3組に1組は離婚している時代ですが、いざ離婚しようとなっても簡単なことではありません。
長年連れ添った配偶者との離婚を決める際、さまざまな事情があります。ここでは、20年の結婚生活にピリオドを打ったという佐藤まどかさん(仮名・48歳)にお話を伺いました。夫の不貞、借金が発覚し、離婚をして家を出るまでに一週間。その間に起こったことを語ってくれました。


夫と離婚したい。そう決めてからわずか一週間で家を出た佐藤さんにお話を聞きました(※写真はイメージです。以下同)

長年のモラハラ、借金…夫と離婚を決めて一週間で家を出た経緯



結婚生活20年、2度目の離婚となった佐藤さん。
再婚当初は、1歳になったばかりの息子を連れて、いちばん信頼できる“親友”と再婚したと思ったものの、夫の正体はモラハラ男。佐藤さんは年々ひどくなる夫のモラハラを我慢し、結果として夫が生活費を入れなった30代から40代半ばまで、夫を養っていました。家計も家事も育児も、“大黒柱”は佐藤さんでした。

ここでは、離婚の引き金になった夫の言動を振り返り、離婚届けを出すまでの経緯をお話しいただきました。

※ここからは、佐藤さんの語りで構成します。
※すでに離婚をしていますが、ここでは「夫」としています。

●セクキャバで月100万使う夫…店の売り上げを使い込み



夫は40代の前半でネットショップを始めましたが、家にお金を入れずに、そのお金で都内の高級ソープランドや名古屋の有名セクシーキャバクラ(セクキャバ)店に通うようになりました。夫が店を始めて3年後、私は46歳で会社を辞めて夫の店を手伝うことになりました。

夫は仕事を私に押しつけてほとんど事務所に現れず。それでも私がなんとか仕事を回して半年後に店の売上が2倍以上に伸びると、セクキャバに入り浸って毎月100万円以上を風俗につぎ込むようになりました。そしてある時、会社の資金繰りが苦しいので自己破産して「偽装離婚しよう」と私に言い出したのです。そういう話をした直後、腰が痛いと言って、そのまま入院してしまいました。

夫の不貞と使い込みがわかったのは、その入院中でした。夫が病院にいる間、偶然ソープ嬢やキャバクラ嬢とのメールや写真を発見したからです。後からわかったことですが、夫は事業資金として銀行から借り入れた1600万円を風俗に使ったうえ、私が貯めた息子の大学費用数百万円も使っていました。

これが離婚の大きな決め手です。ここから離婚に至るまでの一週間は本当に大変でした。

●税理士の義兄に相談して「証拠」を集める



私はキャバクラ嬢との写真やメールを発見すると、すぐに義兄にラインをしました。義兄は会計事務所の社長で税理士をしており、ことの経緯を説明し、アドバイスをもらおうと思ったのです。

義兄はすぐに返事をくれました。偽装離婚はそもそも犯罪であること、偽装離婚と知っていて届けを出すと、あとから認められない可能性もあること。そのため夫が自分の意志で離婚したことを示す音声を録音するように、というのが義兄のアドバイスでした。

●「離婚の意志を夫が示した証拠」を録音




翌朝、私は夫の病院に向かいました。病室に入る前にスマホの録音ボタンを押し、ポケットに入れます。そして夫と何気なく会話をし、それから切り出しました。

「離婚のことだけど、ちょっといい? 私も昨日調べたんだよね」
「いいけど、俺も気持ちのゆとりがないから、泣くとかやめてね」
「会社の資金ぐりが厳しくて離婚するっていうけど、偽装離婚って犯罪なんだよね。大丈夫なの?」
「役所がなにか言ってきたら別の場所に移動するかもだけど、大丈夫だよ。みんなやってるから。君に資金を移して財産保全する方が必要だから。それに離婚しておけば、なにかもめたときに君には害が及ばない。これは君と息子を守るためでもあるんだ」
「でも財産保全って、お金はほとんどないんでしょ?」
「そうだけど、細かいことはオレが考えるから。あくまでこれは偽装離婚だから」
「それを今言ったってことは、切羽詰まってるってこと?」
「うん、そう。君も、今さら本当に離婚しようとは思わないだろ? これまでどおりでいいよね? 偽装離婚したら君の名前で会社をつくって、今までどおりの仕事をすれば、生活くらいはなんとかなると思うんだ」
「え、私の名前で会社? そんなの必要なの?」
「社長っていっても君は名前だけだから。実質は俺がやるから」
「ふーん、じゃあとりあえず、いつでも必要な時に動けるように、離婚届を取ってきて離婚届を書いて準備しておいた方がいいね。それでいい?」
「うん…そうだね」
「じゃあ、明日取ってくるよ」
「うん」

こんな話を夫として、私は病室を出るとスマホの録音ボタンを切りました。なんとか夫が自ら離婚の意志を示し、離婚を了解している音声は撮れたはずです。

●義兄のアドバイス…義両親へ筋を通す




それにしても、偽装離婚後は私を社長にして、これまでと同じ仕事をするつもりだなんて…。風俗で自己破産したくせに、夫はまだ地道に働くつもりがないのです。自己破産したら夫は新しい会社をつくることはできません。それで私の名前で新しい会社をつくって、また私だけを働かせて、お金は好き勝手に使うつもりだったのでしょう。仮に銀行から借り入れをしたら、次は私が借金を背負い込むことになります。冗談じゃありません。

私は気持ちを落ち着かせながら、離婚届を取りに区役所に向かいました。体がフワフワして、よく知っている街が、知らない街のように見えます。運転に集中しなくては! ここで事故でも起こしたら、元も子もありません…。

私は区役所で離婚届を入手すると、家を出る準備を始めました。事務所と自宅で私が使っていたパソコンから必要なデータをコピーして、不要なデータや検索履歴を消去します。それからパソコンのパスワードも変え、夫が簡単には起動できなくしました。最後に荷物の準備です。必要最低限のものだけ入れたら、もうバッグがパンパンです。これだけで、気づいたら深夜になっていました。

私はここで再び義兄にラインをして、明日離婚届を提出し、そのまま家を出ると報告しました。義兄からは「義両親に家を出る前に挨拶し、経緯を話すべきだ」と返信がありました。私にとってはハードルが高いなぁと思いましたが、義兄は「絶対すべき」だと譲りません。私はしぶしぶ承諾しました。人として筋をとおしておくことが、こういうときは大事だと義兄は言いました。

●自己破産前に離婚届けを出したかったその理由



さらに翌日、私は朝から夫の病院に行くと、昨日と同様スマホの録音ボタンを押してから病室に入りました。夫に「離婚届取ってきたよ。ここに名前を書いて」と言ってペンを出し、考える間を与えずに名前を書かせました。それから私は、「自己破産する前に離婚した方がいいみたい」と、ネットの情報を見せながら、夫に説明しました。

「離婚してから自己破産した方がいいみたいよ。離婚届をこのあと出してくる」
「そうなんだ。じゃあよろしく」

黙って離婚届を出すこともできましたが、それをすると後から「離婚には同意したが、届けを出すことには同意していない」として、離婚の無効を申し立てられる可能性がありました。そのため私が離婚届を出しに行くことを、夫も了解していることを示す音声を録音したかったのです。

私は夫に別れを告げると、区役所に向かいました。離婚届を提出し受理されるまで待ちます。すると夫から電話です。迷ったものの怪しまれても困るので電話に出ると、夫が早口で話し始めました。

「離婚届けもう出しちゃった? 調べたら、自己破産後に離婚した方がいいみたい」
「ううん、出してない。まだだよ」
「よかった。じゃあまだ出さないで」
「わかった。それじゃあこれは家に置いておく。じゃあ、あとでね」

私はとっさに嘘をつきました。じつはネットで自己破産と偽装離婚について調べると、離婚してから自己破産しろというものと、自己破産してから離婚しろという相反する2種類の解説が出てきます。調べていくと、「自己破産→離婚」の記事のほうが数が多いのです。でもその順番で進めると、いつ離婚できるかわかりませんし、私は夫が入院している間に家を出ようと思っていました。この時の私は長年モラハラを受けてきたせいで、「夫に見つかったらなにをされるかわからない」と本気で怯えていたのです。

そのため私はあえて「離婚→自己破産」の解説を見せ、今日提出することに同意するよう夫を誘導し音声を録音していたのです。とにかく一刻も早く逃げ出したい! …私にはそれ以外のことは考えられなくなっていました。

●義両親との最後の別れ




私は自宅に戻ると、前日の夜に用意した荷物を持って義両親のもとへ向かいました。

「お義父さん、お義母さん、大事なお話があるんです。私、今、○○さん(夫)と離婚して、離婚届けを出してきました」

私は義両親に離婚の経緯をかいつまんで話しました。
夫が自己破産するので、偽装離婚を提案されたこと。夫が5年以上にわたって風俗に金をつぎ込み、その証拠のデータを見つけたこと。離婚してこれから出ていくこと。私がこの2年間、夫の仕事を無給で手伝っていたこと。夫がほとんど事務所に来ず、昼間からソープ通いをしていたこと…。

義両親は驚き、そして私の話を信じてくれました。そうです、この20年、私と義両親の関係はとても良好でした。働きの悪い夫を、私が経済的にカバーしているのを2人は知っていました。それだけではなく、私たちはほどよい距離を保ちつつ、互いに思いやりをもって接してきました。

思い返せば20年前、再婚の挨拶に行ったとき義母がこう言いました。
「○○(夫)が、お嫁さんと孫を一緒に連れてきてくれて嬉しいわ」

私は心から悲しくなりました。これを最後に、義両親2人とは会うことはないのですから…。

●本当にバッグ一つで逃げるように家を出た



私は義母のこの言葉を一度も忘れたことがありません。息子は義両親にとって、血のつながった孫ではありません。でも心からかわいがってくれました。

義母は私が残業で遅くなると、連絡しなくても息子に夕ご飯を食べさせ、義母の部屋で息子と布団を並べて寝てくれました。息子も「おじいちゃん、おばあちゃん」となつき、義両親の部屋で3人で楽しそうに過ごしていました。義母は息子が高校生になっても、息子のためにメロンパンをきらしたことがありません。息子がスポーツでプロを目指すかどうかで悩んだ時、「やる前からあきらめちゃってるよ」と言って後押ししてくれたのは義父でした。2人は息子を心から愛しみ、応援してくれたのです。

「どうか息子のことは、この先も孫だと思ってくださいませんか。お願いします」
「当たり前だよ。息子くんがいなくなるなんて、そんなのは困るよ…」

義両親は今にも泣きそうでした。
私は呆然と見送る2人を残して家を出ました。持ち物はバッグ一つ。20年で積み上げたたくさんのものは、すべて置いてきました。

私は足早に最寄り駅に向かいました。今にも夫に腕をつかまれそうな気がして、最後はほとんど走っていました。とにかく電車に乗ってこの街を離れよう。当時一人暮らしをしていた息子と合流して、離婚したこと、夫が息子の本当の父親ではないこと…いろいろと伝えなくてはなりません。

そして、これからのことを2人で考えるのです。電車に乗りさえすれば、その先に待っているのは息子と未来です。急ごう!
離婚を決めて、本当に大変だった一週間のことは、この先も忘れることはないと思います。

<取材・文/長根典子>