※この記事は2014年12月25日にBLOGOSで公開されたものです

吉川圭三(メディアゴン執筆者・ドワンゴ会長室エグゼクティブ・プロデューサー)

先日、ある知的情報バラエティをテレビで見た時の事である。その番組は最先端の科学的知識を笑いに包んで見せる番組で私も好きだった。しかしその日、私が見たのは出演者や学者達が楽しく食事するシーンであった。食材を美味しそうに照明をあてて撮っている。つまり一部グルメ番組に変身していたのである。その番組は視聴率低下が囁かれていた。いわゆる番組強化策である。

またこんなこともあった。ある番組は本格的な音楽番組だったがやはり、視聴率低下状態にあった。ある有名男性歌手が出演した。彼が何か椅子に座って談笑していると後ろの壁が突然倒れ彼が滑り台を滑った。その下に水の入ったプールが。いわゆる「どっきり」である。音楽番組でどっきり。アバンギャルドだが全然面白くない。スタッフは視聴率低下で追い詰められていたとしても。これは誰が考えても禁じ手だろうと思う。

番組が傾いてくると、近年、テコ入れ企画としてラーメンやダイエットの特集を入れることがある。最後のあがきだがこの種のワクチンで復活を遂げた番組はテレビ史上ない。

好調だった番組が復活を遂げるためには一つの手しかない。傾いて来た時、ある程度番組に体力があるうちに、そして冷徹な編成マンが肩たたきに来る前に、コンセプトを一新し、いっそのことタイトルも変え、新企画を具申するしかないのだ。

しかし、ふだんから人気者「ふなっしー」の起用などしか考えていないスタッフはそんな知恵も勇気も刷新力もない。だからグルメやドッキリが出てくる異常事態が起きる。会議に出ても「芸能人の悲惨だった過去の話は数字を持っている。」とかそんな事を話している。ただ経験で言うと「数字を持ってる」等の上手い話はないと思った方が良い。番組コンセプトという土台・フレームがダメなら成功は見込めない。しかし、このような「数字を見込める」要素で完全武装した番組を最近頻繁に見るようになった。理由は後で書く。

話は変わる。近年スタジオジブリと仕事をしたときのことである。ジブリはもちろんアニメーション制作の会社であるが、宮崎駿・高畑勲・鈴木敏夫の三人は実は恐ろしい量の本を読み、博学で好奇心がたっぷりある。「広場の孤独」で有名な碩学の小説家の堀田善衛氏の膨大な蔵書を譲り受け、古今東西あらゆる映画・文学についても詳しい。「熱風」という小冊子を発行し最新経済学から若者文化・テクノロジーにも精通している。子供が楽しめるアニメをつくりながら、衰えない好奇心で世界を見る。私などは到底かなうレベルではない。そういう立派な土台があって解りやすいが何か深い観賞感のあるあのアニメーション群が出来るのだろう。何回放送しても古くならないのは作品にそれだけの情報量と人間の本質を見抜いた結果の表現力があるからだろう。

ただ、私もテレビ番組の全てにそんな知的基盤を求めるつもりは毛頭ない。はっきりいって、下らないテレビ番組は昔からあった。UFO・スプーン曲げ・黄金のヘビをアジアの秘境に求めたり、熱湯の風呂にタレントを入れたり、ジャンケンで負けると一枚一枚服を脱いだり・・・でも私はそれはそれで面白かった。人間が何を見たいかの本質をついていてなかなかの「発明品」であった。
テレビは何か、夜店の見せ物的「怪しさ」を持ったメディアなのだ。

ただそういう一方、テレビも玉石混合で、高尚だが面白い人物伝番組、社会批判を込めたコメディー、太平洋戦争の本質を見つめたドキュメンタリーなどと言うものがあった。つまり大衆普及品から一級の高級品まであったのだ。

30年前のテレビ局でも「怪しくて・変な人」が一杯いた。会社に滅多に来ないが凄いネタを持ってる人や浅草のストリップ小屋の照明さんだったが芸人を見る眼がある人など。

変化が起こり始めたのは15年くらい前になるか。二流大学・三流大学出身の人が社員に採用されなくなった。ある超一流大学を卒業した若者が私の班に入って来たときであった。歓迎会のため近所の焼き鳥屋の2階へ。17~8人で酒を飲んでいると、彼が自己紹介を始める。そして1時間後、宴会場はなんと「下ネタ」の嵐になっていた。彼を中心として。私に遠慮などしていない。かなり不機嫌な顔をしていても、下ネタは続く。下ネタにも芸やセンスがあれば面白いのだが、ただエゲツナイだけ。かつては「最近、あの映画見た?」「あの海外ロケでこんなことがあった」「養老孟司って読んだことある?」「最近彼女と別れた。」とかそんな感じだった。私は突然途中で帰ったので皆驚いていたが、その後色々なテレビバラエティを作っている若者と会ってみると、驚くほどものを知らない。あるいは世の中・社会・世界を観察・分析していない。あるいは「変な人」ですらない。私の苦言はさらに続く・・・。

先日も同年代の出版関係者と会ったとき、メディア業界における「基礎教養」の話になった。彼は『キャロル・リード監督の「第三の男」ぐらい知らないと・・・』と言っていた。私は良い基準だと思う。しかし、オーソン・ウエルズ出演「第三の男」でなくとも、なにか無茶苦茶、内外のミステリー小説を読んでいるとかコンピューター・ゲームについて鋭く分析できるでもよい。表現するときの脳の基礎構造・基礎理論が出来ていない。その状態でテレビの世界へ来る。勉強はできるが創造力のない若者が入社してくる。チャップリンの名前も知らない一流大学卒の男が試験を通過し「お笑い」をやりたいと言ってたまたま現場へ配属される。

そして彼が入ったテレビ局では例外なく視聴率競争が起こっており、分間視聴率などを含むデータ主義も重視されている。もしそんな彼が妙な野心を持ってたまたま出した企画が通過しディレクターに昇進したら一体何をするか?
「テレビにおけるコピペをする」のである。勉強ばかりして一流大学に入った彼の中にはもともとサブカルチャー・メインカルチャーに関する引出しはない。結果、他の人気テレビ番組のいいとこ取りをする。グルメ・ダイエット・人気アイドル・お笑い芸人・面白実話・どっきり・ランキング・ひな壇・YOU TUBE映像。いろんな「数字を見込める」アイテムを彼は組み合わせれば良いと彼は思う。結局こうした“若手”たちが全てのテレビ局で『テレビ番組を基にして新しくない新番組を作る』状態が起こる。

テレビ以外の小説や映画や個人体験を基にした番組があっても良いのに。

かくて、似たような番組が乱立する状態となるのである。しかし視聴者は貪欲で鋭く本質を見抜く。「数字の見込める要素」も貧弱な演出であれば見抜いてしまう。しかもインターネット映像文化がひたひた押し寄せて来ている。実は新しい「テレビを創造する」デットリミットはすでに来ているのである。

もちろん危機感を持って人知れず努力している若いテレビマンも散見されるのだが。

サブカルチャー発信地としてのテレビがネット・アニメ・マンガ・ゲーム・スマホ等の通信機器にその座を奪われていると近年感じる。しかし私はテレビマンが皆で本気で取り組めば回復可能だと思うのだが。

「報道」について書く。実は私は2014年の9月から古巣の日本テレビからドワンゴに完全出向したのだが、出社一日目、川上量生会長から「ドワンゴでは吉川さんが今までやった事が無いこと、つまり報道とドラマをやって下さい。」と言われた。川上さんは人の使い方が上手いと聞いていたが、正直、驚嘆した。

まずは報道に取りかかっているが、誰も何も教えてくれないので自己流で企画を考え、資料を読み、人に会っている。そんな、報道一年生の私がこの一年の「報道」について語るのは誠に僭越だが、最近一つの気になった「対談」記事がある。岩波書店の「世界」という雑誌の12月号の池上彰氏と元日刊ゲンダイ二木啓孝氏、二人のジャーナリストによるメディアに関する対談である。気になったポイントを上げてみる。

○2013年のネットの広告費が9300億円、雑誌が2400億円というデータである。その結果、部数を上げようと週刊誌の記事の内容が過激になる。政治で言えば韓国・中国けしからん。メディアに向けば朝日叩き。そのうち「朝日たたき」も売れなくならなければやめるだろう。過剰な韓国・中国たたきをしても雑誌への訴訟リスクがないし、この日中韓の関係が続く限り続くだろう。

○古い右翼は生きずらくなり、インターネットによる右翼活動が生まれ、こうした一人右翼は失うものが無いから過激化している。危険だ。

○ツイッター、スマホ等の普及で国民全員が記者になり、報道写真家、TVカメラマンになってしまった。事件・事故現場に記者より先にたどり着き情報を広めてしまう。そうした時代にニュースの作り方は変わって行くべきだろう。

○雑誌「フラッシュ」が紙面で朝日新聞の社長を国会招致せよという記事を載せた。池上さんは「週刊文春」のコラムに「同じメディアが国会招致せよというのはメディアに政治が介入せよと言っているのと同じだ」と書いた。その後「フラッシュ」は全部回収騒ぎが起こる。「光文社の社長は国会で説明しろと言われたらどうするんですか?」と池上さんは書いた。
・・・池上・二木さんの発言にもあるようにネットに端を発した、旧メディア・新メディアの攻防・浮沈・大変化は手に取る様に分かる。

2014年も色々な事があったが、「記者会見」というのも、小保方氏・佐村河内氏・朝日新聞幹部とこのネット時代に独占的に放送できるので、テレビ報道等では印象的であった。巨大メディアの混乱。ネットニュースサイトの興隆。素人ジャーナリストの増大化。誰でも発信できる時代の到来。今後もさらに「報道」の変容の時代は続くだろう。

最後に一つ。11月下旬に弊社の川上量生会長に呼ばれた時の話を書く。
「ビートたけしさんをニコニコ動画恒例の開票特番に呼べないでしょうか?」実は数日前、川上さんと話していて、たけしさんのことをあまり知らないと知って最近の「ビートたけし時事問題について語る本」を川上さんに2・3冊渡していた。たけしさんにニコ動でコントをやってもらうのも良いが、開票特番というニコ動における一大イベントにたけしさんを放り込むという川上さんの発想はきっと面白いだろう。「日本について」「政治について」「社会について」たけしさんも語りたい鬱積した思いもあるだろう。しかし、ニコ動は巨大放送局に比べまだまだ新興メディアだ。果たして、大物のたけしさんが出てくれるのか?

交渉後、意外にもたけしサイドからOKが出た。放送当日、慌ただしくニコ動の小さなスタジオに入って来たたけしさんはちょっと興奮気味である。

事前に説明した。「何をおっしゃっていただいても結構です。」つまり放送コードがない事を。そんなことはオイラも知ってるさという顔で聞いている。ビートたけしはニコ動を研究していた。

その夜、何十年ぶりのたけし節が現在に蘇った。タイムマシンで全盛期のビートたけしが蘇って来たようだった。「もし、たけしさんが総理大臣になったら?」という質問には「まず核武装。徴兵制。吉原復活。東京湾の真ん中にヒロポン島を作り、脱法ハーブ吸い放題。原発も東京に作ろう。」・・・一時間余り速射砲のように喋るビートたけし。この放送は隠れた一大事件だった。こういう社会派的なギャグは話し手の笑いのセンスと知性がモノを言う。放送禁止用語をただ喋り続ければ良いというものではない。打ち合わせ・準備も大変だったがこういう現場にいられて幸せだった。テレビマンとしての本懐をニコ動のスタジオで味わう。何か不思議な1年であった。