ポスドク「使い捨て」、終身雇用もかなわず「大学」を去った若手講師の「孤独な戦い」
近年、深刻化しているのが、「ポスドク」問題だ。博士号を取得した若手研究者のうち、6割が「任期付き」という不安定な有期雇用にある。
さらに、安定した終身雇用のポストへの採用は狭き門であり、「雇い止め」のような形で任期を終えた若手研究者が「使い捨て」されるケースも後をたたない。
「大学が若手を使い潰して捨てるようなことを繰り返しているので、日本のアカデミア(学術研究の環境)に見切りをつけることにしました」
そう話すのは、この3月まで、ある地方の私立大学で任期付きの専任講師として働いていた男性(30代)だ。
将来を嘱望された若手研究者で、学生からの人気も高かったが、期待されていた終身雇用への切り替えを大学がおこなわず、事実上の「雇い止め」をされた。
男性は弁護士に依頼し、大学と交渉したものの、状況を変えることができず、この春でアカデミアを離れる決意をしたという。閉ざされた大学で、何が起きたのだろうか。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
●3年任期のはずが、なぜか1年契約
男性は国立大学で博士号を取得したのち、いくつかの大学で専任講師をつとめてきた。いずれも任期付だったが、専門分野では知られる業績も残している。
次のポストを探していた男性は2017年、大学など研究機関の求人情報が掲載されているサイト「JREC-IN」(ジェイレック・イン)で、ある地方の私立大学の募集を見つけた。そこには、「3年の任期を終了したのち、学部長の推薦があれば65歳定年の専任教員への切り替えをおこないます」と書かれていた。
年齢的にも終身雇用のポストを探していた男性はこの大学に応募し、無事に採用された。ところが、実際に締結された契約の期間はなぜか1年間となっていた。疑問を覚えた男性だったが、とにかく、翌年春から働き始めた。
1年目から、大量の仕事が男性にふりかかってきた。通常であれば学内の事情に精通する教員が担当する時間割を組む教務委員から、事務職員がおこなうような雑務まで、若手の男性に任せられた。
これ以外にも、学生指導の主任、オープンキャンパスの運営役、新入生研修合宿責任者、新入生ガイダンス準備担当など多くの役割を負わされながら、引き継ぎ資料もないまま講義もこなしていた。
「まだ子どもが小さくて、学内の保育施設に預けていました。午前中から午後まで講義して、夕方前には子どものお迎えに行き、自宅で夜中まで仕事をしました。土日も家に持ち帰りましたし、間に合わないときは、アウトドア用のベッドを研究室に持ち込んで、週に1回は徹夜していました」
激務の日々を、男性は振り返る。それでも、仕事に打ち込んだ甲斐があり、男性のゼミは学部内でも学生に人気が集まるようになっていた。
ところが、2年目となり、ある通知が大学から届く。専任教員への切り替えをしないという知らせだった。
●突然の「切り替え見送り」決定
男性にとって、青天の霹靂だった。組織を円滑に運営するために尽力してきた。それまでの仕事ぶりに問題があったとは、どうしても思えなかった。学部長に対して、なぜ切り替えが許されないのか、質問状を送った結果、驚くべき回答がかえってきた。
教授会で、男性の校務担当能力に対して複数の問題があるという報告があり、切り替えを見送ったという。教授会で全会一致しなければ、切り替えは認められない。誰か1人でも異をとなえる教員がいれば、男性の契約は継続されない仕組みだった。
報告された問題は、いずれも重箱の隅を突くような瑣末なものばかりにみえた。男性は弁護士に依頼し、学長と学部長に対して反論の文書を送った。そこで、代理人の弁護士はこう書いている。
「男性が、大量の校務を担当させられながら、特に大きな失敗もなかったことは、その校務担当能力になんら問題がないことを証明するものです。このような事情を積極的に評価することなく、依頼者が着任初年次において大量の校務を遂行する中で生じた不可避的なトラブルを取り上げて、消極材料とすることは、校務担当能力の評価方法として、不当であると言わざるを得ません」
文書では、報告された問題が実態とは異なることを証拠とともに否定した。切り替え見送りの撤回を求めた。学部側が男性に一度も事実確認しなかったことも、男性は憤りを覚えている。
「研究者にとって大切なのは裏付けされた事実です。しかし、一部の教員が報告したことを、何も確認せず、そのまま鵜呑みにして決定してしまう仕組みはありえないと思いました」
●「次世代のために大学と戦った」
男性の代理人弁護士が大学に送付した文書によると、男性と大学の契約書には1年の有期雇用と記載されているとはいえ、求人公募情報には「3年任期」と書かれていることなどから、「3年間の試用期間を付した解約権留保付労働契約」と解釈されるという。
そして、このような形の契約は、一般的に期間満了して雇用契約が終わるのではなく、試用期間満了の際に採用を拒否する場合は、要件を満たす必要があるとされる。
この要件は厳しく、代理人弁護士によると、法的には懲戒処分を受けたり、職務上の注意を受けた場合に限られると解釈されるという。もちろん、男性の場合、そうした「要件」にはあたらなかった。
代理人弁護士が大学に送付した文書は、実に100ページを超えている。丁寧に「証拠」を添えたからだ。
しかし、男性に対する切り替え見送りの決定を大学が覆すことはなかった。男性はことし3月、3年間働いた大学を去った。何も知らされていなかった男性のゼミの学生たちは、学部長をはじめとする複数の教員に「先生のゼミを存続させてほしい」と嘆願したという。
「うれしかったですね。大学に対して地位保全を求める裁判を起こすことも考えましたが、もう孤独な戦いに、正直、心が折れました」
それでも、男性が大学側と戦ったのには理由がある。
日本では、人材の流動性を高めるという目的で、大学教員の任期制度が広く導入された。一方で、ポスドクに対して求人の数は十分ではなく、若手研究者を安い給与で有期雇用しては、使い捨てるといった大学も少なくない。
いわゆる、「ポスドク問題」や「高学歴ワーキングプア問題」を生じさせる原因である。
「ここで少しでも自分が戦わなければ、絶対に次の世代に悪習を残してしまうと思いました。そのためかわかりませんが、僕より後に採用された教員は、初年度の仕事も適正化されていますし、雇用形態の転換に際しても、自分のような理不尽な意思決定はなされなかったようです」
男性は大学を離れた後、民間企業で働いている。
「しばらく大学から離れようと思います。僕だけでなく、周囲の若手研究者が次々と日本のアカデミアから離れているのを見ると、制度が変わらないかぎり、アカデミアに戻るつもりはありません。
これまでの激務で培ってきたノウハウが民間企業で活かせるのは、いいことなのか、悪いことなのかわかりませんが。今のところ、前職までで散見されたような足の引っ張り合いはないので、精神的には安堵しています」