地方の貧困DV家庭に生まれたものの、奨学金制度を活用し、努力を重ねるうちに人生は好転していき……(写真:monzenmachi/GettyImages)

これまでの奨学金に関する報道は、極端に悲劇的な事例が取り上げられがちだった。

たしかに返済を苦にして破産に至る人もいるが、お金という意味で言えば、「授業料の値上がり」「親側におしよせる、可処分所得の減少」「上がらない給料」など、他にもさまざまな要素が絡まっており、制度の是非を単体で論ずるのはなかなか難しい。また、「借りない」ことが常に最適解とは言えず、奨学金によって人生を好転させた人も少なからず存在している。

そこで、本連載では「奨学金を借りたことで、価値観や生き方に起きた変化」という観点で、幅広い当事者に取材。さまざまなライフストーリーを通じ、高校生たちが今後の人生の参考にできるような、リアルな事例を積み重ねていく。

「自分の体験談は、地方の貧困家庭出身者の励みになる可能性がある」という応募メールを送ってくれたのは、木村裕介さん(34)。Zoomでの取材が始まると、屈託のない笑顔と通る声が印象的で、若手落語家のような印象を受けた。

しかし、その半生はなかなかに苛烈で、本人も認めるように「ギャンブルのよう」でもあった。

貧困DV家庭に生まれ、バイトして高校に

木村さんが奨学金を借りることになった理由は、父親のDVと、それに伴う両親の離婚だ。以下、DVの描写があるので、フラッシュバックの可能性がある人は十分注意してほしい。

「父親は自分を含む、家族全員にDVをしていました。母が食事を作ってないことに父が腹を立てて、母の髪を掴んで思いっきり壁にガンガンぶつけて、そのまま頭を床に叩きつけたり ……そんな光景を今でも覚えています。僕たち兄弟は全員なすすべもなく、それを泣きながら見ていました。そして母はその後も、殴る蹴るの暴行を受ける……。


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父は一応仕事はしていたものの、いつも夜遊びしている飲んだくれで、遅刻を繰り返していたり、お客さんとの約束の時間に現れないことも多々あり、それらをすべて、一緒に働いていた母がカバーしていました。だけど、給料はすべて父のもとに入っていたらしく、母は一切もらえていなかったようです」

木村さんは4人兄弟の長男だ。母は歳の離れた弟たちの子育てもあって、正社員にはなっていなかった。そのため、木村さんは高校生になると、通っていた公立高校の授業料を自身のアルバイト代から捻出するようになったという。

「僕が住んでいた県では当時、公立高校の授業料はひと月に1万5000円あれば足りたんです。それと教科書代と交通費。教科書代は年に1回、1〜2万円程度用意しておけばよく、交通費も半年で3万円くらいでした。バイト代は月々7万〜8万円ぐらいですね。1〜2年生の頃は大晦日もバイトしていました」

そんなバイト漬けの木村さんが、本格的に勉強を始めたのは2年生の終わりから。1年生の頃から大学進学は決意していたが、進学校出身ではない。むしろ、母校の偏差値は40台だったという。

「ある時、全国模試を受けたら、物理の全国偏差値が37だったのに、うちの学校の生徒のなかでの偏差値は73だったことがあって。その結果を見て、『このままじゃ自分の人生はダメになる。いい大学に行きたい!』と思うようになり、勉強熱に火がつきました」

高校の推薦入試で受けられる学校のなかで、一番難易度の高い大学が日本大学だったこともあり、「絶対、日大よりも上に行く! できれば、MARCH以上!」と決意した木村さん。センター試験で失敗したことで第一志望の国立大学には振られてしまうが、予備校などに通うこともなく、 最終的に某有名私大に現役合格を果たした。

「国立には落ちましたけど、受験したMARCHなどの大学はほぼすべて合格。高校ではスーパースターのような扱いで、母も喜んでくれましたしね」

私立理系の授業料が重く乗りかかり…

高校ではスーパースターになった木村さんだが、肝心の授業料を、誰かが自分の代わりに出してくれるわけではない。すぐに大学の入学金30万円が必要になり、理系ということもあって、授業料も毎年120万円かかった。
そして、木村さんは奨学金(第一種)を借りることを決意。毎月5万円振り込まれるようになったが、余裕はなかったという。

「年間120万円の授業料なので、ひと月あたり10万円はかかる計算ですよね。そうなると、奨学金が毎月5万円入ってきても、『毎月マイナス5万円からのスタート』でした。正直、今なら『もっと借りておけばよかった』って思いますけど、数百万円なんて高校生にしたら大金じゃないですか。怖さしかないし、当時は『5万じゃ、足りないよ〜』という気持ちでした」

結果、高校時代と変わらずバイト漬けの生活が始まったが、それでも、木村さんは学生生活を満喫していたという。

「ファストフード店を皮切りに、塾講師、イベントの設営、家庭教師……などバイトはいろいろやっていました。18歳になると深夜バイトができるようになったのはありがたかったですね。時給が25%上がるので(笑)。

それでも、『大学に入るためにあれだけがんばったんだから、少しは遊びたい』という思いもあって、楽しい学生生活を送ろうと心がけていました。できる限り授業には真面目に出つつ、サークル活動を積極的にしたり、友達と旅行をしたり、徹夜で麻雀して1限を逃したり。ちゃんと、やりたかったことはやった感じですね」

大学生らしい生活をしつつも、決して散財していたわけではなかったが、実験などもあってなにかと忙しい理系の身では、バイトだけで授業料を稼ぎ続けるのは困難だった。結果、木村さんは第二種奨学金(有利子)も借りることを決意する。この時点で、返還額は合計で約360万円。

そして、3年生になってからは、就職と大学院への進学で悩むことになる。ここでも気になるのは学費であった。

「僕の人生の中で1番大きな決断が大学受験なら、2番目は大学院への進学。家庭の状況を考えると『少しでも働いて、稼がなくてはいけない』という気持ちもありましたけど、当時は『もう一段上の勉強をして、もっと高い教育を受けたい』と思ったんです。

大学院でかかるお金を調べていると、内部進学なら30万円の入学金免除があることを知りました。そうして、『ここまで来たら進学しよう! 就職してちゃんと返そう!』と決心したという感じです。弟たちはとっくに働き始めていたので、『まだ勉強するの!?』という反応でしたね」

こうして、木村さんはさらに奨学金を借りた。どんな返済生活になるかまったく予想できないなか、奨学金は合計で約570万円に達していた。

「返済を大変と感じたことはない」

だが、この選択が木村さんの人生をより好転させた。大学、大学院で学んだ知識を活かして、誰もが名前を知るような大企業に就職することができたのだ。

「返済は毎月2万8000円を20年。それでも、新卒1年目から大変と感じたことはないです。仕事を早く覚えたかったのもあり、若い頃は毎月50〜60時間くらい 、時には100時間以上残業していたんです。僕が就職した当時は、今よりも残業への規制が緩かったんですよね。また、新卒3年目まで会社の寮に住めたことも影響しました。1年目からしっかりボーナスがもらえる会社だったのもよかったです。もっとも、『これなら余裕で返せるな』と思ってからは、財形貯蓄と並行して、投資を始めたので、口座はわりと空ではありましたけど」

リスクを取ることを恐れない、ギャンブラー気質な木村さんだが、奨学金の返済がありながら、投資をしていくことに不安は覚えなかったのだろうか?

「むしろ逆ですね。今は『もっと投資しておけばよかった』と思っているほどです。財形貯蓄は給料から月々5万円天引きされるようにしていたんですが、利子はほとんどつきません。今なら、『迷わず全部、S&P500に投資しておけばよかった』と思います。

……高校生には理解しづらいとは思うのですが、日本の奨学金(有利子の第二種)ってすごく利率が低いんです。多くの人が年2%以下です。一括返済するよりも、S&P500に投資しつつ15年とか20年かけて返済したほうが、複利の恩恵で、高い確率で儲けが出る。と言っても、僕もその計算ができなくて、第二種を一括返済してしまった側なんですけどね(笑)」

攻めの姿勢は社会人でも続いた。新卒で入社した会社で8年弱勤めたのち、「英語を使った仕事をしたい」との思いから、外資系企業に転職したのだ。

「当時、僕のTOEICのスコアは700点台とそこまで高くありませんでした。だから、英語を使った仕事をしたいと上司に伝えても、『他にもっと適した人がいるし……』と言われたんです。当然っちゃ当然だけど、それでも僕は英語を使った仕事がしたかった。そこで転職活動をすることにして。いろんな会社を受けるなかで、僕のことを買ってくれる人に出会い、無事、満足のいく転職をすることができました」

人生を通じて、常にリスクをとってきた印象の木村さん。予備校に一切通わずに大学受験を成功させたことなどを聞くと、さぞかし優秀で、能力の高い人なんだろう……と思う読者もいるかもしれない。

しかし、木村さん自身は、自分のことをこう分析する。

「いえ、むしろ僕の能力値は平均か、もしくは平均以下だと思っています。でも、振り返ってみると、『自分の人生の中で、重要なポイント』は外さなかった気がしています。

たとえば、高校生の時は大学進学を決意して必死で受験勉強したし、大学院に行くと決めた時には躊躇せずに奨学金を追加で借りました。転職の時も、『どうすれば、今の職場の経験を活かしつつ、自分のやりたい仕事ができるようになるか?』を考え、調べて、試行錯誤してみたり 。そうやって、然るべき時に、然るべきポイントを外さずに注意を向けることによって、うまくやってこられたのかもしれません」

奨学金で大学進学、返済が「自信」に繋がる

そして、木村さんはこう続ける。

奨学金を借りて、かつ返せているという事実は、僕の中で大きな自信になっています。大学に行ったのも自分の意志ですし、周りの人に助けてもらいながらではあるけど、自分のお金で行ったことも自信に繋がっている。だから、今の奨学金制度を作ってくれた、日本という国に感謝をしています。なにかと批判されがちな奨学金制度だけど、僕みたいな人間もいることを、高校生には知ってほしい。

もちろん、途中でケガや病気などで働けなくなる事情は誰にでも起こり得るということを考えると、奨学金を借りることそのものにネガティブな印象を持つ人が多いことも理解できます。だから、一概に良し悪しを言うことは難しいんですけどね」

まっすぐな目で、そう語る木村さん。貧困DV家庭の生まれでありながら、人生を好転させてくれるきっかけとなった奨学金のシステムに、深く感謝しているようだ。

しかし、その一方で、「奨学金の本来あるべき形」として理想とされる、返済不要の「給付型」を増やすことには疑問があるという。

「大学院の時に、企業から56万円×2年間、合計100万円強の給付型奨学金をもらったことがあります。一定の収入以下の大学院生1名の枠に、僕を含めて3名の該当者がいたのですが、その中から僕が選ばれた。

なぜ、僕だったのか?

気になったので教授に聞いてみたところ、最終的に『学部の時の成績が一番上だったから』ということで、選ばれたそうです。

成績が良い人が選ばれるというのは、一見公平のように思えますが、突き詰めると『勉強がしやすい環境にいる人が有利』ということになるんです。例えば世帯年収400万円の家庭と100万円の家庭では、生活にまだ余裕のある前者の家の子のほうが有利になりますよね。後者の家庭の子は生きていくことで精いっぱいで、勉強は二の次にならざるを得ない。

そういう現実もあることを考えると、とにかく給付型を増やすことが必ずしもいいことだとは、僕には思えないんです。むしろ、全員に機会があるという意味では、貸与型のほうが公平である面もあると思います」

時に暗く、重い話をするときも、常に木村さんは明るい口調だった。そんな人柄が幸運を引き寄せてきたのだろうが、「自分は返せたから他の人も返せるはず」という、ある種の生存者バイアスに支配されることなく、客観性を保ちながら、かつての自身のような貧困家庭に生きる子どもたちのことを考えている印象だ。

どれほどの人が彼ほど力強く、攻めの姿勢を貫きながら、なおかつ周囲への配慮も持って生きられるかはわからないが、貧困家庭で暮らす高校生は、彼の体験談を参考にしてみてほしい。

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(千駄木 雄大 : 編集者/ライター)