ウクライナ侵攻以来、ロシアは宇宙開発の分野でも情報を間引いて発信しているようです。そのまま捉えれば危機感を感じるものの、逆に間引かれた情報を補えれば、ISS含め、国際宇宙開発には大きな影響がないことがわかりました。

ISSが直ちに落ちることはない

 ロシアによるウクライナ侵略の影響は、国際協力と平和をうたう国際宇宙ステーション(ISS)にも及んでいます。

 ロシア国営宇宙開発企業、ロスコスモス社トップであるドミトリー・ロゴジン総裁は自身のTwitterアカウントで、非専門家の誤認を狙ったであろう投稿を繰り返していますが、それはおよそ平和とはかけ離れた内容です。その内容を検証してみましょう。


国際宇宙ステーション(画像:NASA)

 ロゴジン総裁は、2022年2月25日に自身のTwitterアカウントで、「アルツハイマー的な制裁」から始まる3項目の文章を分割して投稿しました。内容は、ロシアとウクライナの開戦に伴ってアメリカが行った対ロ制裁の影響について揶揄するものでしたが、第3項でISSに触れています。

 要約すると、次のようになります。

「ISSの軌道変更はロシアのプログレスMS補給船のみで行われている。米ロ協力が損なわれたら一体、誰が軌道維持や宇宙ごみ回避の噴射を行って、米欧に落ちるのを防ぐのだろうか。インドと中国を、500tの物体が落ちるかもしれないという脅威にさらすのか? ISSはロシア上空を飛行しないので、すべてのリスクはアメリカ次第だ」

 しかし、実際にはこのような事態は考えづらく、また、情報の間引きもあります。さらに認識の間違いも。そこで正しい情報を補うことで、ロゴジン総裁の発言を検証してみます。

ロスコスモス社トップが間引いた重要情報

 筆者が注目したのは、まず「軌道変更できるのはプログレス補給船のみ」という文言です。

 確かにISSの軌道変更のほとんどが、ロシアの打ち上げるプログレス補給船で行われているのは事実です。しかし、ほとんどであって全てではありません。

 かつてはヨーロッパ(ESA)のATV補給船が軌道変更能力を持っていたほか、現在はアメリカのノースロップ・グラマン社が製造するシグナス補給船が、改良により軌道変更能力を得ています。

 また、ISSに行く有人宇宙船や補給船は全て、飛行中に自らの姿勢を制御するためのスラスタと呼ばれる小型エンジンを持っています。原理的には、これらを使ってISSの軌道を変えることもできます。


薄い緑色がISSの通過範囲、濃い緑色がロシア領土にかかる部分(金木利憲作図)

 次に気になったのが「ISSはロシア上空を飛行しない」というところです。

 地上から見たISSは、北緯51.6度から南緯51.6度の範囲を西から東へ斜めに往復するように飛行しています。これを地図に当てはめてみると、北限付近でロシア領土の上空を通過します。

 ロゴジン総裁の発言は、これらの事実を無視して、ロシアが有利になるように情報をつまみ食いしたものだったと言えるでしょう。

地上に落ちてくるのは500t中の一部

 なお、ISSの重量が約500tというのはおおむね正しい数字です。しかし、落下時にこの全てが地上に到達するわけではありません。

 ISSの大部分は薄くて軽い構造物でできています。太陽電池や各有人モジュールの外壁が該当しますが、これら薄く軽い構造物はほぼ全て、大気圏再突入時の熱で燃え尽きてしまいます。しかし、宇宙船のドッキングポートや各モジュールの接合部、船外活動の際に出入りするエアロック、ロボットアームの間接部などは頑丈に作られているため燃え尽きない可能性が高い部分です。


ISS通過範囲の水域と陸域(金木利憲作図)

 実際に地上に落ちる重量がどのくらいか見積もるのは難しいですが、2001(平成13)年に大気圏に再突入したロシアの宇宙ステーション「ミール」を参考にすると、全体で約140tあったのに対し、うち25tほどが燃え残って落下したと推定されています。同じ比率だと仮定すれば、約500tに対し90tほどとなります。

 90tといってもなかなか想像しづらいので、国際線の旅客機と比べてみましょう。たとえばアメリカ製のボーイング777-300ERは約160t、ヨーロッパ製のエアバスA380は約277t。これら大型機よりもずっと軽いことがわかります。さらに、90tがひとかたまりとなって落ちてくるわけではなく、数百から数千の破片に分かれて降り注ぎます。

 加えて、ISSの軌道下にある水陸の比率は水の方が広く、地上も砂漠などの無人地帯が含まれることを考えると、人口密集地に直撃して大きな被害が出る確率はかなり低く、ましてや一人の人間に直撃する確率はほとんどないことがわかります。なお、ゼロでなければ不安という方もいるかも知れませんが、それは杞憂といえるでしょう。

今すぐ軌道維持噴射が止まったら?

 仮に今、ISSの軌道維持ができなくなったとしましょう。それでも、地上に落ちてくるのには年単位の時間がかかります。2022年1月に、NASAは2030年頃のISS運用終了に向けてのロードマップ(International Space Station Transition Report)を発表しました。


ISS軌道離脱計画。大気の状態に応じ3つの想定がある(画像:NASA” International Space Station Transition Report”11ページより)

 その中の図を見ると、2年から3年かけて自然に高度を落とし、最後に3回の最終離脱噴射を行って太平洋上に落下させる計画が示されています。高度を落とす時間に幅があるのは、地球の大気の状態が変化するためです。

 つまり、この間にISS参加国が知恵を絞って新たな軌道制御の方法を実現すればいいということであり、時間的な余裕はまだあります。すでにシグナス宇宙船があるものの、これを打ち上げるアンタレスロケットの1段目にはロシア製のエンジン「RD-181」が使われています。

 ロシアがこのエンジンの供給停止を予告していることから、もしかしたら打ち上げに影響が出るかもしれません。しかし、「スペースX」のドラゴン補給船を改良して軌道変更能力を持たせることが検討されるなど、それ以外にも複数の軌道変更手段が考えられており、それらを実現することで道は開けそうです。

ロシアの影響は限定的、でも規模縮小の可能性も

 3月19日に、ロシアが管理するカザフスタンのバイコーヌール宇宙センターから、ISSの交代クルーを乗せたソユーズ宇宙船が打ち上げられ、無事にISSに到着しました。どうやらロシアは当面ISSから離脱する予定はないと見られますが、将来はどうなるか見通せません。

 仮にロシアがISSを離脱するならば、クルーの交代と物資輸送に影響が出るでしょう。現役の有人宇宙船はロシアの「ソユーズ」、アメリカの「クルー・ドラゴン」、中国の「神舟」しかなく、ISSに人を往復させることができるのは「ソユーズ」と「クルー・ドラゴン」のみです。ちなみに、物資輸送船はロシアの「プログレス」、アメリカの「シグナス」と「ドラゴン」(カーゴドラゴン)です。


宇宙ステーションにドッキングしている米ロの宇宙船(画像:NASA)

 仮にアメリカのみになったとしても人と物資の輸送は行えますが、頻度は下がると考えられます。宇宙船もロケットも輸送する物資も、製造するには費用と時間がかかる上に、現在は世界的に半導体と各種材料の供給が不足しており、急に調達するのが難しいためです。

 つまり、ISSの維持という点では影響は少ないが、今よりも滞在人数や物資輸送の規模は小さくなるのではないでしょうか。

 ロシアがISSを離脱するとなれば、有人分野での存在感が小さくなるのは免れないでしょう。「ソユーズ」はISSへの定期便として運行され続けていますが、離脱をすれば行き先を失ってしまうからです。商業打ち上げとして地球周回観光をする道も考えられますが、現状を考えればお金を払ってまで乗りたい顧客が現れるかは疑問です。また、ISSの運用終了時期の再検討や、ロシア側モジュールの管理といった問題も起こってくるでしょう。

 離脱しないのであれば、規模は縮小されるとしても当面はISSの現体制が保たれるものと思われます。