※この記事は2015年03月24日にBLOGOSで公開されたものです

高橋正嘉(メディアゴン)

かつてNHKの人と会うと「民放は良いですね」、といわれた。あながち社交辞令だけではないだろう。そのときは人数の話だった。取材スタッフが民放のほうが多いというのだ。NHKは最少人数でやらなくてはならない。確かにタレントが行けばメイクや衣装も一緒に行動することもある。そういうケースもあったかもしれない。だがそのときはやはりNHKのほうが恵まれていると思った。それは時間だ。一本にかける時間がまるで違う。確かに人数は少ないかもしれないが、一本に一月どころが、何ヶ月も、あるいは一年も掛けたりする。これは勝負にならない。実に羨ましいと思ったものだ。制作費にカウントするものが違うのだろう。外に出て行くお金は使えない。しかし出て行かないもの(NHKの内部でまかなえるもの)は使える。たとえばスタッフにかかる費用は出て行かない。機材もそうだ。だから、時間をかけることができる。
民放ではそういうわけには行かなかった。とにかく忙しい。何とか決着をつけて放送しなければならない。間に合わせる、その連続だったような気がする。

今、テレビの制作マンにとって受難の時代だ。ますます働く環境は悪くなっている。一本の制作単価が低くなっているからだろう。だが、NHKはテレビマンになりたい人にとっても人気がある。働く環境は民放ほど悪くはなっていない。
時間を掛けた番組、それは民放ではますます難しくなっている。お金の面もあるかもしれない。しかしそれよりひとつの企画を何年も維持していくシステムがもうなくなってしまっているような気がする。たとえ担当が替わっても企画だけは行き続けていくシステムが存在しない。
今、NHKにそのパワーがあるのかは知らない。だがかつてはあった。
たまたま見たNHKの番組に南米に移民する人々を乗せたアルゼンチナ丸の乗客を追ったドキュメンタリー番組があった。当時は印象に残る番組だな、くらいの印象しかなかった。だが、その番組を強烈に感じたのはその10年後に移民船の乗客のその後の10年を追いかけた番組を放送したからだ。調べてみると最初の番組は昭和43年のことである。その10年後昭和53年にまた放送された。私自身ももうテレビの仕事に入っていた。そしてその10年後またこの番組を見る事になる。最初の移民の年、それから10年後、更にその10年後と人生が大きく変わっていくことが長期取材によって描かれる。最初の成功者がそのまま成功を続けるということはない。成功しなかったものはその後の生活は撮られたくないと願う。それが映像を見ているとわかる。逆に最初成功せずに辛酸をなめるものが10年、そして20年経つうちに地道な生活を送り、成功していくという例もあった。その人生模様が面白い。その中には三井三池炭坑の組合員もいた。彼はブラジルで生活をし、辛酸を舐めるが、何とか成功し、ドラム缶の風呂を作り、炭坑節を歌う。その泥臭さがなんとも生きている実感を表現していた。
日本に戻ってきている人もいた。それも執拗に追いかけていた。駐輪場で働いていた。何とか自分の人生を肯定しようとし続ける。 それぞれの登場人物にその場その場で精一杯の生活があった。

結局このシリーズは30年追いかけることになるのだが、これだけ続くパワーがどこにあったのか、それが知りたい。一人変わった名物ディレクターがいた、そのことだけで実現するのか? 確かにこのディレクターはその後『電子立国』シリーズなども手がけご自身で出演もされた名物ディレクターである。
組織があるからこんな長大な番組を作ることが出来る、こういう考え方もある。だからそんな組織が必要だということになる。だが、この考え方はやはり間違っているかもしれない。名物ディレクターがいればさまざまな壁を越えていくのだろう。あいつがやってるのだから仕方がない、と。今名物ディレクターを許容する組織もなくなっているのかもしれないが、組織にぶつかる名物ディレクター自体が生まれなくなっている可能性もある。

今、名物ディレクターはどこで生まれるのだろうか? NHKか? 民放ではどうだろうか? 生きにくい時代だからフリーの中にそんな人がいるのかもしれない。
フリーのディレクターは民放でもNHKでも数多く働いている。彼らにとって放送するのがどの放送局かということは実は大きな問題ではない。自分の意図していることをどれだけ自由に作らせてくれるか、ということが大きな関心である。企画が通らなければ話にならないが、通った後、いかにそれが作れるかということだ。
チェックがないということを求めているわけではない。チェックがないはずはない。要は面白い番組にしたいと思っている。有用な意見は聞きたいのだ。チェックが有用な意見になるのかが、一番の問題だ。

仮にフリーの人間がNHKで一本番組を制作することになった場合、放送するまでには実に多くの人間と接することになる。当然チェックも増える。だが、これが問題なのではない。問題があるとすればぶれることだ。うるさくても理屈がわかれば対処が出来る。だが、立場が違う人が出てくると、意図が変わり、ぶれていくことがあるとすれば一番の問題なのだ。編集の過程で捨てていったものの中にもう一度宝物を探さなくてはならなくなる。これが消耗していく原因を作る。散々議論してきたことが立場の違う人が出てくることでそっくり元に戻ったりしてしまう。
かつては企画書を作り、企画が通ると番組を制作し、納品するという形が多かった。それはNHKも民放も変わりはない。しかし最近は局の中に入りますます一緒になって作ることが多くなった。打ち合わせも編集もすべて局の中でやるスタイルだ。この影響でプロダクションのあり方が変わってきた。必要なのは人だけだ。こういうケースだと、チェックしていることの意図が変わると、逃げ場がなくなってしまう。

NHKでは注目度の高い番組ほど異質なチェックが入る可能性があるようだ。結構参ってしまったディレクターを知っている。今はもっと大変かもしれない。政治の動きに過敏になっている。政治のほうが過敏に反応しているといって良いかもしれない。それが少なからず影響を与えている。その過敏さが、ブレの原因を作っているのではないかという心配をする。

では民放はどうか。注目度の高い番組であればあるほど、という尺度ではなく、担当によってはという尺度の変わってしまっているような気もする。この場合、更に事情は複雑になり、救いがない。決定すべき人に自信がなくなっているのだ。視聴率などという、決定しようの無いものを尺度に入れようとするから、ぶれ始める。終わってみなければわからないからだ。
最初のインプレッションが大事なのだが、立場で言うことが変わってしまうと、今直したことが次に正解になる保証もなくなる。誰が決定すべきかわからなくなってしまう。こんな病に陥っているテレビ局が多いような気がする。

豪傑は組織に守られているほうが作られやすい。しかし、組織が豪傑をはじき出すようになると、その業界は縮小していく。豪傑がフリーになるのは簡単だが、豪傑を続けていくこと、発信を続けていくことは難しい。今、NHKが機を見るに敏の秀才を輩出するのではなく、突破力のある豪傑を生むことが出来れば少しは事情が変わるかもしれない。民放も同じことが言えないか? 難しいような気がする。その愚直さがない。

かつて、テレビ業界には紙一枚、時には口立てだけの企画を持って有象無象が集まった。その中には確かに豪傑がいたのだ。その吸収力が今テレビ業界にはなくなっている。その豪傑を見つけ出す作業、あるいは作り出す作業、これが一番必要なことかもしれない。
いや、もっと深刻かもしれない。豪傑はどこで生まれるのかわからない。豪傑を吸収できる業界が新しいメディアとして勃興してくるそういう時代かもしれない。