長州力、古舘伊知郎のプロレス実況に「しゃべりすぎ!」
8月1日放送の『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)で、長州力、古舘伊知郎が共演して、プロレスについて語った。
古舘のプロレス実況デビューが長州の試合で、「オロオロして一部トチってる。緊張して……」と満足できるものではなかったという。
試合中のアナウンサー実況は、長州によると「よく聞こえる」とのことで、「あまりにもしゃべりが先行していくから、(選手が)動かなきゃいけない」と、早口でまくしたてる古舘の言葉が、レスラーの動きより先行するようなこともあったという。
そのため、長州は「1回、言わなきゃと。実況席の真後ろにぶん投げられたときに、『伊知郎、いい加減にしてくれ、しゃべりすぎだ』ってささやいた」という。だが、古舘は「今、長州が僕にささやいた。『俺が行かなきゃ誰が行くんだ!』って」と、さらに試合をあおってきたと明かした。
古舘は「自分の思ったとおりに長州力や藤波辰爾に動いてほしいと思っちゃう。『スコーピン・デスロック。地獄のサソリ固めの体勢だ』って言うと(長州は)嫌々やるんです」と、実況に合わせて長州が動いた話で爆笑をさらっていた。
さらに当時の裏話として長州は、「アントニオ猪木との楽屋では笑い禁止」だったと明かす。雑談もできず、猪木から「(会場入りから試合までの)2時間半が辛抱できないヤツは(だめだ)」と厳しい指導があったという。
長州は6月に現役を引退したが、その理由は「視力が悪くなって、ロープがつかめない。ロープまで歩幅が合わなくなった」と肉体的限界だという。
数々のレスラーに異名を付けている古舘だが、長州の「革命戦士」も考案したとされている。ほかにも、長州を「放浪の若志士」、長髪から江戸時代の軍学者にちなみ「由井正雪を彷彿とさせる」と表現したこともあった。
古舘はウェブ版の「日刊スポーツ」(2019年7月9日)で当時を振り返り、「金曜ゴールデンタイムで、ものすごい25%を超えるような視聴率をとってるから、コンテンツとしてはおいしい」とテレビ朝日で金曜20時に放送されて大人気だったプロレスを振り返った。
だが、アナウンス部内ではプロレスの扱いは微妙で、プロレスのポスターを貼ると「すぐはがされて大相撲の番付になってました」という。続いて天井に長州力のポスターを貼ると「次の日、はがされてました。やっぱり、まだそんな時代だったんですよ」と明かしていた。
古舘がテレ朝に入社した1977年、長州は「吉田光雄」だったリングネームを「長州力」に改名。さらに1984年に古舘がフリーになると、同年、長州も新日本プロレスを退社してジャパンプロレスを旗揚げた。年齢は長州の方が3歳上だが、人生の岐路が偶然にも重なっており、2人の間に浅からぬ縁があるようだ。