私が日本の経済財政再建のヒントはルワンダの過去にあると思う理由 - 宇佐美典也
※この記事は2021年06月18日にBLOGOSで公開されたものです
たまには話題になっている本を読んでみようと思い、最近書店でよく見る「ルワンダ中央銀行総裁日記」という本を読んでみた。
1965年、46歳にして文字通りルワンダの中央銀行の総裁に就任した日本銀行員である服部正也氏の総裁任期中(1965~1971年)の日記を書籍化したものなのだが、結論から言えば「凄い本を読んでしまった(小並感)」というのが読後の感想である。
人口約300万人の世界最貧国・ルワンダの財政健全化がミッション
簡単に著者の経歴と就任時のミッションを紹介すると、筆者の服部氏は1918年に生まれ、東京帝国大学法学部卒業、終戦を海軍大尉としてラバウルで迎え、そのままラバウル戦犯裁判の弁護人となる。1947年にようやく復員し、日本銀行に入行。1965年にIMF(国際通貨基金)に出向し、IMFからの打診を受ける形でルワンダの中央銀行総裁に就任した。この時点で現代人から見れば十分稀有な経歴で、やはり戦後の復興を担った昭和の男たちは人生の厚みが違う。
当時のルワンダは1962年にベルギーから独立したばかりで、人口約300万人の世界最貧国の一つであった。ルワンダは内陸国で海に面していないにもかかわらず、小農の自活経済でコーヒーの輸出に頼っていたのだが、陸上輸送に経費がかかる分競争的に不利な状況に置かれていた。典型的な植民地のモノカルチャー経済で食料の自給はできていなかったので、国際収支は経常的に大赤字で外貨不足に悩み、この結果通貨のルワンダ・フランは切り下げリスクが常に伴う価値が不安定なものになっていた。
これを象徴するように為替は二重相場制が採用されており、政府が承認した貿易外取引には1ドル=50フランの公定相場が、その他の取引は概ね1ドル=100フラン程度の自由相場が適用されていた。この二重相場制は完全に利権化しており、政府に深い関わりを持つ外国人顧問や外国企業がこの二重相場制を悪用して、差益を取ることが常態化していた。また政府の経済政策自体もベルギーからの外国人顧問によって牛耳られており、ルワンダ国民は重税に苦しむ中、外国人や外国企業に極端に有利な税制が取られていた。
こうした状態で服部氏に事実上与えられたミッションは、ルワンダ・フランの価値を下げる、「平価切り下げ」の実現で、当時IMFはルワンダの支援条件交渉に当たって平価切り下げ、及び、財政健全化を求めていた。
実際不安定な二重相場制はルワンダ経済の諸悪の根源であったが、通貨を切り下げて単一の固定相場にして価値を安定させるには、国際収支を均衡させなければならなくなり、そのためには大幅赤字の財政も立て直さなければならなくなる。これは近隣部族に脅かされている安全保障環境や食料自給率の低さを考えれば簡単では無い。また庶民の生活を考えると、当然インフレ対策もしなければならない。そうすると必然的に財政、経済、全体の構造改革に取り組まなければならなくなる、という具合で服部氏のミッションは結果としてルワンダの経済財政政策全体にわたった。
ハッとさせられるルワンダ大統領、服部氏、ルワンダ農民の言葉
ではそれを実現するための中央銀行の環境はいかがなものかというと、ペンキのハゲかかった二階だてのビルで、職員の質も低く、銀行業務を理解している専門家もほとんどおらず、その年の経済を賄う銀行券すら不足している、という状況であった。この惨憺たる状況から服部氏の一世一代のミッションが始まった。
彼の仕事の詳細な内容については実際に本書を読んでいただければと思うが、私が本書を通して感銘を受けたのは、経済財政改革に向かうルワンダの政治家、服部氏、そしてルワンダの商売人の姿勢であった。
例えばルワンダのカイバンダ大統領が服部氏との会談で述べた
「私は革命、独立以来、ただルワンダの山々に住んでいるルワンダ人の自由と幸福とを願ってきたし、独立ルワンダにおいては、ルワンダの山々に住むルワンダ人が昨日より今日の生活が豊かになり、今日よりは明日の生活がよくなる希望がもて、さらには自分よりも自分の子供が豊かな生活ができるという期待をもてるようにしたいと考えている。
私の考えているルワンダ人とは官吏などキガリ(首都)に住む一部の人ではない。ルワンダの山々に住むルワンダの大衆なのである。」
という言葉は誠に政治家として正しい態度で、少々政治の垢に汚れてしまっていた私の心を打った。今の日本で「自分よりも自分の子供が豊かな生活ができる」と考えている人は残念ながら少数派に思える。
また、同じ会談で服部氏が大統領に対して示した
「現実の問題として途上国の経済成長はなぜ遅いのか。私は日本の経済成長と、東南アジアの国の実情を見て、これはその国の社会経済の仕組みに問題があると思っています。国のなかで生産された富が一部の人の手に渡ってゆき、それがさらに生産を増すために使われるなら、富が富を生み、国の経済がますます発展するのです。しかし生産された富を手に入れた一部の人がこれを浪費すれば、富は富を生まず経済は停滞するのです。
もし国民のあいだに、身分や血縁関係などによらず能力のある者が出世できるような自由競争が行われていれば、富を下手に使ったり浪費するような人たちは早晩競争に負けて、能力のある人たちがこれにとって代り、 国の富を手に入れてそれをさらに生産に使うことによって再び富を生むという過程が始まるわけです。しかし国の制度でこの競争が制限されていると、富を浪費する人たちが階級化され、富の浪費が恒久化するのです。」
という言葉は時代を超えて、階級の固定化が指摘されている現代日本経済にも通じるような普遍的な価値を持っているように感じ、思わず膝を打った。
こうしたマクロ的な視点の一方で、ベルギー人からの「ルワンダ人は怠け者だから独立後コーヒーの生産性が落ちている」との指摘を受けて服部氏が現地調査をした際にルワンダ農民が言ったとされる
「昔は農民は一人何本コーヒーを植えなければならないと強制されていたが、そのうちこれが現金収入の一番確実な方法であることがわかり、コーヒーに力を入れるようになりました。しかし最近はコーヒーを売って現金が入ってもそれを使って買う物資がほとんどなく、物価も上っているので、コーヒーを作ってもつまらないと力をいれなくなりました。」
との返答は、働く側のインセンティブと、物価と、商品/サービスの供給の関係というものを非常に端的に表していると目から鱗が落ちた。現代日本の若者にも十分通じるところがあろう。頑張って働いても、給料が低いし、買いたくなるようなものもないから、仕事にそれほどの価値を見出せないのである。
今こそ思い出すべき経済の原理原則
もちろん今の日本というのは1960年代のルワンダに比べれば遥かに複雑であり巨大であるのは論を俟たない。しかしながら、当時のルワンダはシンプルな経済構造であったからこそ、こうした著書を通じて経済の原理原則というものがよくみて取れる、という側面があることは間違い無いだろう。
今の日本は恒常的な財政赤字であるが、国際収支は黒字を保っており、なんとか通貨の安定性を保てている。他方で、デフレ経済が慢性化し、少子高齢化で社会保障負担が膨らんだことで、現役世代が将来に希望を持てず、社会の活力が失われ、ややもすれば厭世的になっているように感じられる。
前政権はこれを「アベノミクス」と称するリフレ的な政策フレームワークで打開しようとしたわけであるが、結果を見れば失敗に終わったと言わざるを得ない。これを踏まえて菅政権が中央銀行とどのような関係を再構築し、何を目指すのか、を議論するにあたって、本書で示されたような原理原則に戻って考え直すことは非常に有用なのではなかろうか。
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