露軍が破壊 世界最大の飛行機「An-225」とは ナゼ世界に1機? ″空飛ぶ世界遺産”無二の歴史
ロシアが開始したウクライナへの軍事攻撃で、世界唯一にして世界最大の飛行機「An-225『ムリヤ』」が破壊されたとウクライナ当局が公開しました。どのような機体だったのか、その経歴を振り返ります。
28日にウクライナから発表
2022年2月28日、ウクライナ当局からとある悲しい知らせが飛び込みました。アントノフ設計局(現企業名はアントーノウ記念航空科学技術複合体)が手掛けた世界唯一・そして世界最大の飛行機An-225「ムリヤ(Mriya。ムリーヤとも)」がロシアの軍事侵攻によって、キエフのホストメル基地で破壊されたのです。アントノフ設計局は「現状は調査中」としているものの、各所で報じられている情報や映像から、かなり深刻な損傷を負ったことは間違いなさそうです。
アントノフAn-225「ムリヤ」(画像:Antonov Company)。
An-225は、旧ソビエト連邦時代のアントノフ設計局によって開発され、1988(昭和63)年に初飛行しました。最大離陸重量は640tで、全長84m、全幅88.74mの規格外の胴体をもちます。同機は、重量ベースでの「世界最大の航空機」をはじめ、240にも及ぶギネス記録を保有。形状も独特で、片翼に3発ずつ計6発搭載したエンジン、32個の車輪をもつムカデのような脚、垂直尾翼が水平尾翼の両端についたH型の尾翼デザインが採用されています。
アントノフ設計局は、1946(昭和21)年にソビエト連邦のノボシリビスク航空機製作協会、OKB-153として飛行機の製造を開始。1952(昭和27)年にソ連の一部だったキエフに設計局が移転し、そこでは第二次世界大戦で損傷した航空機の修復をしていたそうです。その後キエフを拠点に事業規模を拡大させ、An-10,An-12などC-130に似た四発輸送機や、それを大型化したようなAn-22などを開発。ソ連の輸送機開発における重要な役割を果たしていました。
設計局の中心的役割であったオレグ・アントノフ氏は1984(昭和59)年に亡くなったものの事業は継続され、そして1991(平成3)年にソ連が崩壊し、ウクライナとして独立したあとは、同国の一大航空機メーカーに発展しました。現在までの製造機数は2万2000機を超えるとか。
ただ、そこまで多くの航空機を作ってきたアントノフ設計局にもかかわらず、An-225「ムリヤ」の完成機数は、たったの1機しかないのです。なぜでしょうか。
モンスター機「An-225」誕生の経緯
1970年代のソ連では、アメリカ側の宇宙進出に東側諸国として対抗すべく、「エネルギア」というロケットに、ソ連版スペース・シャトル(再使用型宇宙往還機)「ブラン」を搭載して宇宙へ向け打ち上げる――という通称「ブラン計画」が進行していました。
ここで問題となったのが、「ブラン」を製造工場、発射場所、帰還後の着陸地といった各地からどう空輸するか、という点です。飛行機の上に飛行機を載せて飛ぶことになるため、これを担う輸送機のサイズは巨大でなければいけません。なお、アメリカのスペース・シャトル計画では、「ジャンボ・ジェット」ことボーイング747の胴体の上に機体を載せて輸送する方法が採用されています。
ブラン計画でも、同様に「ブラン」を空輸できる輸送機が必要だったものの、当時アントノフ設計局の最大の輸送機であったAn-124「ルスラン」では、とてもこれを担えるほどのキャパシティはありませんでした。そこでAn-124を大型化し、エンジンを6基搭載したAn-225「ムリヤ」が開発されたのです。
2009年10月のサモア沖地震で、被災地サモア諸島に救援物資を運んできたAn-225「ムリヤ」(画像:アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁/FEMA)。
ただ「ブラン計画」は1988(昭和63)年に無人機の発射と自動着陸に成功したものの、ソ練の崩壊にともなって計画はとん挫します。An-225「ムリヤ」も一時“用済み”となってしまいました。その巨大さゆえ、輸送機として運用できる空港も限られることから、ウクライナの工場に放置され、An-124に使える部品は剥がされて、一時はスクラップ同然の状態でした。
そのようななか、アントノフ企業の一形態として、An-124「ルスラン」のチャーターをウリにする航空会社が設立されます。これが冒頭のアントノフ航空です。
An-225「ムリヤ」はどう復活したのか?
An-225「ムリヤ」は先述のとおり「ブラン」を輸送する任務に特化して開発されたものの、輸送機として評価の高いAn-124「ルスラン」ベースの設計を採用し大型化した機体でもありました。「ムリヤ」はその大きさもさることながら、機首部分が貨物ドアとして開く「ノーズ・カーゴ・ドア」を装備するなど、超巨大貨物の輸送にピッタリだったのです。
そこで、アントノフ航空はAn-124では対応できない長大貨物への需要も見越して、An-225を再生し、2000年代から貨物機として運用を開始、現在に至ります。日本に飛来したことも数度あり、2011(平成23)年の東日本大震災では救援物資輸送のために来日。直近では、2020年6月、新型コロナ関連の物資輸送任務のなか、給油のために中部空港に立ち寄っています。
2010年9月、自衛隊の海外派遣を支援するために仙台空港へ飛来したAn-124「ルスラン」(柘植優介撮影)。
ちなみにAn-225につけられた「ムリヤ」の愛称は、日本語では「夢」という意味を持ちます。An-225はウクライナにとってもある種、象徴的な航空機であることは、2021年のウクライナ独立30周年の記念行事でAn-225がキエフ上空を展示飛行した様子などでも窺い知ることができます。
――そのデザインや大きさだけでなく、その経緯、これまでの活躍から“空飛ぶ世界遺産”ともいえるAn-225「ムリヤ」。ウクライナ当局は「この機を復活させる」といったコメントを出しています。一刻も早く今回の軍事侵攻が終結し、この「夢」が詰まった飛行機が再び空を翔けるための新たな一歩を踏み出し、いつの日か、また日本に姿を見せてくれる日が来ることを祈るばかりです。