※この記事は2018年04月25日にBLOGOSで公開されたものです

財務省事務次官だった福田淳一氏の辞任が閣議で了承された。

昨年、天下り斡旋の違法行為の責任をとって引責辞任した元文部科学省事務次官・前川喜平氏に続くものだが、こんなことは前代未聞だろう。だいたい財務省に至っては、1ヶ月前にNO.2の国税庁長官だった佐川宣寿氏が依願退官したばかりだ。正直言って、同じ政権で立て続けにこんなことが起こるなんてこと自体が異常事態だ。いやいや、普通に考えたとしてもあり得ないことが、この国の〝中枢〟で起こっていると言っていい。

しかも、福田氏なんてのは〝セクハラ〟である。どんな理由や事情があったにしても、巷では〝官僚の中の官僚〟とか言われる「財務省」のトップの去り際としてはあり得ないことだ。「情けない」の一言だ。

だいたい、セクハラ疑惑の渦中にいる福田氏は、真実を「裁判で決着つける」としていて、会見では「(公表された録音の声が)自分の声なのかどうかわからない」と言いながらも「あんな酷い会話は覚えていない」とか「(会話の)全体をみればセクハラに該当しないのは分かるはず」とセクハラを否定している。

だけど、ごく一般的な視点で…ここは録音の声が福田氏だという前提で言うなら「抱きしめていい?」とか「胸触っていい?」なんていうワードを使っていること自体、今の時代にちょっと言い逃れは出来ないのではないかと思ってしまう。

とはいっても、福田氏が、ここで「はい、すみませんでした」なんて(セクハラを)認めちゃったら、目の前にある5300万円とも言われる退職金も貰えなくなるかもしれないし、何より退官後の天下りだって難しくなる。それこそ、愛犬のトイプードル〝クッキーちゃん〟との散歩だって、これまでみたいに出来なくなるかもしれない。失うものは大きい。

脇が甘すぎた福田事務次官

それにしても、麻生太郎財務大臣から〝愛い奴〟と可愛がられていたからかどうかは分からないが、トップまで上り詰めるほどの百戦錬磨の福田氏にしては実に脇が甘過ぎる。あるいは、アルコールが入ると気が緩むのか?どっちにしろ、テレビ朝日の女性記者が、よっぽどお気に入りだったのだろう、彼女の気持ちも読めないほどに気持ちが麻痺していたのか?もしかしていたら、「この女、俺に気があるのかも…」なんて、その場の雰囲気で年甲斐もなく勘違いしちゃったなんてことも…。

きっと彼女は福田氏が次官に就任して以来の〝番記者〟だったのだろう。最初からの担当であるなら気を許すのは、なんとなく目に見える感じがする。

1年半ぐらい前というと〝番記者〟にとっては森友、加計問題が騒がれる中、次官である福田氏との接触(取材)は何よりも最優先していたはずだ。もっとも、その時の他局、他紙の記者のことは分からないが、テレ朝のその女性記者は、少なくとも1対1で会うことが出来る立場だったことは分かる。

もっとも、いくら記者で仕事だとはいっても、気の乗らないことや、嫌なことはある。それこそ生理的に気の合わないことだってあるかもしれない。だけど、せっかく〝お近づきに〟なれたのだから、そりゃ会社の上司も「そこは我慢しろ」「何かネタを取ってこい」となるだろう。「もし、そうだったら会社がパワハラをしているのと同じだろう」なんていう声も出て来そうだが、この世の中、仕事で、そんなことを言える人はどれだけいるのか?それに記者は、ある意味で「専門職」でもある。それに記者が嫌だったら、とっくに辞めているだろう。やっぱり我慢は必要だ。

そういった意味では彼女は「頑張って来た」のだと〝推測〟出来る。いずれにしても、その後のことは「結果論」である。もちろん、そこには「結果責任」というのもあるのだが、基本的にマスメディアの取材活動については積み重ねの中で徐々に改善していくしかないのだと思う。

問われる録音の是非

ただ、身を守るために「録音を録った」ってのは、正直言って、「どうだかなー」と思ってしまう。私の場合は、インタビュー取材でしか録音する習性はないが、今や、大抵の記者が録音をしている。いや、録音されていると思うのが常識だろう。記者会見やぶら下がりなんか見ていても、テーブルや床にはテープレコーダがズラッと並んでいるではないか。そんなのはテレビを見ていたら分かる。

「録音していいですか?」なんて最初に断るのは、今時はスポーツ紙の芸能記者とかぐらいで、週刊誌やテレビ局の記者は、当たり前のようにICレコーダを回している。かの下村博文元文部科学相は、そういった録音について「ある意味で犯罪」と意見したというが、今の時代、政治家も役人も「言葉」を軽く思っているし、何より責任を持っていないので、場合によっては「言った言わないで、揉めることが多い」。なら「証拠は残しておけ」ということになる。もちろん、正確を期す意味においても録音は重要なのだろう。

確かに、メモ書きだと「ニュアンスが違う」なんていわれることもある。〝提灯記事〟なら問題はないが、そうでなければ、いまの時代は何かとトラブルになりやすい。そういったことを考えたら、福田氏との対話は、記者である以上は当初は、セクハラから「身を守る」ことの前に、まず「取材記録」として全てを録音していたはずである。ま、どっちにしても〝身を守る〟ことにはかわりはないが…。

それに、下村氏は「盗み撮りしたものを週刊誌に…」と言っているが、今回の場合は、福田氏のセクハラ発言の録音を週刊誌に渡したのであって、その会話の中に、たまたま「森友」とか「安倍昭恵」という文言が含まれていたということだろうから、そういった批判には該当しないと思う。

しかし、福田氏を擁護する人もいるわけで、今回のことを快く思っていない人たちにとっては「盗み撮りは犯罪」だと叫ぶ人が多いはず。世の中、そんなものである。

いずれにしても、こういったことがハッキリと出てしまったら、今後は、取材対象者の中には不信感を抱く人も出て来るはずだ。だけど、こういったことで取材する側も、される側も適度な緊張感を持つキッカケにはなっていくだろうから、それはそれで、いいことなのではないかと思う。

女性の社会進出で変わってきた「男社会」

ところで、「女性の社会進出」と言われる昨今だが、政界は、何だかんだ遅れているが、メディア側…テレビ局、新聞社、さらには出版社では女性の現場進出が実に目立ってきた。フリーライターにしても女性は目立つ。テレビの芸能レポーターなんか見ても、かつては男が多かったが、最近は女性ばかりである。

そういった意味で考えると、こういった仕事は女性に適しているのかもしれない。もっとも、最近は男よりも女性の方が好奇心旺盛だから当然かもしれないが、もしかしたら長い間「男社会」だったところに、女性が進出してくると、逆に、男は仕事を回しづらくなるような部分が出てくるのだろう。しかし、そういった時代の趨勢に気づかないでいると、取り返しのつかないことになる。

今回、福田氏にしても、結果的には〝セクハラ〟が辞任の理由になっているが、実際には省内の女性職員からの批判が高まったことで「(省内の)仕事が回らなくなってしまった」というのが大きな要因らしい。なるほど、官僚社会は、これまで「男社会」と言われて来たが、気づいたら、ジワジワと、その現場には女性進出の波が押し寄せていたのかもしれない。

政界は、まだまだ女性議員は少なく「男社会」である。野党の女性議員にしてもパフォーマンスには熱心だが、世の中に対して大したアピールにも何もなっていない。それだけに麻生財務相のような無頓着な発言が出てくるのだろう。が、そういっていられるのも今のうち。もはやカウントダウンだろう。

日本で〝セクハラ〟という言葉が出てきて30年が経つらしいが、時代の流れは、良くも悪くも日本社会の中で変革期を迎えているのかもしれない。まさに〝明日は我が身〟である。