【寄稿】資本主義の効果に疑問を投げかけたピケティ本~その人気の実態は? - 小林恭子 - BLOGOS編集部
※この記事は2015年01月04日にBLOGOSで公開されたものです
小林恭子(在英ジャーナリスト)
フランスの経済学者で経済的不平等の専門家トマ・ピケティ(43歳)が書いた、フランス語では900ページを超える大作「21世紀の資本」(日本語版はみすず書房が発行)が大きな話題となっている。過去300年にわたる富の集中と分配状況を膨大なデータを使って書き上げた労作で、本国フランスでは2013年8月に出版された。昨年5月、英語版(約700ページ)が発行されると米英で著名経済学者らが絶賛し、一大ブームを巻き起こした。日本でも翻訳版や解説本が続々と市場に出るようになった。「経済界のロックスター」と評されるほどになった著者のピケティだが、果たして海外では本当に人気なのだろうか?また、庶民レベルではどんな意味を持つのだろう?処々の点を探ってみた。
ピケティのこれまで
「21世紀の資本」のインパクトを理解するために、まず著者ピケティのこれまでを短く振り返ってみよう。1971年、パリ郊外のクリシー生まれ。フランスで高等教育機関に入学するための資格「バカロレア」を取得後、18歳でパリの高等師範学校に入学した。ここでは数学と経済学を学んだ。22歳で富の再分配についての論文を書き、博士号を取得するまでになったというから、ずば抜けて優秀だったといえよう。この論文はフランス経済学会から1993年の最優秀論文賞を受賞している。 米マサチューセッツ工科大学で教えた後、2000年には、社会科学高等研究院の研究代表者となった。現在は、創設にかかわったパリ経済学校と社会科学高等研究院の教授職に就いている。
専門は歴史的及び統計学的視点から見た、経済成長と、所得および富の分配についての研究だ。「21世紀の資本」は日米欧などの租税資料300年分を分析し、1914-70年代を例外として資本の集中と経済の不平等が進んでいることを指摘した。資本主義が生み出す格差社会の構造をデータを使って説明した。
「格差社会」と言う表現が日常的に使われるようになって久しい。米国社会の貧富の格差を書いた本がよく売れており、日本でも格差の解消が大きな社会問題として持ち上がっている。世界に目を広げると、いわゆる「オキュパイ」運動が思い出される。これは、もともとは2011年9月に米ニューヨーク・ウオール街で始まった草の根デモだが、次第に各国に広がり、世界中の社会的及び経済的不平等の是正を求めて富裕層への課税強化などを訴えた。2008年以降の世界的な金融危機で各国政府が財政緊縮策を取るようになる中、「私たちは99%だ」(1%が富裕層)というスローガンを掲げた。
このような文脈の下、「21世紀の資本」を受け入れる下地があった。非常に広範で、長期的なデータを駆使した分析であったことから、これまでにはない迫力を持つ本となった。
「所得格差は富裕国で大幅に拡大」
著書の主張を日本語版の本文から若干引用してみよう。「1970年代以来、所得格差は富裕国で大幅に拡大した。特にこれは米国で顕著だった。米国では、2000年代における所得の集中は、1910年代の水準に戻ってしまったーそれどころか、少し上回るほどになっている」不平等を解消するためにピケティが提唱するのは資産に対する世界的な累進課税だ。こうした課税制度をグローバルな範囲で実施するのは政治的には非常に困難とされている。ピケティは対策が講じられず、不平等が世界的にさらに進展するようであると、社会の崩壊につながってゆくと警告する。
「私の理論における格差拡大の主要な力は市場の不完全性とはなんら関係ない」
「その正反対だ。資本市場が完全になればなるほど、資本収益率rが経済成長率gを上回る可能性も高まる」。
(以上、みすず書房のウェブサイトから)
(「資本収益率」=株や不動産、債券などへの投資によって得られる利益の伸び率、「ハーバー・ビジネス・オンライン」より)
ピケティは政治的には社会党支持者で、2012年の大統領選挙ではフランソワ・オランド党首(現大統領)への支持ををほかの学者とともに表明する公開書簡を発表した。オランドの元パートナーで党首も務めたセゴレーヌ・ロワイヤルのアドバイザーの1人でもあった。
オランド大統領と言えば、最近では女性スキャンダルで世界中の注目を集めた。ジャーナリストの女性と事実婚状態でありながら若い女優とも関係を持った二股が報道され、大きな恥をかいた。女性が暴露本を出し、さらに恥の上塗りとなったが。力を入れた政策の1つが富の不平等の解消だった。富裕層への増税策(所得税の最高税率を45%から75%に大幅に引き上げるなど)を公約の1つとして掲げた。
米英から火がついて
「21世紀の資本」が最初にオリジナルのフランス語で出版されたのは2013年8月。アマゾン仏語のサイトを今見ると、経済書のベストセラー・ランキングの1位になっているが、13年で最もよく売れた本の上位100冊の中には入っていなかった。英語版販売直後の2014年4月時点では、フランスのEdistat社による出版ランキングでは192位であった。ピケティの本を熱狂的に受け止めたのは英語圏の米英である。
年明けから原語で読んだ一部の識者の間で噂が広まり、英ニュース週刊誌「エコノミスト」が昨年1月、好意的な書評を掲載。「資本主義が生み出す不平等をどうするか」という問いに答える「信頼できる案内書」として紹介した。2月、同誌は「読書クラブ」と題したシリーズを開始し、数週間にわたって「21世紀の資本」を読み解く記事を掲載するほどの力の入れようだった。ピケティを「現代の(カール・)マルクス」、「マルクス以上」と呼ぶ表現も使った。ご存知のようにマルクスは資本家による搾取のない平等な社会をめざす「マルクス主義(科学的社会主義)」の創始者で、「資本論」を書いた。
3月上旬、「21世紀の資本」の英訳が出版された。フランス原語版では900余ページだったが、英訳版は約700ページ。それでもかなりの厚みがあり、米国では25ドル(約2500円)。決して安くはない値段である。
米ノーベル経済学者ポール・クルーグマンは「今年、あるいはここ10年でもっとも重要な経済書」(米ニューヨーク・タイムズ、3月23日付)、「議論の方向を変える研究」として高く評価した(同紙、4月25日付け)。英経済紙フィナンシャル・タイムズ(=FT)のコラムニスト、マーティン・ウルフは「稀有な、重要な本」と誉めそやした(FT、4月15日付け)。
「21世紀」英語版は米アマゾンのサイトであっと言う間にベストセラーとなった。一部の大手書店では売り切れも続出したという。ピケティが本の販促のために米国を訪れ、各地を講演して回ると、メディア取材が殺到し、多くの政治家たちが会いたがった。一般市民や学生が講演会場に列を成した。米雑誌「ニューヨーカー」がピケティを「ロックスターのようなエコノミスト」と呼ぶほど熱烈な歓迎をピケティは米国各地で受けるようになった。
ニューヨーク・タイムズのビジネス書のベストセラーランキングでは6月と7月に第1位を記録。9月まで10位以内に入っていた。経済書、しかも分厚い本、かつ25ドルもの価格の本がここまで人気となるのは珍しい。これまでに米国では少なくとも40万部以上が売れたといわれている。
IMF(国際通貨基金)が8月に発表した、「世界でもっとも有望な25人のエコノミスト」のリストにはピケティの名前が入っており、名声にさらに拍車がかかった。
同じく英語圏の英国でもピケティ人気が続いた。5月には、英フィナンシャル・タイムズの記者が、21世紀本のデータの解釈に間違いがあったのではないかという記事を出したが、この後でピケティとFTとの報道合戦となり、これも大きな話題となった。結果的に、本のPRになったといえよう。
10月、「21世紀の資本」のドイツ語版が出版されると、ドイツでも米英での熱狂振りが再来した。
なぜフランスは米英ほどの熱狂がないのか?
ピケティ本はフランスでも人気があるビジネス書ではあるのだが、なんといっても米英の「はしゃぎぶり」がかしましい。
米英ほどの熱狂度がフランスではないことについて、その理由をエコノミスト誌が分析している(4月28日号)。これによると、フランスではピケティと言えばオランド大統領の「75%課税策」が連想されるのだという。オランドは2012年の大統領選運動中、所得税の最高税率を75%に引き上げる増税策の導入を掲げた。この課税は「重要なメッセージを発信している」、「多くの国がこれを倣うだろう」とピケティは賛同していた。
実際には重い税を避けるために国外に移り住む富裕層が相次ぎ、12年末、憲法会議は「税の公平性に反する」として増税は違憲とする判断を下した。現在は高給を払う企業への増税に変更している。
もう1つの理由は、富の不平等は以前からフランスでは政治上の争点になってきたことがあるという。不平等に注意を喚起することは「米国では珍しいことかもしれないが、フランスでは当たり前のこと」である。このため、ピケティの主張に格別の新奇性がないとフランスでは認識され、米英並みの熱狂につながらないのではないか、と分析している。
人々の反応は?
「21世紀」本を学者以外の一般人は何故買うのだろうか?米ジョージ・メーソン大学の教授で「平均は終わった」という著書を持つタイラー・コーエンはこう説明する(ガーディアン紙米国版、9月21日付け)。
米マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツやハリー・ポッターシリーズの英作家JKローリングは企業のトップの給与の何倍もの収入を得ている。その一方で、米国の中流(ミドル・クラス)か中・下流(ローワー・ミドル)の人々の収入は下落している。その差をどう埋めるかが社会問題の一つとして認識されているものの、低所得者に対して、その経済状態は彼ら自身が引き起こしたことではないか=自己責任説=という見方があったという。
しかし、「富は経済全体よりも早く大きくなる」と述べるピケティ本の登場で、解釈が変わった。「敗者は低所得者ではなく、資本家ではない人を指すことになった」からだ。「雇用市場で仕事が見つからないのはその人が悪いからではなく、最初に寄贈財産がないから」と解釈することもできる、と。
社会の不平等をなくすために、富の再配分をするべしと主張する活動家であれば、ピケティ本は「非常に好都合になった」のである。本の人気の理由はこれだ、と。
同じガーディアンの記事の中で、ブラッド・デロング教授(南カリフォルニア大学バークレー校)は、「本を買うことが習慣となっている米国の上・中流(アッパーミドル)が気にかけていることが2つある」と指摘する。「1つは移民ではない、高等教育を受けていない米国民たち=社会の過半数=にとって、テクノロジーや生産性が大きく向上したにもかかわらず生活が楽ではなくなっていること」で、もう1つは「これまでには存在しなかったような富豪層が存在し、この点について居心地悪く感じている」点だ。
こうした点の解消について「新鮮な考え」を求めていたところに、外国人ピケティが登場した、と。
「21世紀の資本」は経済の不平等の過去と未来を書いている。今日、世界中で大きな経済的懸念の1つとなっているのが、富の不平等をどうするか。先のオキュパイ運動もしかりだが、今この文章を読んでいるあなたも、この点について、思い当たることがあるのではないだろうか。書店に行けば、格差、不平等についての本が良く目に付くし、日々の生活の中でも、しみじみと「富は富を呼ぶ」を具体的に経験しているのではないか。
「不平等の理由が知りたいから、本を買った」
6月、ロンドンで行われたピケティの講演を聞くために集まった聴衆の声を英ガーディアン紙が拾っている。以下は一部の抜粋である。オーストリア出身の学生ニーナ・マリさん(24歳):「開発途上国の不平等について論文を書いたばかり。不平等があろうがなかろうが、貧しい人の生活が向上するのであれば、どちらでもよい」、「こんなにも多くの知識陣が不平等について語っているのには理由がある。どこかがおかしくなったのだろうと思う。だからこの本を買ったし、読んでみるつもり」。
在ロンドンの活動家レイ・シースさん(73歳):「ピケティ本の論理は単純すぎる。富裕層に課税をするだけでは十分ではない。」、「ピケティは解決法を十分に示していない」。
アフリカのエリトリア出身の数学の先生で、在ロンドンのムセレム・アーデンさん(60歳):「まだ本は読んでいないが、経済紙フィナンシャルタイムズがピケティ本のデータの取り扱いがおかしいと書いていたので、もっと知りたくなった。英国のような金持ちの国での不平等問題に関心がある。アフリカからやってきて、これほど金持ちと貧乏人の間に差があるとは思わなかった。差はさらに開いている」。
北部シェフィールドに住む社会主義の活動家トム・ケイ(21歳)さん:「資本主義が腐敗しているという人はだれでも歓迎だ」、「不平等は間違っているというピケティの主張には賛同するが、解決策が不十分。富裕層にもっと課税をするべきだが、それだけでは資本主義はなくならない」。
スペイン出身のジャーナリズム専攻の学生ライア・ゴルディさん(30歳):「私はどちらかというとマルクス主義なので、ピケティの視点にはあまり感心しない。社会主義政党の教祖のように見える。まだ本を読んでないし、これからも読むかどうかは分からない。700ページで30ポンドもするのよ。不平等についての本なのに、よくもこれほど高くできるわね」。
インパクトはどれぐらいか?
最後に、「21世紀の資本」の庶民レベルでのインパクトを改めてみて見たい。ピケティ本の人気は決して日本だけのものではない。
一昨年フランスで出版された後、本国では一定の人気を誇るものの、ピケティがスター並みに扱われるようになったのは米英の学者やメディアの反応・熱狂振りがきっかけだ。
資本主義経済の最大手といえる米国の知識層にとって、資本主義という仕組みそのものが不平等を作り出すという論理を膨大なデータを使って展開した著作は大きな関心を引いた。
米英、仏、ドイツでの「21世紀」本のインパクトはまず知識層において発生し、「これはすごい」という評判が知識層から広い層の市民へと広がっていった。庶民の側には経済的不平等についての大きな不安感、不満感、実生活でのしみじみ感があり、これが本の購買につながったと筆者は見る。
逆に言えば、社会の中に格差があり、これを何とか解消しなければならない、解消するべきだと多くの人が思うという下地がなければ、「21世紀の資本」はここまで売れなかっただろう。
今後、各国の国民の生活にどれほどの影響が及ぶのかは現時点では予測が困難だが、国レベルの政策立案においてピケティ本の存在は無視できないことになった(もちろん、「まったく影響を及ぼさない」「関係ない」と主張する経済学者、政策立案者も多数いるだろう。経済の行く末、経済政策のあり方は議論百出のトピックの1つだからだ。かつてレーガン米大統領が「『そのまた一方では・・・』と言わないエコノミストが欲しい」と言ったそうだがー)。
貧富の差や格差社会の存在をより鮮明に意識するようになった日本国民にとって、ピケティ本はかなり興味深い本になるのではないか。
筆者は英国に12年ほど住んでいる。英国は階級制度の名残りが強い。かなり大雑把な説明になるが、女王を頂点として、アッパークラス(上流)、アッパーミドル(上・中流)、ミドル(中流)、ローワーミドル(低・中流)、ワーキングクラス(労働者階級)に分かれている社会だ。英語の話し方、食生活、どんなテレビ番組を主として見るか、テレビをそもそも見るのか見ないのかまで、社会的階層によってかなり違う。裕福な家庭に生まれると、家代々の資産に加え、人脈、知識、教養、仕事の紹介などなど付随した事柄も一緒についてくる。
がんばって一生懸命働けば、富はすべての人に上手に再分配される、少なくとも理想はそうだし、とにかく、資本主義はいいものなのだという漠然とした認識が米英の国民の中にあったと思う。しかし、現実には「富める者」が生涯その状態で人生を過ごす様子が実に目に付く。
オキュパイ運動のデモ参加者は通りから消えたが、「99%の思い」には理由があった。資本主義の行く末に疑問を呈したピケティの「21世紀の資本」は、分厚い体裁ではあるものの、資本主義社会に住む国民にとって非常に身近かな生活感覚と直結する本となった。
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参考:
・みすず書房ウェブサイト
・大流行の「格差論」をどう読むか ピケティの議論は狭すぎる - WEDGE Infinity
・20世紀だけが格差なきよき時代だったー読まずにすます『21世紀の資本』 - ハーバービジネスオンライン
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