正体不詳のストリートアーティスト、バンクシーはイギリス・ブリストルがホームタウンだ(写真:rafalkrakow/iStock)

落札直後の作品が額縁の中のシュレッダーで裁断される仕掛けで世界中を驚かせ、東京・日の出埠頭でその筆とされるねずみのグラフィティ(落書き)が見つかって知名度が急上昇した、正体不詳のストリートアーティスト、バンクシー。ただ、日本で知られていなかっただけで、欧米ではすでにポップ・アイコンだ。『バンクシー〜アート・テロリスト』を書いた東京芸術大学の毛利嘉孝教授に聞いた。

イギリスでなければ出てこない才能

──いつ頃から注目を?

1994〜99年、2003〜04年にイギリスにいて、1990年代末にはバンクシーのグラフィティを見かけていました。はっきりと意識したのは、イラク戦争に反対するメッセージを出した2003年です。同じ頃、美術館、博物館に自らの作品をあたかも展示物のように置いてくる活動で新聞に取り上げられ、私同様、多くのイギリス人も彼を知ることになったと思います。

ビルの外壁などにスプレー缶で文字を書くグラフィティは基本的に犯罪ですから、書く人は匿名。彼もグラフィティライターでしたが、2000年代初頭に、絵や立体物をいろんな媒体で街に仕掛けるストリートアーティストになりました。

──なぜそう言えるのでしょう。

戦争反対、反資本主義などの政治的メッセージを出し始めると同時に、型紙を使ったステンシルという手法を採用し、黒と白でクールな表現をするようになった。つまり、洗練された方法で、一般人が関心を持つテーマを打ち出したのです。実際、1990年代のイギリス文化のスターは、オアシス、ブラー、デミアン・ハースト。2000年代は誰かというとバンクシーです。

──イギリスならではという感じも。

ユーモアのセンスは皮肉っぽいというかブラック。シュレッダー事件は、イギリスで人気の「Mr.ビーン」並みに子供じみている。イギリスでなければ出てこない才能でしょう。

──現在地はアート・テロリスト。

2つの意味があります。彼は2005年に分離壁にだまし絵を描いたり、その壁のそばに「世界一眺めの悪いホテル」を開業したりと、パレスチナに関わっている。イスラエルは石を投げる程度の民衆もテロリスト視しますが、そうした「テロリスト」の怒りをアートで表現するという意味が1つ。もう1つは、シュレッダー事件のような、権威的なオークション、美術館制度への異議申し立てです。

「匿名」が守られている理由

──第2の“テロ”は劣勢です。

バンクシーは反資本主義的身ぶりとともに、資本主義は「敵にも居場所を作る」と評価しています。資本主義はしたたかで、アウトサイダー的なものをのみ込んでいく。法外な値がつく美術品のオークションへの批判から絵を裁断したのに、裁断によって将来の価格が落札価格1.5億円の2〜3倍になりそう、というのは典型的な例。


毛利嘉孝(もうりよしたか)/1963年生まれ。京都大学卒業、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジPh.D.(社会学)。九州大学助教授などを経て現在、東京芸術大学大学院国際芸術創造研究科教授。専門は社会学、文化研究/メディア研究。著書に『文化=政治』『ポピュラー音楽と資本主義』など。(撮影:梅谷秀司)撮影:)

似たような話が多く、彼もうんざりしていますが、それでも自分が企画する展覧会はタダにするとか、誰もが購入可能な破格の値段で作品を販売するとかして対抗している。根がグラフィティライターなので、有名になって作品を高く売りたい現代美術作家とは違うモチベーションで描いています。

──世界各地で活動しているのに、なぜ匿名が守られるのでしょう。

非合法のグラフィティの世界は秘密結社みたいに皆口が堅い。メディアにも顔を出しません。ただ、会っている取材者はいるし、故郷ブリストルには「彼だよね」と目されている人もいますが、人々は匿名性を大事にしています。社会が成熟しているというか。「日本じゃ週刊文春があるので無理」と仲間内では言っています(笑)。

──匿名である理由は、リスク回避だけではないようですね。

都市の景観は誰のものか、という問題に関係します。グラフィティが1970年代にニューヨークの黒人の間で普及した背景には疎外感がありました。ニューヨークに住んで、働いて、税金を納めているけれど、街全体は土地の所有者、具体的には役所や企業のよそよそしいビルや美しいとは限らない広告、看板に覆われている。

つまり、グラフィティは都市の景観を自らに取り戻すための、表現活動、権利運動だった。グラフィティライターが匿名なのは、同じ境遇にある多くの市民を代表しているという意識の表れだと思います。

対する行政は、いわゆる「割れ窓理論」に立って取り締まり、グラフィティを消すのですが、全部消したわけではなく、面白いものや人の迷惑にならない場所のものは残しました。今でもグラフィティが盛んなニューヨーク、ロンドン、パリ、ベルリンといった都市では、人々がグラフィティはあっていいし、むしろ街を生き生きさせると考えている。高速道路の橋脚や線路沿いの壁がコンクリートの灰色である必要はないのです。

──日本とはだいぶ違います。

そもそも、都市景観は誰が作るのか、という意識が欠落しています。また、体育祭でマスゲームをしたり、同じようなリクルートスーツを着たりと日本人は秩序が好き。管理する側の意識を内面化していて、グラフィティなんてないほうがいいという感じですね。

行政が描いていいと言えばOKだし、行政が依頼して描かせた絵がどんなにつまらなくても、「消せ」という話にはならない。前述の都市は民主的とされる国の大都市。どことは言いませんが、強権的な国でグラフィティははやりません。

議論が起こる前に撤去した小池知事

──日の出埠頭のバンクシーは都市景観を考えるチャンスでした。

あの絵の扱いについて、いろんな意見があったはずです。東京都には、「これだけを特別扱いするのはおかしい、消すべきだ」という声が多く寄せられたそうです。逆に、欧米のように迷惑にならない場所ならどんどん落書きすればいい、という意見もありうる。


ところが、そうした議論が起こる前に撤去してしまった。勘のいい小池知事は残したほうがいいと思ったのでしょう。判断自体は間違っていないと思いますが、独断でやってしまった。十数年消されなかったということは、たぶん地元の人が落書きを容認していたから。住民の支持を確認し、それを尊重する残し方があったのではないか。

消されるかもしれないけど、グラフィティはそこに置かれているのがいちばん幸せ。行政の判断で撤去、保存だと、景観に関する問題提起がなされない。一方で残ってよかったという思いもあり、複雑です。

(聞き手 筒井幹雄)