※この記事は2021年06月14日にBLOGOSで公開されたものです

元経産省官僚の宇佐美典也さんに「私が○○を××な理由」を、参考になる書籍を紹介しながら綴ってもらう連載。第10回のテーマは、DHC会長が昨年11月から同社ホームページ上に掲載していた差別的な文章について(現在は削除済み)。DHC会長はどうして差別的感情を持つに至ったのか、戦後の在日コリアンがおかれた理不尽な状況を振り返る一方で、今後の在日コリアンに関する議論のあり方について考えます。

DHCの吉田嘉明会長が4月、同社のHP上に「NHKは日本の敵です」などと書いた文章を掲載し、その内容に在日コリアンに対する人種差別的表現が豊富に含まれていたため、物議を醸すことになった。吉田会長による一連の差別的な文章は、昨年の11月から掲載され始めたが、5月31日夜に全て削除された。

掲載されていた文章の一例を挙げると、

「コリアン系は長い歴史の中で中国を常に宗主国としてきたから、宗主国のやることには逆らえないというDNAができている」 「特徴のある名前と突き出た顎、引き締まった口元、なによりも後頭部の絶壁ですぐに見分けがつく」

といった具合である。さすがにここまで根拠のない偏見に満ち溢れていると、引用しているだけでも気持ちが悪くなってくる。この文章をめぐっては、DHCと災害時のサプリメント提供に関する包括連携協定を結んでいた高知県南国市が4月、協定解消を申し入れるなど、複数の自治体が関係見直しに動いた。一方で、DHCに対して不買運動を展開する人も現れたが、Change.orgで展開された「DHC商品をコンビニから撤去すべし」という署名運動はそこまでの広がりを見せていない。

吉田会長の主張は極めて差別的で人権上問題があることは明らかなのだが、良い商品であればそれはそれとして消費するという、ドライなスタンスをとるのが日本の消費者の大半を占めているのであろう。アメリカではキャンセルカルチャーというものが一定の支持を得ているようであるが、日本ではそういうわけでもなさそうである。ただ個人的にはこういう形でも在日朝鮮人に対する差別が可視化され、論じるきっかけができたということを前向きに捉え、これからも続くであろうこの種の差別問題にどのように向き合っていくべきなのか考えてみたい。

「レイシストではない」と説明する吉田会長の認識とは

まずはもう少し吉田会長の思想を掘り下げると、本人は滑稽なことに「私はレイシストなんかでは全くありません」と述べており、その理由としてコリアン系の友人が多数いることを挙げている。さらに、プロレスや芸能界でコリアン系が多いのは問題なく、他方で国会議員、官僚や経団連所属の大企業など「日本の中枢」の主要ポストをコリアン系ばかりが占めていることが問題、という認識を示している。

ニューカマーを除くいわゆる「在日朝鮮人/韓国人」の特別永住者は、現在約30万人弱であるし、最も多い時期でも70万人程度で、「在日コリアンが日本の中枢を牛耳っている」という吉田会長の主張は到底事実とはいえず明らかに妄想の域に達している。他方で吉田会長の言い分で注目すべきは、芸能界やプロレス業界でコリアン系が多いことは全く問題ないと主張しているところである。

吉田会長は1941年生まれなので、こういう主張をするのはおそらく力道山のような過去の在日コリアンの国民的スターを漠然と好意的に捉えているからなのだろう。

ノンフィクションライターの高月靖氏による著書「在日異人伝」では、力道山をはじめ戦後日本の歴史に名を残した在日コリアンたちを紹介している。この本を読むと、第二次世界大戦前後の在日コリアンがどういう存在だったのか、生々しく見えてくる。

在日コリアンという事実が隠された力道山

同書によると1910年の日韓併合後、朝鮮は国権を失い実質的に日本の植民地となった。朝鮮人は本人の意思にかかわらず日本の国籍を持つ帝国臣民とされたが、法的に日本人と同等の立場が与えられたわけではなかった。また土地政策をはじめとする日本政府の急激な制度変更は朝鮮社会に混乱をもたらした。結果として言語も通じない朝鮮人が仕事を求め多数日本に渡航したため、当時の日本人は「異質な集団があたかも日本社会を侵食し始めた」ように感じ、彼らが独立運動を活発化させると日本政府に逆らう不届きな朝鮮人という意味で「不逞鮮人」という差別的な言葉が定着したという。これが吉田会長につながる在日朝鮮人差別の源流といったところであろうか。

こうした背景もあり、力道山こと百田光浩も朝鮮半島北東部の咸鏡南道(ハムギョンナムド)の出身で、1939年頃、その相撲の強さを買われて日本人に連れてこられたという素性だったが、生前はこの事実が隠された。当時は公式には「長崎県大村市生まれで喧嘩の強さを見込まれ相撲部屋に入門し関脇にまで昇格したものの、旧態依然とした相撲界に嫌気がさして髷を切ってプロレスの世界に飛び込んだ」という創作の説明がなされていたようだ。

周りから見れば力道山は戦前戦後で全く振る舞いが変わったらしい。戦前は“素直で相撲に熱心な若者”という印象だったのが、敗戦後は“親方や兄弟子に楯突き高圧的に振る舞う荒くれ者”のようになったという。朝鮮半島出身者への差別が当たり前の時代に、敗戦をきっかけに抑圧されていた感情が爆発したのだろう。

力道山は1951年、日本に帰化する道を選び、アメリカでのプロレス修業を経たのち、日本で一大プロレスブームを巻き起こすことに成功する。

敗戦に打ちひしがれていた日本国民は、力道山がアメリカの大男を空手チョップでやり込める姿に熱狂し、力道山は一躍国民的スターとなる。力道山が在日コリアンであったという過去は「日本国民の失望を招く」とされ公式には厳重に隠された。

力道山と親交があり、後にプロ野球選手となる張本勲が19歳の時に、ドアに鍵を閉めて部屋でこっそり故郷の北朝鮮の歌を聴きながら踊る力道山に「堂々と聴けば良いじゃないですか」というと、力道山は張本を殴りつけて「貴様に何がわかるか、わしらの時代は虫けらみたいに扱われたんだ」と怒鳴りつけたという。

野球解説者・張本勲の壮絶な生い立ち

ここで出てきた張本勲は1940年生まれと吉田会長と一つ違いであるが、彼の育ちも壮絶である。両親は1939年、一男二女を連れて広島県に移住してきた。そして翌1940年に張本勲が誕生する。

勲は4歳の冬に土手でサツマイモを焼いていたところ、バックしてきた三輪トラックに炎の中に突き飛ばされ、大火傷を負う。勲の右手は薬指と小指が三分の一ほどの長さになって癒着し、親指と人差し指も内側に曲がったままになった。行方不明になった運転手に治療費だけでも請求しようと、叔父は警察に捜索を懇願するが、警察は「なんだお前ら朝鮮人か」と言って相手にしなかったという。

姉の1人を原爆で亡くし、父親は一時帰国した朝鮮半島で命を落としたことで、勲は母子家庭で育てられることになった。このような壮絶な環境で育った勲は幼い頃から荒れに荒れまくり、喧嘩三昧で、相手に生死を彷徨うような重傷を負わせることもあり、青春時代に一緒に暴れていた親友の中には暴力団の組長になったものもいるという。

若い世代が前向きな意味で「在日コリアン」像を築く必要

張本氏の例にかぎらず、不条理に晒された在日コリアンが暴力に走ってしまうような事例は、残念ながら戦後まもない日本社会にはよくあったようである。吉田会長も本人曰く(誇張かもしれないが)相当な不良であったとのことだから、幼き頃に、力道山に熱狂するとともに、喧嘩に明け暮れる在日コリアンの様子を見て今のような認識につながる敵対感情を抱くに至ったのかもしれない。

これは私たちの世代にとっては「歴史」に近い話なのだが、吉田会長にとっては経験である。吉田会長が在日コリアンに対する差別的な言動を繰り返すようになったのは、いわゆる嫌韓言論が発達したここ10年強のことのようであるが、彼がこうした思想にのめり込むようになったのはそれ相応の背景、原体験があるのだろう。残念ながら今更吉田会長の頭の中を塗り替えることは至難の業であろう。

そう考えると過去に囚われた上の世代の極端な議論に対しては粛々と誤りと事実を指摘し、その滑稽さを可視化することがせいぜいできることで、より重要なのは若い世代が若い世代なりに前向きな意味で新世代の在日コリアン像というものを形作っていくことだと思う。振り返ってみれば2001年に映画公開され「テメェ等の世代で蹴りつけろよ」と上の世代に喝破した「GO」という作品はまさにそういう作品であった。今でも在日コリアンの友人と「GO」こそがこれからの時代の在日のイメージの出発点になりうるもののはずだったよな、などと話すことがある。ただ実際にはなんとなく在日コリアンの新しいイメージというのはそこで停滞してしまっている気がする。

前述の通り、在日コリアンが年々減少し続けて明らかに状況は変化しているにもかかわらず、むしろ最近なんだか在日コリアンに関する議論が先祖返りして過去のテンプレートのようなものになっているようで誠に残念である。

【訂正】Change.orgで展開される「DHC商品のコンビニからの撤去、および同社との取引中止を求めます」という署名運動について「目標達成まで時間がかかっている」という表現がありましたが、実際は当初目標を達成しており、編集部の編集上の確認ミスによる誤りでした。お詫びして訂正いたします。(2021年6月15日14時10分)

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