「本を読んでも成長しない人」よくある5大共通NG
「背伸びした本」ばかり読んでいませんか?(写真:shige hattori/PIXTA)
テクノロジー、政治、経済、社会、ライフスタイルなど幅広い分野の情報を発信し、日本のインターネット論壇で注目を集める佐々木俊尚氏。
「ノマドワーキング」「キュレーション」などの言葉を広めたことでも知られ、2006年には国内の著名なブロガーを選出する「アルファブロガー・アワード」も受賞している。
その佐々木氏が、このたび、『現代病「集中できない」を知力に変える 読む力 最新スキル大全』を上梓した。
「ネット記事」「SNS」「書籍」などから、「読むべき」記事をいかに収集し、情報を整理し、発信していくか、自身が日々実践している「新しい時代の読み方」の全ノウハウを初めて公開した1冊で、発売後たちまち4万部のベストセラーになっている。
そんな佐々木氏が、「『本を読んでも成長しない人』よくある5大共通NG」について解説する。
「本を読んだから『成長した』」とは限らない
「本」は、決して「暇つぶし」などではない。「学び」であるのと同時に「娯楽」でもあり、自分の人生に蓄積していくものである。
自分の「知肉」を育てるには、現時点での「多様な視点」からテーマをさまざまに照射することで、全体像のイメージを持つことだ。書籍は「物事についての全体像を知る」うえで最も良質なガイド役になってくれる可能性が高い。「本を読む」ことで自分の「知」を高め、成長していくのだ。
しかし、「勉強のため」「仕事のため」に読まなければならない本になると、急に読むのがつらくなり面倒になってしまったという経験は、みなさんもあるだろう。
無理やり読み進めようとがんばる人も多いだろうが、そんな読み方では、たとえ最後まで読みきったとしても結局は頭には何も残らない。「知肉」にもならず、結果的に自分の成長につながらないことが多いものだ。
ここでは、「本を読んでも成長しない人」がやりがちな5つの失敗を紹介する。
ひとつめは「自分の現時点での知識や読書スキルをわきまえず、背伸びして『難しい本ばかり』選んでしまう」ことである。
自分の「スキル」に合わせて読むべき本を取捨選択
【1】背伸びして「難しい本ばかり」選んでしまう
本を読むとき、その本に対して「自分の読書スキルが足りていない」ということも多い。たとえば、高校時代に数学が苦手であまり勉強しなかった人が、いきなり「数学の最先端の本」に取りかかっても、おそらく1ミリも理解できないだろう。
「現代思想」などの本にもこれが当てはまる。「脱臼」「脱構築」「生権力」など特有の用語づかいがあり、慣れていないと何を意味しているのかさっぱりわからない。
人生は短く、読まれるべく待っている本はたくさんある。ソリの合わない人と付き合ってもムダな時間になるのと同じで、「読書スキル」が足りていないのに、背伸びして「難しい本」ばかりを無理して読み通そうとしても、さっぱり頭に入らない。ただただ時間がかかるだけでムダである。
自分の「スキル」に合わせて「読むべき本」をドライに取捨選択していくことも大事だ。それに、人間と違って、本には恨まれる心配がないから安心である。
【2】自分とその本との「相性が悪い」のに読もうとする
どんなにすばらしい才能の持ち主であっても、人には他人との「相性」や「付き合いやすさ」などがあるように、本も人間と同じように「人格」を持っていて、「付き合いづらい本」や「相性の合わない本」がある。
たとえば、わたしの個人的な例でいうと、昭和の大作家・三島由紀夫の思想に非常に興味を持っていて、過去に何度となく作品に挑んだ。
しかし、彼の小説を実際に読みはじめると、とたんにつまずいてしまう。三島ファンには申し訳ないが、特有の技巧をこらした文章表現が自分に合わず、気持ちよく読み進めることができないのだ。
「名著」と呼ばれる本は世の中にたくさんあるが、そうした本はすべての人にとっての名著であるわけではない。どんなに「名著」でも相性が悪ければ自分の「知肉」にならず、成長もできないのだ。
3つめは「頭に入っていかないのに、『せっかく買った本だから』『評判の本だから』『すすめられた本だから』という理由で、無理やり読み進めようすること」である。
どんな本でも、「無理」と思ったら潔く諦める
【3】「頭に入らない」のに読みつづけようとする
本の冒頭30ページほどを読んでみて「これは頭に入らない」「無理だ」と思ったら、それがどんな名著や、すすめられた本でも、いったん潔くあきらめよう。
導入部分が長い長編小説などは別として、「それより先を読んだら、急にすっと頭に入ってくるようになった」などというケースは現実にはほとんどないからだ。
わたしの経験で、読んでみて、はじめて「あっ、これは無理だ」とわかることもある。逆に、敬遠していた本が、読んでみたら案外にスルスルと最後まで読めたということも一度や二度ではない。
「相性が悪い本」や「現時点で読むためのスキルが自分に備わっていない本」を、無理して読むのはやめよう。それは「時間のムダ」である。
【4】「面白く感じない」けど、読み進めようとする
あらゆる本は「楽しむため」にある。「楽しい読書」でなければ、本の中身が頭に入ってこないからだ。楽しめるからこそ、自分の「知肉」になる。
しかし、「面白く感じない本、退屈な本でも、読まなければいけない」と、必死で読み進めようとする人がいる。
「知肉のため」「教養のため」とはいえ、「面白くない」のだから、内容を頭に入れようとしても残らず、結果「知肉」にもつながらない。その分「時間をムダにするだけ」である。
たとえば、ドイツ哲学に触れたいとき、いきなり「名著」に挑戦するのではなく、「入門書」「漫画版」などがあれば、わかりやすく「面白さ」も感じやすくなるだろう。「面白く感じない本」をイヤイヤ読むことはないのである。
最後は、「『メモ』をとらず『読みっぱなし』にする」ことである。
【5】「メモ」をとらず「読みっぱなし」にする
本を読んで「気になったところ」があっても、「メモ」もとらず「読みっぱなし」にしてしまっている人はいないだろうか。これでは、せっかく「いい本」を読んでも何も残らず、「知肉」にはつながらない。
そこで、「気になるところ」が出てきたら、紙の本なら「付箋」を貼り、電子書籍なら「ハイライト」などの機能を使って「視界に入っているうちに」チェックをしておこう。
そして、チェックしたところはそのままにせず、電子書籍なら「メモアプリ」などにコピペする。紙の本ならノンブルとともにメモをしておく。文章は一字一句正確に書き写す必要はなく、意味がわかる程度にまとめるだけでいい。
メモをする際、自分の短い感想を加えておくといいが、「面白い」「感動した!」というような内容のない「ふわっとした感想」はNGである。あとから見返しても「何に面白いと感じたのか」がわからなくなってしまうので、短い感想でいいので、できるだけ具体的に書くのがコツである。
「楽しみな読書」から「知肉」を育てる
「本を読む」という行為は「強制」ではない。もちろん、強制的に本を読まなければならないケースも、時にはあるだろう。仕事で覚えなければいけないスキルのための実用書とか、プロのライターがメディアに書評を書く場合などがそうだ。
しかし、そういう強制の読書でない場合には、自分の中に「強制」を課す必要はない。もっと自由に本を読めばいいのだ。
読書を「勉強の本」「娯楽の本」と分けてバランスを考えるのではなく、勉強の本も娯楽の本も、すべて「自分にとって楽しみな本」にインテグレーション(統合)してしまうのだ。
そういう考え方に持っていけば、読書はぐんと楽しくなる。どんどん「知肉」が育ち、自分の成長へとつながっていく。みなさんも、ぜひ「楽しみな読書」から「読書スキル」と「知肉」をいっきに育てていってほしい。
(佐々木 俊尚 : ジャーナリスト)