完全米飯給食の実施に疑問 - 赤木智弘
※この記事は2014年12月06日にBLOGOSで公開されたものです
新潟県三条市で、牛乳なしの給食が始まったという。(*1)三条市では2008年から完全米飯給食を実施しており、米食に牛乳が合わないという意見が相次いだということだ。
さて、僕はこの件については極めて否定的に考えている。
といっても、牛乳云々という話ではない。そもそも完全米飯給食という施策自体に、おかしさを感じている。どうして給食からパン食を排除し、米食に偏らせたのか。本当に子供ためを考えた施策なのだろうか?
三条市のサイトに、完全米飯給食のトピックがあった。(*2)
これを見るに、「日本人が長い時間かけて築いてきた、優れた食習慣が崩れかけています」や「食の乱れは生活の乱れ、生活の乱れは心の乱れとなり子どもたちの非行やいじめなどにも影響しています」といった、実質的な栄養の問題というよりは「食育」に軸足をおいた、極めてポエムチックな言葉が並んでいる。そしてそれを給食を通して「望ましい食習慣」として子供たちに植え付けようとしている。そのおかしさは、すべての問題が「米離れ」を原因にしている図表にハッキリと現れている。
ところで、本当に米食を中心とした和食は体にいいものなのだろうか?
そもそもの問題として、今イメージされる「和食」とは、せいぜい戦後6,70年の歴史しかないと、僕は考えている。
古くから一汁三菜であったと伝えられるが、そのようなおかずが豊富な食事は一部の富裕層の話に過ぎず、多くの庶民が口にしていた和食とは「わずかの塩辛いおかずやつけもので、大量のお米を食う」という食事であった。昔話などで茶碗に山のように盛ったご飯が描かれるのはその描写であり、現代の和食のようなご飯が少なくてすむほどにおかずが多い和食は戦後のものだ。
だから戦前の和食は、病気の原因にもなっていた。玄米が減り白米が増えた時期には脚気が流行したし、つい最近までは脳卒中が国民病であった。脚気の原因は食品の種類が少ないことによるビタミンB1の欠乏、脳卒中の原因は塩分の過多である。
そうしたバランスの悪い和食は、戦後の食糧事情の改善や家電の普及(冷蔵庫の普及は、食品の保存に塩を使わなくて良くなったことを意味する)によって駆逐され、また健康志向が広まることにより塩分の摂取も減少傾向にある。
その結果として現在の「体にいい和食」が存在するのであって「和食だから体にいい」というのは、本末転倒の考え方であるといえよう。
そしてそれは洋食にも同じことが言える。洋食には脂質が多いことは確かだが、調理方法や食材の選択、そしておかずの組み合わせによって脂質を落としながら美味しい洋食を食べることもできる。
育ちざかりの子供たちにとっては脂質も重要な栄養素である。戦後日本人の体格は著しく向上し、平均寿命も大きく伸びた。これには食の西洋化やそれに伴い多様な食材や調理法が日本に入ってきたことの寄与が大きい。
洋食の日本人の食生活への寄与を無視して、単に「昔ながらの和食が体にいい」ものであるかのように喧伝し、洋食を貶めることは、子供の健康を考えてというよりも、米食推進側の宗教的信仰であると言ってもいいだろう。そしてその先にあったのが、最後に残った「洋食的要素」である牛乳の排除だった。
このニュースに関しては、そういう見方をベースとしてしまって、僕は構わないと考えている。
「フードファディズム」という言葉がある。この言葉は、食品が個人の健康に与える影響を過大に考えてしまうことを指す。砂糖や牛乳や白米などは絶対的に体に悪く、玄米や野菜は絶対的に体にいいなどと主張する一派すら存在する。そこまで極端でなくても、今回のケースのような完全米飯給食というのも、フードファディズムの1つである。
個人が自分の興味に応じて食を偏らせるのは構わないが、健康な食事の基本は「なんでもまんべんなく食べる」である。子供に対する食育であれば、パン食を含めた多様な食事を提供することこそ、本当の意味での食育になるだろう。 意図的に食事を米食に偏らせる三条市の姿勢には疑問を抱かざるを得ず、そこから生じた牛乳の排除には、為政側の極めて自己都合的な背景が透けて見えると言えよう。
*1:牛乳なし給食:新潟・三条で試験的スタート(毎日新聞)
*2:完全米飯給食(三条市)