難関大学に合格するにはどれぐらいの勉強時間が必要なのか。東京大学マサチューセッツ工科大学(MIT)にダブル合格し、現在は起業家として小中学生向けオンライン教育プラットフォーム「スコラボ」を運営する前田智大さんは「原理原則に沿った方法なら、長時間の勉強は必要ない。私はほぼ塾なしで、1日1時間しか勉強しなかった」という――。

※本稿は、前田智大『灘→東大→MITに合格した私の「学びが好きになる」勉強法』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/taka4332

■中学高校時代の勉強時間は毎日1時間

私の学業成績は、最初は学校の「中の下」くらいから始まって、後ほど伸びていくという、特徴的な曲線を描いています。小学校時代の塾しかり、灘で過ごした中高時代しかり。

その理由は「基礎」、すなわち物事の根底部分の理解に注力するからです(前回の記事参照)。原理原則に沿った学び方は、地道な作業にかける「期間」は長いですが、1日単位での勉強「時間」は、さほど長くはありません。

中学高校時代、生物学オリンピックや大学入試の時期をのぞけば、家での勉強時間は毎日1時間程度でした。その日の授業の復習を30分、好きな生物の勉強を30分。これだけで終了です。ただ、電車の通学時間が往復3時間半あったので、本を読む時間は多かったですが。

「それだけで、どうして成績が伸びるの?」と疑問に思われるかもしれません。

ほかの生徒たちと私の違いが一つあるとしたら、私は灘校生には珍しく、「授業を集中して聞く」生徒でした。授業を適当に聞き流している生徒が多い中、私は全力で、理解しようと努めました。つまり、学校の授業が勉強時間だったのです。

とはいえそんな私でも、授業を聞かないときがありました。たとえば数学で、板書された式の意味がわからないときは、残りの授業を聞かずに、そこを理解することに集中しました。

「そんなことをしたら、その先で出た大事な話を聞き逃すのでは?」と思いますよね。

たしかに、短期的に見ると小さな損は発生するでしょう。しかし、今ひっかかっているところをクリアしなければ「その先」も理解できません。今の疑問も先の疑問も解けないという長期的な損より、今の疑問をその場で解決する得を選んだのです。

■塾はわからないことがあったときだけ利用

こうしたやり方のおかげで、家では軽い復習だけで十分でした。中高時代は塾にも、ほとんど通ったことはありません。

ただし例外が二つだけあります。

一つは高2のとき、有機化学が苦手でどうにも興味が持てなかったときのこと。ある塾に、有機化学を教えるのが上手な先生がいると聞き、有機化学の単元の間だけ受講しました。噂通りの面白さで、苦手意識も解消。問題が解決したので、その時点で退塾しました。

もう一つは国語がスランプになった時期のことでしたが、こちらはあまり成功しませんでした。ある予備校の、評判の良い授業をとったものの「これなら参考書を読むのと同じだな」と思って撤退しています。

写真=iStock.com/Mercedes Rancaño Otero
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Mercedes Rancaño Otero

このように、私の塾の活用法は、問題が生じたときの「単発の解決策」でした。学校と家だけで勉強を完結させるスタイルが、やはり私には合っていたように思います。

■灘校生が授業を聞かない理由

灘校生は授業をあまり熱心に聞かない、という話に意外さを感じた人もいるでしょう。

灘には教える側・教わる側の双方に、一種の緩やかさがあります。先生方は、生徒に「勉強しなさい」とは言いません。そこは本人が判断すべき領域であり、その結果も本人の責任である、という考えがあるのでしょう。

そもそも先生方が個性派ぞろいで、オーソドックスな授業スタイルの人は少数派。雑談好きの生物の先生もそうですし、国語の先生も、やたらと古文の比率が高い方でした。おそらくご本人の興味がそちらに傾いていたのでしょう。

英語の先生は、今や『ユメタン』の著者として有名な、「キムタツ」こと木村達哉先生。「英語なんて、50分も使って6年間も教えるもんやないやろ」とおっしゃって、やはり授業は雑談多め。「飲み屋でぼったくられた話」などをよく聞かされたものです。

生徒は生徒で、授業は聞くべきだと判断すれば聞く、というスタイル。「聞くべき」の基準は人それぞれですが、だいたいは「教科書に書かれていること以上」の要素があるかどうか、が分かれ目でした。

より有用な知識や、効率的な学び方・解き方を教えてもらえるならば興味を持ちますが、「自分でやったほうが早い」と思ったら即スイッチオフ、という調子です。

■灘校生は「目的と興味」で動く

授業以外でも、その傾向は強く見られます。

たとえば、ある方を招いての講演会が学内で開催されたときのこと。話の内容は、あまり面白いとは言えないものでした。そんなとき、生徒たちは「礼儀として聞くふり」はしません。非常に高い地位にいる方なのですが、お構いなしです。途中から明らかにだらけた表情になり、話が終わると「つまらんかったな」というアイコンタクトを隣同士で交わし合います。

相手がどんなに偉い人でも、内容が心に刺さらなければバッサリなのです。逆に、立派な肩書がない方でも、面白い話はちゃんと聞きます。そういうところは、良くも悪くも「目的と興味」で動いていると言えるでしょう。

そうした「灘カラー」は、社会人になったあと、周囲を戸惑わせることもあるようです。たとえばある友人は、私から見ればとても協調性のあるタイプなのですが、大学卒業後に就職した銀行で「協調性がない」と指摘され、ショックを受けていました。

四人で担当していたある業務で、二人が作業をし、もう一人がチェックをしていたので、「自分のサポートは要らない」と思って別の仕事をしていたら、怒られたのだそうです。

つまり、合理性を優先した結果のすれ違いです。どちらの言い分が正しいかは意見が分かれるでしょうが、私個人としては、彼の肩を持ちたいところ。協調性は大事ですが、意味のないところで同じ行動をとる必要はないと思うのです。

――という私の見解もまた、「灘らしい」考え方なのかもしれませんね。

■灘でリスペクトされるのは「勉強外の強み」

そんな灘校生にはもう一つ、ユニークな価値観がありました。

前田智大『灘→東大→MITに合格した私の「学びが好きになる」勉強法』(PHP研究所)

勉強の「外側」に強みを持っている人が尊敬される文化があるのです。逆に、勉強ができること自体はさほど尊敬されません。

とくに、定期テストや模試の成績を自慢したり、順位を上げようとあくせくしたりするのは、カッコ良くない行為とされます。

学年トップの成績を取れば、それなりに「スゴイ」とは認識されますが、もしその本人が「トップを取るために頑張っている感」を出したら、きっと興ざめされるでしょう。

そこには、自分の能力を「試験」にだけ使うのはナンセンスだ、という考え方があります。せっかく能力があるのなら、外側から判定される点数や順位ではなく、自分自身がやりたいことで成果を出すべきだ、と考えるのです。

■自分の意志でチャレンジする

「勉強っぽくないこと」ができる人ほど尊敬される理由も、ここにあります。

象徴的なエピソードとして思い出すのが、ある年の始業式でのひとこま。

始業式では、校外で何かの成果を挙げた人を表彰する時間があります。たとえば、数学、化学、生物などの「○○オリンピック」での入賞やメダル獲得。私も高2のときには壇上に登っています。

とはいえそうした生徒は毎年数人は出るので、あまり希少価値はありません。拍手も「それなり」の大きさです。

ところがその年、一学年下のある生徒が「パワーリフティングの日本代表」になったと発表されたときは、万雷の拍手が起きました。

このような目に見える形でなくとも、「笑いのセンスがある」とか「楽器がうまい」とか、一芸のある生徒は一目置かれていました。極端な例を挙げると、「ナンパの技術」を極めて、近隣の女子高との交流を活性化させていた同級生も尊敬を集めていました。

もちろん、そうしたカジュアルな一芸だけではありません。多くの生徒が、自身の関心の赴くまま、オリジナリティのある活動を展開していました。

アプリを開発する生徒あり、震災ボランティア組織を立ち上げ、企画から実行まで主導する生徒あり。生徒会長は「全国生徒会」を組織して、学校同士が交流できる場を作っていました。そうした個々の活動は、生徒たちが互いに刺激を与えあう雰囲気を、校内に創り出していました。

自分自身の意志でチャレンジすることに対する、暗黙のリスペクト。その文化は私自身のチャレンジ精神をも、大きく育ててくれました。

中学、高校時代の学習のポイント

勉強だけにとらわれず、世界を広げる
中高時代は触れる情報量も多くなり、自分ならではの「○○したい」「○○でありたい」といった価値観ができてきます。ですから勉強だけにとらわれず、興味のあることに何でも打ち込んでみましょう。関心のある学問分野を極めるのもいいですし、部活や趣味や、学外での活動を広げるのも有意義。机に向かう勉強だけでは得られない、広い意味での学びがあるでしょう。

点数のためだけの勉強をしない
偏差値や校内での順位、大学合格率のアップなど、「数字を取るための勉強」はモチベーションを維持するのが大変です。実力を伸ばすことによって何ができるか、何がしたいか、どんな分野が自分に合っているのか、を考えながら勉強することが大事です。

勉強以外にも「原理原則」はある
原理原則思考は、勉強だけに有効なものではありません。スポーツ、遊び、創作などあらゆる活動が、原理原則にのっとって考えるとレベルアップしたり、さらに楽しくなったりするものです。「こうすればもっと上手になる」「こうすればもっと面白い」といった工夫を重ねていきましょう。

どんな科目も「暗記だけ」と決めつけない
生物や、社会科系の科目は一般に「暗記科目」だとされがちですが、暗記の要素が多いだけで、その暗記もあくまで基盤の部分です。レベルが上がるほど、思考力が求められるようになります。覚えるだけで済ませず、事象の因果関係や法則性を探る習慣をつけましょう。英語は暗記がメインとはなりますが、英語を使って実際に海外の人とコミュニケーションを取るなど、暗記をした先の楽しさや意義を感じることも重要です。

授業を真剣に聞くと、家では軽い復習で済む
授業中ダラダラと過ごし、そのぶん家や塾で一から勉強、というやり方は非効率です。「50分間で完全に理解する」くらいの熱量で集中すると、家では軽く復習するだけで済みます。試験前に慌てて詰め込む、といった二度手間も防げます。

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前田 智大(まえだ・ともひろ)
Mined 共同創業者
1995年生まれ。大阪府和泉市出身。灘中学・高校から米マサチューセッツ工科大学(MIT)に進学。2018年MIT工学部電子工学科卒業。2020年MIT Media Lab修士課程を卒業。光学とコンピューターサイエンスを組み合わせて、皮膚の下や曲がり角の先など、見えないものを見るテクノロジーの研究に励み、国際学会で最優秀論文賞を受賞。大学院在学中に、ソフトバンクグループ会長兼社長の孫正義氏の「孫正義育英財団」に応募し選抜された。2020年に帰国後、株式会社Minedを起業し、現在は小中学生を対象としたオンライン教育サービス「スコラボ」を開発・運営しながら、講師も務めている。
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(Mined 共同創業者 前田 智大)