ルールを厳格に考えることも敬意 - 赤木智弘
※この記事は2015年01月24日にBLOGOSで公開されたものです
18日に、広島県で第20回全国都道府県対抗男子駅伝大会が行われた。そこで珍事が起きた。第1区で中継線を前にしながらふらふらになり、倒れこんだ愛知県の走者が、手にしたたすきを第2走者に向かって投げた。第2走者はそのたすきを拾って走りだしたが、この一連のたすきリレーが成立していないとみなされ、チームとしては失格となった。(*1)
テレビで解説を務めていた宗兄弟の兄である、宗茂氏が「厳しくないですか?」と言ったこともあり、ネットでも「あのくらいいいではないか」という声が上がっていた。
さて、僕は駅伝のルールが厳しいとは、全く思わない。
だって、もし本当に駅伝のルールが厳しければ、失格になったチームは当然レースから排除されなければならないはずだ。駅伝というか、マラソンは完全に個人でのタイムを叩き出す競技ではなく、他の選手と競り合って相対的に勝つ競技なのだから、レースから脱落したチームが走ることは、レースを乱すことにつながってくる。他のチームからすれば、脱落したはずのチームが残っていることは迷惑以外の何ものでもないはずだ。
しかし、駅伝のルールでは、たとえチームが失格になった場合、チーム順位は付かなくなるが、走者個人の記録は正式に採用される。僕としては駅伝のルールは温情的に過ぎる。
そもそも、今回のケースは「たすきを投げたから失格」だと思われているが、僕の見立てだと、少々違うように思う。都道府県対抗駅伝の詳細なルールは手に入らなかったが、日本陸連における駅伝ルール(*2)を見ると、確かに「たすきは必ず前走者と次走者の間で手渡さなければならない」と明記されている。
しかし僕が問題の映像を見るに、それ以前の問題として、第1走者が第2走者にたすきを投げた時に、第1走者のトルソーが中継線に到達していないように見えた。
「トルソー」とは、四肢と頭を除く「胴体」のことであり、陸上競技においては「トルソーがラインに到着する」という考え方は、基本的な概念である。よく100m走を見ていると、ゴール直前で選手が胸を張るが、これは少しでも早くトルソーをゴールラインに到着させるために行っているのである。
そして駅伝においても「たすきの受け渡しは、中継線から進行方向20mの間で行う。中継線は幅50mmの白線とする。中継の着順判定およびタイムの計測は、前走者のトルソーが中継線に到達した時とする」と、明確に記されている。
つまり、第1走者のトルソーが白線を超えていなかった以上、仮に第1走者が四つん這いの状態で、手だけ白線を超えてたすきを渡したとしても、たすきの受け渡し範囲でなかったとみなされ、失格になっていたはずなのである。
なので僕は、件の走者が「ギリギリでたすきを投げた」のではなく、確実に受け渡し範囲に到達していない時点で、たすきを渡してしまったと見ている。これはたとえ距離は短くとも「まだまだゴールに辿りつけない状況で、たすきを遠投した」といえる状態である。これは明らかにルール違反であり、失格は当然である。学校での体育会であればともかく、駅伝の全国大会である以上、ルールの厳守は絶対である。むしろこれを許すことは、過剰な甘やかしであり、走者を全国レベルの選手として認めないことになるだろう。
選手に同情する気持ちが無いということもないのだが、一方でルールはハッキリと守られるべきである。そう主張することが、全国レベルの選手に対する、最低限の敬意ではないだろうか。
*1:山の神まさか…7区走る前に愛知失格 1区でたすき投げて渡す(スポニチ)
*2:日本陸上競技連盟駅伝競走規準(日本陸上競技連盟)