「雑誌SK」アーカイブ|フィルジル・ファン・ダイク フューチャー・イズ・ブライト

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[サッカーキング No.002(2019年5月号)掲載]

昨年1月、当時DFとして世界最高額でマージーサイドに渡った彼は、
リヴァプールとトロフィーの間にあったわずかな隙間を埋めたのかもしれない。
リヴァプールの未来は明るい。誰もがそう考えているのは、
フィルジル・ファン・ダイクという光がそこにあるからだ。

インタビュー・文=アンドリュー・マリー
翻訳=寺沢 薫
写真=ジョン・イーノック、ゲッティ イメージズ

 フィルジル・ファン・ダイクは、人生で初めて恐れを抱いた。病院のベッドに横たわる193センチのたくましい体からはチューブが垂れ下がり、ほぼ一定のペースでひどい痛みが襲ってきた。

 フローニンゲンで将来を期待されていた20歳のセンターバックは、1週間ほど体調を崩していた。本人は「ちょっと熱が出ただけだろう」と思っていたが、そうではなかった。ファン・ダイクは虫垂炎を悪化させ、腹膜炎と腎臓感染症に苦しむことになった。2012年4月1日に病院に運ばれた彼は、すぐさま緊急手術を受けなければならなかった。

「あの日のことは鮮明に覚えている」。それから7年が経ち、彼はリヴァプールの広大なトレーニング場でそう言った。こちらを真っすぐ見ながら。

「エイプリルフールだったからって嘘をつくつもりはない。本当に怖かったんだ。死ぬかもしれないと思った」

 今では誰もがプレミアリーグのタイトルレースについて聞く。「最高にエキサイティングなシーズンだけど、マンチェスター・シティから王座を奪えると思う?」、「プレッシャーはどのくらい感じている?」。だが、ファン・ダイクがプレッシャーを感じる以前に、もう一度ボールを蹴ることができるのか、呼吸ができるのかさえ分からないという不安に苛まれていたことは誰も知らない。

 その恐怖に比べれば、フットボールのプレッシャーなど大したことはない。PFA(イングランドフットボール選手協会)年間最優秀選手に選ばれそうなこと、リヴァプールが29年ぶりのリーグ制覇に近づいていること、世界最高のセンターバックと評されていること。ファン・ダイクにとって、それらの事実は何の重圧にもならない。

トロフィーはハードワークを続けてきた証
 ある木曜日、リヴァプールの中心部から数マイル東のウェストダービーは静寂に包まれていた。リヴァプールがトレーニング場を構えるメルウッドとはそういう場所だ。ユルゲン・クロップ監督は笑顔を見せながら建物へと入り、キャプテンのジョーダン・ヘンダーソンは広々としたプレスルームの横で立ち止まってスタッフに声を掛ける。GKのアリソンが別のインタビューを行うために隣の部屋へ入り、外を見るとアレックス・オックスレイド・チェンバレンがミネラルウォーターのボトルを車に運び込もうとしていた。

 ファン・ダイクがやってきたのはその後だ。取材陣に軽く挨拶して、ナッツが砕けるくらいの強い力でこちらの手を握る。黒いフーディにデニムジャケットを羽織っただけのシンプルな格好だが、背が高いから絵になる。部屋に入るときは少し屈まなければいけなかったほどだ。

「この取材を楽しみにしていたよ。さあ、始めようか」

 27歳のオランダ人はリラックスした様子でそう言った。シティと優勝争いをしている緊迫感などまるでない。

「タイトルレースに関するメディアのリアクションはちょっとまともじゃないね。大事なのは、今シーズン、僕らがまだ1試合しか負けていないということだ。でも、まだまだタフなゲームはたくさん残っている。チャンピオンになるためには常に最大限のパフォーマンスをしなきゃいけない。シティやトッテナムも素晴らしいプレーを見せているからね。僕らはシーズンが始まった頃と同じように、ポジティブな状態を保ち続けなければならない」