自分の命と34人の命、どちらが「重い」ですか
究極の選択を迫られたとき、人はどんな判断をするのか?(イラスト:武田侑大)
究極の2択を迫られたとき、私たちの思考は深まります。自分で考える癖をつけ、思考の癖がわかると、人生の選択にも役立つことがあります。パズル作家北村良子氏の『究極の思考実験ー選択を迫られたとき、思考は深まる。ー』から、2つの思考実験を抜粋。あなたはどちらを選ぶ?
自分の命と34人の命、どちらが大切?
人数だけなら34人の方が重いが……
選択肢は2つ、「34人分の薬」を宇宙船から捨てるか、「自分自身」が宇宙船から飛び出し犠牲になるかです。
人数を比較すると、34人の死か、1人の死かですから、34人のほうが重く感じられます。しかし、1人のほうはほかならぬ自分ですから、命を捨てるという選択は簡単にできるものではありません。
ベナ星で待つ34人は今、有毒ガスによって死に近づいています。つまり、あなたが助けるか、助けないかで運命が分かれるのです。
一方で、宇宙船にいるあなたは、自分を犠牲にするか、自分を犠牲にしないかの、どちらかを選ぶことになります。あなたは薬を捨てたとしても、34人を殺すわけではないのです。
この思考実験では、殺す対象に自分が含まれているので、判断が難しくなるのは仕方のないことです。自分を殺さない義務のほうが、34人を助ける義務よりも大きいと考えても、一定の理解は得られるでしょう。
これに、「薬を現地に届ける」という、職務としての責任を加えた上で究極の選択をすることになります。
今回の究極の選択について、ウェブでのアンケート結果は、次のようになりました。
A 自分が犠牲になる……42%
B 34人分の薬を捨てる……58%
「34人分の薬を宇宙船から捨て、ベナ星に着陸する」が優勢でした。一方で4割の人が、自分が犠牲になると回答。34人の命を救うために出発したという責任を、重く受け止める意見が見受けられました。
自分を犠牲にする人の意見では、
自分1人より、34人の命を助けることに意義がある。(40歳女性)
34人を助けるという使命で出発しているから。(64歳男性)
一方、34人分の薬を捨てる人は
不可抗力のため、自分の使命は果たしたことになる。(45歳男性)
自分が犠牲になるにはとても勇気がいる。社会的に非難を受けないのであれば、自分を守る選択をしてしまう。(44歳女性)
という意見が多く挙がりました。
10万円を2人で分配、私はたった500円?!
さて、次の思考実験です。
あなたは、ある実験に参加することになり、実験会場であるオフィスビルの1室にいます。
隣の部屋には、もう1人の実験参加者(Aさん)がいるようです。部屋に実験者が入ってきて、あなたにこういいました。
「今からあなたとAさんの2人に、あわせて10万円を差し上げます。この10万円をどう分けるかを決めるのは、Aさんです。
もし、配分が気に入らなければ、拒否することができます。しかしその場合、あなたとAさんは互いに1円も貰うことができません」
そして5分後、再び実験者があなたの部屋にやってきました。
「Aさんはあなたに500円を渡すといっています。つまり、Aさんが手にする金額は9万9500円です」
あなたはAさんに会ったこともなく、お互いの名前すら知りません。また、この実験の後、Aさんに会うことはありません。
あなたはAさんからの提案を承諾しますか? 拒否しますか?
A……承諾し、5 0 0円を受け取る
B……拒否し、A さんもあなたも1円も受け取らない
Aさんが9万9500円で、あなたが500円という配分は、当然「馬鹿げている」と反発したくなるものです。
拒否をするのは、自分が少々の得をするよりも、相手に大きな得をさせないことで、不公平であると主張するためです。
500円を受け取ると答える人は「座っていただけで500円もらえるのだから、ラッキーだ」と答えるのではないでしょうか。
500円を受け取らないという選択は、相手との比較によって生まれます。一方で500円を受け取るという選択は、受け取らない状態(0円)との比較によって生まれていると考えられます。
もしも決めたのが機械なら、誰も文句は言わない
では、Aさんが人間でなく、機械だとしたらどうでしょうか?その結果としてはじき出した数字が500円だったなら、どう考えますか?
その場合、先ほどのような「ずるい」「馬鹿にされた」という感情は、まず浮かばないでしょう。「機械がはじき出した数字なら仕方がない」と受け取るでしょうし、「自分は500円渡せばいいタイプらしい」と、笑い話にすらなりそうです。では、両者の差は何でしょうか?
当然、相手が人か機械かという違いなのですが、それによって変わるのはあなたの思考です。相手が人間の場合、ずるい、おかしい、悔しいといった感情が芽生えます。
実際に似たような実験をすると、500円よりずっと多い配分にしても、相手のほうが多く受け取るケースでは「拒否」が多数派になることがわかっています。つまり、この思考実験は、相手への感情を優先させるか、自分の利益を優先させるかという2択になります。
もし、あなたの役を機械が担当したとしたら、100%の確率で500円を受け取るでしょう。なぜなら、そのほうが自分にとって得だからです。
しかし、私たちは機械ではないため、感情が働き、選択に迷うのです。
アンケート結果では、500円の受け取りを拒否し、Aさんも1円も受け取れないようにする、と答えた人が多数派となりました。
A 承諾し、5 0 0円を受け取る…43%
B 拒否し、Aさんもあなたも1円も受け取らない……57%
承諾すると答えた人は、あくまで自分が得をするかどうかを優先し、0円よりは500円でももらえたほうがいいという声が多数でした。
500円程度ならもらっても、もらわなくても、どちらでもいいがせっかくなのでもらっておく。(40歳男性)
自分には0円か500円かの選択肢しかないので、自己の利益を最大化する。(41歳男性)
一方、500円の受け取りを拒否すると答えた人の意見では、
あまりに少額なので、Aさんの思い通りになるのは悔しい。(45歳女性)
こちらに対する配慮がなさすぎる。せめて3:7程度の配分にして欲しい。(37歳男性)
と、不公平感に納得がいかないという意見が目立ちました。
「究極の2択」で、普段使わない思考回路を鍛える
2択の思考実験、楽しんでいただけましたか?2択というのは、大きく隔たりのある2つの選択肢から1つを選ぶため、決断力も必要とします。
私たちは毎日、何を食べようか、どこに行こうかと、小さな決断を繰り返していますし、考える力や決断力はそれなりに鍛えられていてもよさそうです。
しかし、毎日使い慣れている思考回路ばかりを使い、ある程度好みというフィルターが思考を助けてくれる状態での決断では、脳を鍛えることはできないのです。
普段の生活では使わない脳の回路を働かせることで、脳に何らかの変化が起こることは間違いありません。