生きづらさを感じる人々17 先生の言葉をきっかけに自殺未遂 現在でも呪縛となる~弥生の場合 - 渋井哲也
※この記事は2018年06月07日にBLOGOSで公開されたものです
ある言葉が呪縛のようについて回ることがある。それが自分がこだわり続けてきたものと重なると、さらなる心理的な負担になる。
看護師の弥生(20代中盤、仮名)は、看護学校時代に講師から言われた心ない言葉をきっかけに、「死にたい」と感じるようになった。その言葉は弥生にとって、生きる意味を否定されたことと同じだった。それが今でも耳から離れない、という。
2年前、除草剤と睡眠薬を飲んで自殺を試みる
2年前の4月、弥生は救急外来を受診した。死のうとして、ホームセンターで購入した除草剤と、精神科で処方されていた睡眠薬をあわせて飲んだからだ。遺書も数週間前に書いていた。
「きっかけはよく覚えていません。何かはあったとは思うんですが、死にたいくらい辛かったんです」
薬を飲んだ後、どのくらい経ったのかはわからないが、同居していた母親に見つかって、119番に電話された。12時間ほど眠り続けたが、目が覚めて、「死ねなかった」と落胆したという。そのときベッドの側には母親がいた。
「医師から24時間か、48時間後に急死する可能性があると言われたんです。『除草剤を飲んだので、親がついていてほしい』とも言われました。48時間を過ぎても生きていました。結果的に、生きていてよかったと思います」
自殺未遂のきっかけになった「あなたは看護師になれない」という言葉
弥生が自殺を試みたのはこのときが初めてではない。看護学校3年生のときにも未遂をした。看護学校の教員に「あなたは看護師になれない」と言われたためだ。看護師に憧れ続けていた弥生は、絶望的な気持ちになった。
「ずっと看護師になりたかったんです。身近に看護師がいたわけではないですが、なぜか、ナースキャップに憧れていました。
看護師になることだけが生きがいで、自分のアイデンティティでもありました。そのためだけに生きていたようなものです。そんな時に、『看護師になれない』と言われてしまったんです。それから生きるのが辛くなりました」
看護学校の教員の一言で自信をなくした弥生
なぜそんなことを言われたのだろうか。
「もしかすると、そのときすでに鬱っぽくなっていたのかもしれません。それが原因で集中力がなくなっていました。勉強も手につかず、ぼーっとした状態だったからでしょうか」
ただ、うつとは自覚していなかったようだ。当時のブログには以下のように書かれている。
抑うつ気分と希死念慮が何度も繰り返される
もしかしてやっぱうつかなぁ?と考えたりもしたが、これらの症状はよくある一過性の月経前症候群によるものだと判断し、やっぱり放置する
自分に限ってうつは絶対にあり得ないと考えた
うつ状態でありながら、全否定された言葉を言われる。なおさら、うつ状態が悪化して、死に向かってしまってもおかしくはない状態になっていったのだろうか。
「死にたくなりました。寮に住んでいたのですが、門限を破って、河原で遺書を携帯電話で打っていました。そのとき、探しに来た寮母さんに見つかり、寮に連れ戻されることになり、持っていたカミソリで首を切ったんです」
遺書を打ち終わったら、橋から飛び降りることを考えていた。計画的に自殺をしようとしたわけではないので、その場所を選んだのは突発的だった。
カミソリで首を切った跡は今でも若干、残っているが、言われなければわからない程度だ。このとき、寮母は「やめなさい」といい、カミソリを取り上げた。寮に戻ると、同級生が泣きながら介抱してくれたのを覚えている。
「(看護師の)国家試験が近いのに、私を手当てするために時間を取らせてしまった。本当に申し訳ないと思いました。ただ、ほっといてほしいわけでもなかったんです。多分、心のどこかで、誰かには見つけて欲しかったんだと思います」
「看護師になれない」と言われる以前に、なぜ、うつ状態になっていたのだろうか。
「母が言うのは、看護学校2年生のときではないかと。そのときに、車にはねられたことがあったんです。母は『あのときからなんか変だ』と言っています。『あのときから自分を責めるようになった』と母は言っています」
他の看護学生と自分を比べて、自信を失ってしまった
どういうことなのか。
「今思えば、事故で悪かったのは運転手です。でも、その当時、『私が悪かったんです』『私が悪かったんです』...とずっと言っていました。もしかすると、すでに鬱っぽい傾向で、(注意力が欠けていたため)車にはねられたのかもしれませんが...」
事故の背景に、鬱傾向があったとすれば、いったいその理由は何か。
「先生に言われる前から、『自分は看護師に向いていないんじゃないか』と思っていたんです。実習はすごく辛かったんです。すごく怖い看護師がいて、言い方が怖くて、いろいろと突っ込まれることが怖かったんです」
また、他の学生と比べてもいた。
「周囲の学生と比べて、自分が劣っているのではないかと感じていました。同学年の子たちはこなしているように見えたんですが、私は全然できない。
実習記録を書くのはすごい大変で、みんなが毎朝提出していた。私は出せないでいました。提出物が滞って、先生に怒られていました。おいていかれると思ったんです」
看護の実習はたしかに大変ということを耳にする。みんながこなしているように見えた弥生だが、例えば、提出物の内容を見せてもらうなど、きちんと確認していたわけでない。自分の中だけで、「私だけがこなせていない」と見えてしまったのかもしれない。
母が嫌いだった中学時代 生きづらさを感じるように
弥生が生きづらさを感じるようになったのは中学時代だ。母親への感情がその由来のようだ。
「当時、母のことが嫌いだったんです。その理由は覚えていないんですが、とにかく嫌いだったんです。その母から自分が生まれたと思うと、嫌な感じがしたんです」
生来的な嫌悪感なのだろうか。それとも何か理由があったのか。そこまで嫌っているのに、理由を忘れてしまっているのは、封印したい記憶があるのか、それともうつ状態のために記憶が曖昧なのかはわからない。しかし、今はそこまで嫌っていない。感情が変わったのは理由があったのだろうか。
「私が小学生のときに父親と離婚しました。父が今、何をしているのかはわかりません。その後、母子家庭になるのですが、母は、きょうだいのために一生懸命、働いてくれたから、母を嫌いではなくなったんでしょうね」
こうした母親への感情は、看護学生のときや看護師になってからの自殺未遂と直結するものなのだろうか。
「いえ。母への感情と未遂は直結しません。もちろん、生きづらさは感じていましたが、死にたいとは思っていませんでした」
生きづらさを感じた人たちの中には、その複雑な感情を何らの行動に移す(行動化する)ことがある。弥生は何か、行動化したのだろうか。中学時代だけだが、自傷行為をしたというのだ。
「安全ピンで顔や腕をガリガリする程度で、血が出るまではしませんが、自傷行為をしていました。痛みを感じてはいません。意識が乖離していたわけでもないです。痛くない程度にしていたんです。高校のときはしていません」
何かの出来事があり、そのトラウマが消えずに、生きづらさが重なって、自殺を考え、実行に移す人もいる。しかし、弥生の場合は、一つ一つの出来事が積み重なるようなストーリー付け(物語化)はしていない。
自殺を試みた看護学校時代の行為、看護師時代の行為は、高校生までの生きづらさの感情とは切り離されている。ただ、入院の前後は、リストカットが再発。その後も繰り返した。
「もちろん、ずっと自信がないし、自信を持てていません。看護学校のときの未遂は、それまで積み重なった生きづらさはあったとは思いますが。先生の一言がきっかけになったのは間違いないです」
看護師に「本当になっていいの?」と感じる
“看護師になれない”と言われ、未遂をした弥生だが、国家試験に合格し、看護師として病院に就職している。そのことをどう感じているのだろうか。
「あのとき言われたのに、看護師になってしまいました。本当になっていいのか、って思います」
看護師になってからも抗不安薬を過剰に飲み、アームカットをした。一時的に休職もした。ただ、現在は「死にたい」とは思ってない。通院している精神科の処処方があっているようだ。
「今は落ち着いています。最近、処方を変えた抗うつ薬があっている感じがします。その薬を飲み始めて、調子が良くなりました。処方もあっているし、主治医とも相性がいいんです」
未遂から一年以上が経った17年10月、神奈川県座間市で男女9人の死体遺棄事件が起きた。ツイッターで知り合った女性を白石隆浩容疑者が殺害したとみられている。女性たちが白石容疑者に会いに行った。そうした女性たちの心情を理解できるという。
「自分も死にたかったですからね。でも、死にたいと思っていても、実際に行動に移せる勇気がなくて。私の場合は、『死にたい』というよりは、『生きていたくない』と思っている。
今は落ち着いているので、そこまでは考えないのです。でも、(死にたいと思うのと、落ち着いていることが)何回も繰り返しています。これからそうなるかもしれないです」
「自信を持って」と言われても、なかなか持てるようにならない
弥生は看護師になって、5年経っている。看護学校時代に「あなたは看護師になれない」と言われたことをどう受け止めることにしたのか。
「今の主治医は、『もう看護師になれたんだから、自信を持ちなさい』と言ってくれます。ただ、望みが高いと言われています。上司の看護師にも悩みを相談するのですが、『お前は、自己評価が低いくせに、望みだけは高い』と言われてしまいます。「もっとやらないといけない」と思うこと自体は悪いことではない。弥生にとって、それが職能を高める理由になればいい。
でも、自信がないんですよ。やれているとは思えない。やっぱり、あの言葉が付いて回っているんです。『もっとやらならなきゃ』『これをやらなきゃ』『あれをやらなきゃ』って思ってしまうんです。それが当然と思っているから」