きになってほしいのに。
「女の子らしい格好」などと言われると、一気に気持ちが萎えていく。
しかし、恒也は違うはずだと奈緒は期待していた。
― セレクトショップで働き、センスあるストリート系ファッションを楽しむ恒也なら、自分を理解してくれるはず。
そこで出会って2ヶ月が経つ頃に、勇気を出して連絡先を交換。初めて恒也と飲みに出かけることになった。
だがその夜、淡い期待が打ち砕かれる。

初めてのデートの待ち合わせ場所に、恒也はなんとスーツ姿で現れた。
驚く奈緒の表情を見て、「こっちが本当の俺です」と恒也は笑う。
それどころか、いつも見ていたストリート系ファッションのことを「副業用のコスプレだ」とすら言った。
実は恒也は、一流商社の社員だった。
最近副業が解禁され、リモートワークも増えたので、副業としてセレクトショップを始めたのだという。
そんな恒也が予約してくれていたのは、浅草の『ナベノ-イズム』。
いつもどおりのファッションでデートに臨んだ奈緒は、TPOに合っていない自分の服装を、人生で初めて「恥ずかしい」と思ってしまった。
食事中、ライトアップされた隅田川を眺めながら、奈緒はおずおずと聞いた。
「恒也さんって、どんなファッションの女性が好きですか?」
「そうですね…。奈緒さんのような個性的なファッションも好きですが」
と前置きしてから恒也は続ける。
「女性らしいラインの出るようなワンピースとか好きです」
相変わらず屈託ない笑顔で発した恒也の言葉は、おそらく彼にとっての本音だった。
奈緒はデートから帰宅すると、ネットですぐに“女性らしいラインの出るワンピース”を購入した。
長年、貫き通した自分らしいファッションスタイルを捨ててでも、恒也に好かれたいと思ったのだ。
「彼に好かれるような女を目指して、頑張りました。でも今夜、フラれました」
タクシーが天現寺の交差点を通過するころ、女性らしいラインの出るワンピースを雨で濡らした奈緒は、つぶやいた。
「3回目のデートから告白しようと思っていて、でも勇気が出ないまま…今日が10回目のデートでした。
毎週のように会っていたんですが、もうこれ以上、ずるずる伸ばせないと思って、一世一代の告白をしたんです。なのに…」
思い切って告白をした奈緒に、恒也はこう言った。
「ごめんなさい。今は誰とも付き合う気がないんです」
「10回もデートしておいて、それはない」と叫びたかったが、奈緒はグッとこらえた。
今夜、奈緒が抱えた絶望は、そこではなかったから――。

「運転手さん、ひとつ聞いてもいいですか?」
奈緒はミラー越しに話しかける。
「本物の愛を手に入れるためには、自分を貫くべきか、それとも相手に合わせるべきか。どっちだと思いますか?」
今までは自分を貫いたせいで、恋愛が長続きしなかった。
だから今回こそは、と相手に合わせてみた。恒也は今までの男と違うと思ったし、失いたくなかったから。
それでも結局うまくいかない。恒也に、好きになってはもらえなかった。
奈緒はあらためて尋ねる。
「運転手さん、どう思います?私、どうすればよかったのかな」
「お答えする前に、お伝えしたいことがあって。
私、このタクシーではひとつのルールを設けているんです」
「ルール?」
「せめてこの車の中ではウソはつかない。というルールです。
ルールをお伝えせずとも、お客様の言葉にはウソがなかったような気がしますけれどね」
たしかに奈緒はウソはついていない。
二度と会うことはないだろうタクシー運転手だからこそ、正直にすべてを話すことができた。
「お客様が本音で話していただけたので、私も本音でお話ししますね」
そのときになって初めて奈緒はネームプレートを見た。
奈緒と同世代の女性ドライバーの名前は「柊舞香」というらしい。
「私も、同じ悩みを抱えたことがあります」
舞香は言った。

「私はかつて、いわゆる港区女子だったんです。見た目も中身も、絵に描いたような港区女子でした。
でも好きになった男は、そういう女性のことが嫌いで…。
その人に振り向いてもらいたくて、自分を変えました」
奈緒は恐るおそる尋ねる。
「振り向いてもらえたんですか?」
「いえ、フラれました」
奈緒はがっくりと肩を落とす。
「そっか。やっぱり、無理に合わせても、ダメなんですかね…」
「はい。自分を偽っていることを相手に見透かされたんだと思います」
「なんか、すごくわかります」
奈緒は何度も頷き、続ける。
「もう最近は『自分らしさ』が大事にされる時代だし、自分のままでいいと思うしかないのかな。
でも、私が自分らしくいると、男性が寄ってこないんです。これって、どうしたらいいんですか?」
奈緒が今夜感じた絶望とは、このことだった。
正直な不安を吐露したところで、タクシーは中目黒にある自宅マンション前に到着。お会計を済ませると、舞香は言った。
「お客様は、相手好みに変化したご自身のことを、好きでしたか?」
「…えっ?」
「どんなファッションをしていても、自分のことを好きになれない人が、相手から好かれることはないと思うんです」
その言葉を最後に、舞香のタクシーは走り去った。
帰宅した奈緒は濡れた体をシャワーで洗い流したあと、自分らしい服たちと恒也に好かれるために購入した服たちを並べ、考える。
― 私は、恒也さんを好きだったこの4ヶ月、自分自身のことを、好きだったのだろうか。
奈緒は思わずつぶやく。
「あんまり好きじゃなかったな…」
恒也に好かれようという強い気持ちだけでやっていたから、自分が自分を好きかどうかなんて、考えようともしなかった。
“自分のことを好きになれない人が、相手から好かれることはない”
舞香の言葉が心に刺さる。
― そうよね。自分で自分を好きだと即答できる、そんな自分でいなくちゃ。
恒也のことは思い出にしまって、自分の好きな自分のまま、生きていこう。
きっと、受け入れてくれる人はどこかにいる。
一世一代の告白に失敗してズブ濡れになっていたというのに、奈緒は前向きな気持ちでベッドに入る。
すべては舞香のおかげだ。
二度と会うことのないタクシー運転手だと思っていたのに、奈緒はいつかまた、彼女と再会したいと思うのだった。
▶前回:「もういい。1人で帰って」同棲中の彼女をタクシーに残して、去った彼。怒りの理由とは?
▶1話目はこちら:港区女子を辞め、運転手に転職した美女。きっかけは?
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タクシーで言いにくい過去をカミングアウトする恋人に、男は戸惑い…。

