歓声のない拍手に感動…コロナ禍の東京競馬場で実際に安田記念を観戦してきた - 村林建志郎
※この記事は2021年06月13日にBLOGOSで公開されたものです
競馬は、競馬場で見るのが最高だ。
2021年6月6日、私は東京競馬場でそう痛感した。東京競馬場を訪れたのは一度や二度ではないが、 芝とスタンドを目の当たりにした瞬間「うおおおおお」と叫んだのは初めてだった。
日本ダービーの前日、私のもとにある一通のLINEが届いた。普段から競馬やプロ野球、Jリーグのことなどでやり取りをしている知人からだったのだが、なんと東京競馬場の事前抽選に当選、2枚分当たったというので私を誘ってくれたのだ。ちなみに彼は私と誕生日が同じで、しかもともに左利きというちょっぴり気持ち悪い縁があるのだが、やはり持つべきものは友だと痛感しつつ私は二つ返事でそのLINEに「サンキュー」と返信した。
春のマイル王を決めるGⅠレース「安田記念」。私にとっては2019年の「天皇賞(秋)」以来となる競馬場での観戦となったわけだが、ここからは当日の競馬場の様子をお伝えしていくこととする。尚、掲載している写真はすべて私が撮影したものだが、私は撮影のセンスのなさが天下一品だ。そのセンスの酷さを心の中で容赦なく嘲笑しながら読んでいただけると幸いである。
GⅠの熱狂は、競馬場に着く前から始まっている
とりわけ東京競馬場でのGⅠ観戦は、競馬場に到着してから始まるのではない。競馬場へ向かう道中で既に始まっている。
首都圏にお住いの読者は新宿駅から伸びる京王線という電車をご存知だろう。東京競馬場へはこの京王線一本で行けるのだが(厳密には東府中駅から競馬場へ行くためだけにある京王競馬場線に一度乗り換える)、私の中では、この車内にいる時点で既にGⅠの熱狂は始まっている。前回の記事(「すべてのホースマンが夢見る競馬の祭典~第88回日本ダービーがやってくる~」)でも触れたように、GⅠの日は特に京王線の車内で競馬新聞を手に握っている人が散見されるため、彼らを見た瞬間私の競馬熱は高揚し始める。
京王線沿線に私の通っていた大学の最寄り駅があるのだが、数年前の楽しかった日々を懐古しながら京王線に揺られること約50分。「府中競馬正門前」という駅で降りれば改札の目の前で東京競馬場が私を出迎えてくれる。
感染対策に万全を期し、いざ場内へ
駅を出ると競馬場内へと繋がる歩道橋があるのだが、それを渡ったところで入場券の引き換えを行う。当選者である知人が手続きを済ませて2人分の券を手に入れたら、まずは検温と消毒。抜かりなく感染対策を施したところでようやく入場だ…と、ここで一つ気づいたことが。
入場券がいつもと違うのだ。GⅠの日は例年、そのGⅠレースの前年の勝ち馬を掲載した素敵な入場券が配布される。だが今回は、言い方は悪いが普通の券だった。コロナ禍になってからの特例措置なのかもしれない。
場内は制限中ということもあり人が少なく、実に歩きやすい空間だった。東京競馬場は子どもから大人まで楽しめるオープンな場所で、しかもなかなか綺麗だ。今回の人の少なさは、そのゴージャスな雰囲気を持て余しているように見受けられた。馬券の購入・払い戻しをするスペースも、普通ならば競馬新聞を握りしめたおじさん達が群れを成してレースの戦況を見守っているところだが、そのおじさん達の姿が全くない。レース後も払い戻しに来る人達がなんと少ないこと。ネットで馬券を購入している人も多いだろうが、それにしても自分が想像していた以上の殺風景ぶりに、些か寂寥感を覚えた。
間近で馬を見られるパドック
競馬場にはパドックという場所がある。ここでは、レースに出走する馬の直前の状態を間近で見て確認することができる。パドックでの状態を考慮して予想を調整するファンも中にはいるだろう。
また、パドックは、初めて訪れた人にとっては些か独特に感じるニオイが漂っている。馬の馬体そのもののニオイだけでなく、馬が周回中にするウンチ(※競馬用語で「ボロ」という)のニオイなど、様々なニオイが混ざり合っているのだ。この日はマスクをしていたことに加え、一時雨が降っていたこともあってか、控えめだったように思う。また、地面にはソーシャルディスタンスを保つための目印が刻まれていた。スタッフの方が巡回していたことも影響したのか、それぞれが目印に従ってパドックを見つめていたが、改めて遠巻きに見ると結構な密に見えなくもない。
そして、パドックでの周回を終えた馬たちは、地下馬道という道を通ってコースに入場するのだが、地上波などで競馬中継を見ると、メインレースに出走する馬がこの地下馬道を歩く様子が流れる。地味なシーンではあるかもしれないが、私はこの瞬間がなかなか好きだ。地下馬道は普通の人は入れないため、中継ならではのシーンなのだ。あと馬が可愛い。
1年半ぶりの生ファンファーレ 歓声のない拍手に感動
東京競馬場のスタンドはパドックの反対側にあるため、パドックでの確認を終えた観客は皆一様に場内に戻り、スタンド方面へと歩き出す。中には走っている人もいる。できるだけ理想的な場所でレースを見るためだ。
そして馬券を購入するスペースを通り過ぎると、徐々に緑色の芝が見えてくる。この時の私は恐らく少年のような瞳をしているだろう。歩みを進めるたびに近づいてくるコース、そしてスタンド。私が「うおおおおお」と叫んだのはまさにこの瞬間だ。鼓動の高鳴りに呼応するかのように、知人とともに大きな声をあげてしまったのである。
そして辿り着いた、約1年半ぶりの東京競馬場の風景。
壮観だ。独身の私が言うのも変だが、彼女と眺める夜景なんかよりも素晴らしい風景だ。曇天など知ったことか。
スタンドも感染対策としてソーシャルディスタンスを保つための目印が施されており、パドック同様それに従う…かと思いきや、やはりレースの瞬間だけはそうはいかず、若干距離が詰まっていたように思う。だが、それもご愛敬。
私が競馬場の風景に見惚れている間に、安田記念の出走馬がコースへと入場してきた(※本馬場入場という)。発走が近づくに連れて私は知人と何度も「緊張してきた」という言葉を口にしていたのだが、この時私の緊張は最高潮だ。手汗どころか脇汗も酷かったと記憶している。恐らく熱帯雨林に囲まれたマレーシアよりも私の脇の方が遥かに高い湿度を誇っていただろう。
出走の際はスターターといわれる人がスタート台に上がり、赤い旗を振って合図を出す。その瞬間、始まりのファンファーレが響き渡る。
当然だが、声は出せない。
拍手することでしか、思いを表せない。
もしコロナ禍じゃなければ、溢れんばかりの観客とともに、マスクなどせずにファンファーレに合わせて歓声をあげ、夢中で拍手をし、極上の安田記念を謳歌していただろう。それでも、たくさんの競馬ファンとともに同じ瞬間を分け合い、安田記念を楽しめていることが、私は嬉しかった。歓声のない拍手は、コロナ禍においてもルールを守り競馬を楽しんでいることの証なのだ。
レースは圧倒的1番人気のグランアレグリアが2着に終わり、大外から強烈な脚で差してきた8番人気のダノンキングリーが初のGⅠ勝利を手にした。
私が本当に求めていたもの
知人とは明大前駅で別れ、私はそのまま新宿へ向かい総武線で帰路についた。その道中、競馬場で過ごした時間をぼんやりと思い返していた。
2019年10月27日を最後に、私はすべての競馬のレースを画面越しに見ていた。たしかに多くの名シーンが生まれ、多くの名馬が引退し、多くの伝説が誕生した特別な日々だった。もう二度とそのような特別な日々は訪れないかもしれない。
だけれども、だ。
私が心の奥で本当に求めていたのは、疾駆する馬やターフの緑、そこにいるひとときを楽しむ競馬ファンの笑顔、それらすべてを含めた競馬場の風景であり、それを余すことなく自分の瞳に映し出すことだったのだ。洒落臭いと言われるかもしれないが、これが私の中の真実だ。
そしてこの感動体験は、コロナ禍にしか味わえないものである。
競馬に限った話ではないだろうが、スポーツやライブ、演劇などの様々なエンターテインメントは、どうしたって現地で見るのがいい。そんなことは百も承知だ。中止や延期に追い込まれるイベントが多いこのご時世だからこそ、一度も止めることなく競馬を続けてきたすべての関係者に、改めて感謝の気持ちが込み上げてくる。
当たり前だったあのGⅠの風景、競馬場の風景がいつ戻ってくるかは誰も分からない。2022年になるかもしれないし、もっと先になってしまうかもしれない。下手すれば、一度も観客の拍手を聴くことなく引退してしまう馬だっているかもしれない。そんな不確かな未来を目の前に私たち競馬ファンができることは、毎週訪れる競馬の日を一日一日大切にし、たくさんのレースにおいて全力で一喜一憂することなのだろう。
そんなことを考えながら帰宅し、録画していた安田記念を見返し、スタンドにいる自分の姿が小さく映っていることを確認し、本記事の原稿を書き始めたのだった。
最後に。大切なことなのでもう一度記しておこうと思う。
競馬は、競馬場で見るのが最高だ。