※この記事は2010年04月08日にBLOGOSで公開されたものです

　文部科学省が小学校教科書の検定結果を発表した。(*1)
　読売新聞の記事によると、平均ページ数が全体で25%増え、完全にゆとり教育から決別したのだという。

　私は、そもそも「ゆとり教育によって子供の学力が低下した」という言説を信じていない。
　そもそも学力低下の問題が大きく取りざたされたのは、2003年に行われたOECDの学力調査で、日本の「順位」が軒並みダウンしたことが発端だが、当時にはまだ「順位は落ちたが、全体的に見れば学力自体が落ちているとは言い難い」という冷静な言説もあったが、学力低下の大合唱にかき消されていった。
　そして気がつけば「最近の子供の学力が低下しているから、もっと勉強させなければいけない」という見方をすることが当たり前になってしまった。
　大人が子供に「勉強をさせろ」というのは、極めて楽な考え方である。なぜなら、大人は二度と子供に戻ることはない。大人からの子供に対する要求は、自らが若返らないという安全圏にいるからこそ過大なものになりがちである。
　私などが老人優遇が過ぎることに対して批判をすると、「いずれは年をとるのだから」と、たしなめられることがあるが、そうした考え方は一方で「子供に対してはどんな苦役も強いてもいい」という考え方に繋がっている。
　私にはゆとり教育に対する反発には、そうした傲慢さが露骨に現れていると考えている。

　こうした考え方は、いくつかの点を無視してしまっている。
　まずは、「子供の学力」という観点が、当然のように大人の学力を無視してしまっているという点だ。
　2003年に行われたOECDの学力調査のうち、日本人の正答率が低かった問題の１つに「盗難事件」といわれる問題がある。(*2)
　脚注のリンク先を見ていただきたいのだが、「年間の盗難事件」というグラフがあって、1998年より、1999年の方が増えている。これをTVレポーターが「盗難事件が激増している」と発言したことに対して、適切か適切でないか、その理由を説明するという問題である。
　このグラフは一見、棒グラフの長さが２倍になっているので、急増という印象を受けるが、事件件数を見れば実は10件も増えていないことが分かる。また、事件件数全体が500件以上なので、それが数件増えたところで、急増とはいえない。また、1997年以前のグラフの提示がないことから、それ以前は数千件の盗難事件があったのかも知れないし、逆に数十件しかなかったのかも知れない。などなどの理由により、1998年よりも1999年の方が急増しているとはいえないという結論が導き出される。おおよそこのようなことを丁寧に記述すれば点数がもらえる問題だろう。
　この問題で、日本の子供たちの正解率がOECD平均を下回ったということだが、これに似たようなグラフを私は何度か目にしている。それは「少年犯罪急増」のグラフである。
　少年が凶悪化しているとして、自称識者たちが繰り返して提示したグラフは、少年による凶悪犯罪の認知件数がもっとも少なかった平成２年頃を始点にして、さも少年が凶悪化しているように切り出したグラフである。(*3)
　大人やマスメディアが、こうした恣意的なグラフを鵜呑みにしている日本の現状で、子供に対してのみ「こうした問題が解けないのは学力低下だ」と強弁するのは、ひどく滑稽である。

　また、そもそも日本においては、偏差値や大学合格といった、国内での同世代との競争のみを元にした相対的な概念を指して「学力」と言っていたのではないか？
　そこに突然OECDのような世界基準の学力調査を持ってきたときに、これをこれまでと同じ概念の学力として単純に考えることはできないはずなのだが、そうした学力の定義に対する議論、すなわち「学力とは何か」という議論がが国民レベルではまったく起きなかったことも気になる。

　さらに、最初に私は「大人は安全圏にいる」と言ったが、実際は子供を育てる親も子供の学力強化に付き合わされるという問題もある。
　子供に対して学力低下を懸念するということは、そのまま「親の育て方」に対する懸念に直結する。
　先進国の中でも子供に対する公的支出が圧倒的に少ないいわれる日本(*4)において、学力低下の責任はそのまま、子供の親に負わされている。そうした重圧からなんとか脱却しようとして、塾や教材にお金をかける。それでもうまくいかなければ子供に暴力を振るったり、親自身が精神的に追い込まれたりもする。ゆとり教育への反発が、そうした状況をこれまで以上に悪化させる恐れはないのだろうか？

　確かに学力は重要である。
　しかし、学力は子供のためを思えばこそ重要だと言えるのであり、学力やそれに基づく諸問題を意識しないまま「子供の学力を向上させろ」と錦の御旗を振るだけでは、ただの自己満足に過ぎない。
　OECDの学力調査というのは、決して各国の子供の優劣を競うためのテストではなく、テストの結果を分析し、我が国の教育制度をどのようにしていけば、子供により良い学習経験を得てもらえるかを検討するためのツールの１つである。それを有効に活かすか活かさないかは、この結果を真摯に受け止め、子供のためになる学習環境を構築するのか、それとも子供を見下して「最近の子供はバカだ。それに比べて我々は素晴らしい」と溜飲を下す材料にするのかで決まってくる。
　私たちが決別するべきはゆとり教育ではなく、後者のような大人たちの考え方ではないだろうか。

*1：「ゆとり」決別、ページ大幅増…小学教科書検定（読売新聞）http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100330-OYT1T00743.htm
*2：日本の数学的リテラシーの課題 ～PISA2003の結果と諸外国カリキュラム比較を通じて～（Benesse）http://benesse.jp/berd/berd2010/center_report/global04.html
*3：キレやすいのは誰だ（反社会学講座）http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson2.html
*4：教育の公的支出、日本は最下位層のＧＤＰ比３・３％　ＯＥＣＤ調査（産経新聞）http://sankei.jp.msn.com/life/education/090908/edc0909082321002-n1.htm
*5：記事中に「「円周率は３・１４」と明記するように求められた。」という記述があるが「円周率は3.14」という明らかな間違いを教科書に書くのはいかがなものか。せめて「円周率を3.14とみなす」という記述ができないのだろうか。

プロフィール
赤木智弘（あかぎ・ともひろ）…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。著書に「「当たり前」をひっぱたく」など。