安全のために思い出を壊せるか? - 赤木智弘
※この記事は2018年06月23日にBLOGOSで公開されたものです
6月18日に発生した大阪北部地震。22日の時点で5名の死者と400名以上の負傷者が出てしまった。
死者が発生した事故の中でも、小学校のプール沿いのブロック塀が崩れて小学生が下敷きになった事故は衝撃を持って受け止められ、全国各地の小中学校でのブロック塀点検が行われ始めた。その結果、全国各地で安全基準に違反するブロック塀が発見されているそうだ。
阪神大震災以降、小中学校の耐震工事は最優先として行われてきた。なので、まさかブロック塀の耐震化というごく基本的なところが蔑ろになっているとは思わなかった。
「地震が起きたらブロック塀のそばを歩いてはいけない」というのは、防災知識のイロハのイに数えられると思うのだが、基準に違反しているブロック塀のある学校では、どういう顔をしてこれを教えてきたのだろうか?
といっても、そもそも違反しているという認識がなかったわけで、どういう顔もなにもなく、ただ自分のところのブロック塀は安全だと思い続けていたのだろう。
死亡事故につながった高槻市立寿栄小学校のブロック塀は、3年前に専門家が危険性を指摘。しかし教育委員会側の資格を持たない職員による、ずさんな検査(*1)で「安全が証明されてしまった」結果が今回の事故につながったのである。
この件の報道では「目視しただけ」と、さも目視イコール手抜きのようなイメージになっているが、少なくとも「控え壁がない」というのは、目視でも明らかなので、実際には「知識のない人が眺めただけ」であり、目視されたという事実すらなかったと言っていい。実際に見たのはヒビが入っているか否か程度だったのだろう。
では、そのずさんな検査をした職員が悪いのかといえば、どうやらそうではないらしい。これまでにも3年に1度の法定検査が行われてきたが、専門業者もこのブロック塀を見逃していたという。(*2)
それにしても、法的点検の記録があるのに、その記録に対する「業者の記憶があいまい」というのは、さっぱり意味がわからない。記憶に頼らないために記録をするのであり、記録の意味を記憶に頼るなら、それは「記録されていない」のと同じである。
こうした教育委員会と専門業者のずさんな対応によって子供が犠牲になってしまったことに、本当に胸が痛む。
さて、彼らのずさんさは今後いくらでも吊し上げてもらうとして、1つ重要な指摘をしておきたい。
それは、あのブロック塀に書かれた「絵」の存在である。
今回の事故を受けて、全国の小中学校に現存しているブロック塀の確認が急務とされている中、東京武蔵野市の小学校では、早速ブロック塀の取り壊しが決まったという。(*3)
報道の中では「15年ほど前に、卒業記念として子どもたちが絵を描いた」ということが感傷的に扱われている。
もし、高槻市での事故がなかったとして、武蔵野市において、この危険性のある壁を「取り壊す」という判断は行われただろうか?たとえ、学校や教育委員会の職員が「危険なのでは?」と気づいたとしても「子どもたちの思い出」を理由に、取り壊しは行われなかったのではないだろうか。
崩れた高槻市の小学校の壁にも、絵が描かれていた。このことについて、2013年に高槻市の濱田市長がFacebookに記事を残しており、「地域、保護者、学校等が力を合わせて描いた作品」「下方のお花畑のお花は、児童達の「手形」」と紹介されている。(*4)
こうして「地域の特別なモニュメント」として存在したブロック塀を、事故が発生する前に、人々の想いを無視して、教育委員会や専門業者が取り壊すという判断をすることは、現実的に可能だったとは、僕にはとても思えないのである。
危険性を指摘することは、ある意味「空気を読まない」ことでもある。空気を読むのが大好きな日本人にとって、みんなが壊してほしくないと思っているモノの危険性を指摘することは苦痛でもあろう。
しかし、それをするのが「点検」の意味であり、安全基準などが数値で決められている意味でもある。空気で流されるようでは、点検は意味を持たないことを自覚して欲しい。
そして、この手のモニュメントを作ろうとする人たちは、そこにいかなる想いが込められていようとも、必要に応じて壊されることがあるということを自覚して欲しい。
モニュメントの存続よりも大切なことは、他にも山程ある。モニュメントを作る子どもたちに、そう教えることができないのであれば、モニュメントを作るべきではないと、僕は考えている。
*1:【大阪北部地震】ブロック塀、資格のない職員が点検 目視し棒でたたいただけ…高槻市教委謝罪(産経WEST)
*2:倒壊した塀の点検結果「業者の記憶があいまい」高槻市長(朝日新聞デジタル)
*3:思い出のブロック塀を取り壊し 東京・武蔵野市の小学校(TOKYO MX)
*4:今日の昼、寿栄コミュニティセンターに招かれたのですが...(濱田剛史 Facebook)