高校から防衛大学校に進むとどんな生活を送ることになるのか。元防衛大学校長の國分良成さんは「週末の外出が制限されるなど、私生活も管理される。『防大1学年が人生で一番長い1年だった』という卒業生がたくさんいる。それほど最初の1年に肉体と精神が鍛えられる」という――。

※本稿は、國分良成『防衛大学校 知られざる学び舎の実像』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

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防衛大学校入校式=2021年4月5日、神奈川県横須賀市 - 写真=picturedesk.com/時事通信フォト

■話し方にもガイドラインが存在する

防大生には「容儀点検」があり、ヘアスタイルや服を絶えず気に懸けなければいけない。なお、ヘアスタイルについては、細かい規定はないが、男子は耳にかからない短めが奨励され、女子に関しては化粧・髪型ともに派手なものを避け、ショートヘアが便利ではあるが、後ろにまとめるなど長髪でもダメということはない。白髪以外の毛染めは自粛が求められる。かつては、棒倒しの頃になると、側面をかなり強烈に刈り上げる男子学生もいたが、今ではスマートな形のスポーツ刈りが推奨されている。

帽子のかぶり方、敬礼の仕方、入室要領、椅子の掛け方、言葉遣い、大声禁止、時間厳守、物品愛護、金銭管理など、学生のあるべき心構えと所作について丁寧に指示されている。このうち入室要領一つを取っても、これを習得すれば一生ものである。場所に応じたノックの回数、右手でドアを開けてから静かにドアを閉め、回れ右をしてからそのなかの一番上位の者に対して敬礼、姓名申告、という順番。

ちなみに少数派となった喫煙者には、喫煙のための特定のオープン・スペースが設けてある。話し方のアドバイスでは、「ユーモアはよいがつまらないジョークを得意げに言うのはノー」、「『僕』というのは親しい間ではいいが、正式には『わたし』か『わたくし』」などから、敬語や謙譲語の使い方まで一応のガイドラインがある。

とはいえ、学生舎を歩いていて、留学生が仲間とタメ語でしゃべっているのを聞くと、普段の会話の実態が見え隠れしていて面白いし、ホンネではちょっと安心する。軍隊用語でよく「自分は」と使うのを映画などで聞くが、現在の防大では推奨されない。先輩に対しては「××さん」、同期や後輩に対しては、呼び捨てか「××君」、よく使われるのは「××学生」といったところか。

■忌引きや通院以外は認められない平日外出

防大生も当然に自由恋愛の権利はある。防大生同士の恋愛に関して奨励はしていないが、もちろん禁止もしていない。実際にはけっこうカップルがあるようだ。年頃の男女が同じ敷地で24時間一緒に暮らしていて、何もないというほうが無理かもしれない。

しかし、校内での性行為はいうまでもなく、キスなど恋人同士の行為が発見された場合は重大な処罰対象となる。だから、出会いが少ない防大生は、開校記念祭というような唯一学校が開放される機会を狙って「恋の片道切符」のようなアイデアを思いつくのだ。ある休日、都心の繁華街で、4学年の私服姿の防大生カップルが私の目の前を通り過ぎた。2人は会話に夢中で私の存在に気づかなかったが、武士の情けで声をかけるのをやめておいた。

防大生の外出は結構厳しい。欧米の士官学校の多くは平日でも外出できるようだが、防大では忌引きや自衛隊病院等への通院、あるいは卒業研究のための国会図書館通いなどの例外を除いて禁止されている。

■休日の夜中に校舎前の坂を駆け上る学生たち

ただそれだけに週末の外出は、防大生全員が心から解放される日となる。ただし、1学年は制服を着たままで外出しなければならない。上級生も基本的に正門を出入りするときは制服でなければならず、そのために実家の遠い学生は近所に何人かで下宿を借りて、そこで着替えている(旧軍の士官学校にも県人会単位で所有していた「日曜下宿」というのがあったと言われる)。

國分良成『防衛大学校 知られざる学び舎の実像』(中央公論新社)

土曜は23:20まで、日曜祝日は22:20まで外出が可能で、時間に遅れると処罰が待っている。門限近くになると、学生たちが小原台のきつい坂道を駆け上っているのを目にする。

外泊は特別外出(特外)と呼び、2学年は原則として年間11回(連休も1回)、3学年は16回、4学年は21回まで認められるが、いずれも事前にきちんと行先と帰校時間などを報告しなければならない。100キロを超えて外出するときは、特別な承認が必要である。

なお、1学年に関しては、夏・冬・春の定期休暇以外の特外は基本的に認められていない。1学年の学生に「何かの功労で『褒章』をもらえるとしたら何が欲しいか」と聞けば、多くが「特外」と言うに違いない。

■「生まれ変わっても防大に入りたい」

新型コロナウイルス感染症が広まった当初、特に緊急事態宣言のなかで若者の自由な行動に対する批判が高まっていたこともあり、防大では約2カ月間、完全に外出禁止の措置を取った。特に1学年は入校したばかりだったが、しかし上級学年の丁寧な指導もあって、一人の感染者を出すこともなく乗り切ることができた。

私も校内放送などを使い、「放送大学」と銘打って6回講義を行った。この間、週刊誌系列などから「感染者多数」など、あることないことフェイクニュースを書かれたこともあり、われわれは余計な仕事に対応させられるはめに陥った。

一般大学の学生や卒業生にこのような話をしても、想像をはるかに超えた世界に聞こえるだろう。しかし、若く多感な時期に、このようにとてつもなく厳しく苦しい環境に置かれるが、それでもその行きついた先に、心の底から信頼できる一生の友と仲間を作ることのできる熱い4年間を過ごした卒業生の多くが、「生まれ変わっても防大に入る」と言う。その原点にあるのが学生舎生活なのだ。

■「できれば1学年はスキップしたい」の意味

かつての旧制高校の世代の友情は一生ものと言われ、その結束は非常に固かった。その中心に寮生活があったことが大きい。ただし、「生まれ変わったら防大には入りたいが、できれば2学年から入りたい」という冗談を言う卒業生も多い。「防大1学年が人生で一番長い1年だった」という卒業生がたくさんいるほどに、最初の1年、正確には2学年4月のカッター競技まで、高校生までの生活では考えられないほどに肉体と精神が鍛えられるのだ。

このように、1学年と上級生の間には、士官学校であるがゆえの明確な上下関係があるのだが、勤労感謝の日の前後に、1学年と4学年の立場を完全に逆転させる日が設定されている。防大版「勤労感謝」で、授業と訓練以外は、朝の清掃から一斉喫食の準備、その他いろいろな雑務を4学年がやり、1学年が指導する。

4学年はさすがに最高学年なので、1学年の指導に対してジョークで返すなど、和気藹々の一日となる。いつから始まったのかわからないが、明確な上下関係をギスギスさせないための昔の学生たちの知恵なのであろう。

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國分 良成(こくぶん・りょうせい)
防衛大学校
1953年生。81年慶應義塾大学大学院博士課程修了後、同大学法学部専任講師、85年助教授、92年教授、99年から2007年まで同大学東アジア研究所長(旧地域研究センター)、07年から11年まで法学部長。12年4月から21年3月まで防衛大学校長。法学博士、慶應義塾大学名誉教授。この間、ハーバード大、ミシガン大、復旦大、北京大、台湾大の客員研究員を歴任。専門は中国政治・外交、東アジア国際関係。元日本国際政治学会理事長、元アジア政経学会理事長。著書に『中国政治からみた日中関係』(2017年樫山純三賞)、『現代中国の政治と官僚制』(2004年度サントリー学芸賞)、『アジア時代の検証 中国の視点から』(1997年度アジア・太平洋賞特別賞)などがある。
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(元防衛大学校長 國分 良成)