帝国ホテルでの吉川英治文庫賞贈呈式で、西村京太郎先生にお祝いに描いてきた色紙をプレゼント(筆者撮影)

前回、トラベルミステリーの第一人者、西村京太郎先生の執筆方法や、アイデアの出し方について、インタビュー記事を書いた。

その西村先生が、このたび「第4回吉川英治文庫賞」を受賞された。

吉川英治文庫賞とは『三国志』『新・水滸伝』など数多くの作品を書かれた吉川英治氏の偉業を記念して、公益財団法人吉川英治国民文化振興会が、1967(昭和42)年に設立したもの。今までの文学賞、文化賞に加え、1980(昭和55)年より文学新人賞、2016(平成28)年より文庫賞が新たに設置された。

先生は第1回の吉川英治文庫賞から毎年候補に上がっていたので、満を持しての受賞だ。受賞した作品はもちろん「十津川警部シリーズ」である。

「十津川警部シリーズ」の主役、十津川省三は警視庁捜査一課の警部。初登場では30歳の警部補だったが、その後、警部に昇進し、40歳に。それ以降の作品では歳をとっていない。2時間ドラマの原作としても人気の高い「十津川警部シリーズ」について、再び西村先生にお話を伺った。

難しい名前の人物は犯人?

――「十津川」と聞くと、鉄道ファンは真っ先に北海道の新十津川駅が思い浮かびます。


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由来は奈良県の十津川村から。ちなみに奈良県の十津川村では観光大使、北海道の新十津川町では応援大使をやっていますよ。

――なぜ十津川にしたのですか?

印象に残る名前をつけようと思ったんだよね。とくに理由はない。

――では下のお名前、「省三」は?

送られてきたドラマのシナリオを見たら、そう書かれていたんだよね(笑)。ぼくは本の中で十津川警部、としか書いてないから。

――えっ、先生が決めたのではないのですか。

名前って難しいんですよね。十津川警部は主役だからいいけど、ほかの登場人物の名前は、たまにわからなくなる。例えば証人の名前は印象的じゃないほうがいいから、読者に忘れてもらうためになるべく平凡な名前をつけるんだけど、それが自分でわからなくなることがある。

犯人役はむしろ印象的な名前をつけるね。最初に出てきてしばらく出てこないと忘れられちゃうけど、印象的な名前だと、あ、あのとき出てきたのが、って読者がわかるから。

―――なるほど、では難しい名前の登場人物が出てきたら、犯人だと思えばいいわけですね。

テレビドラマとしての「十津川警部シリーズ」は、小説での初登場6年後の1979年に放送された「ブルートレイン寝台特急殺人事件」から。三橋達也さんが十津川警部役で、テレビ朝日で3年目となる「土曜ワイド劇場」枠で放送された。

――先生は、テレビドラマ制作にも関わっているのですか。


展示ルームのジオラマには「十津川警部からの挑戦状」として、殺人現場&死体を探す仕掛けがある(撮影:坪内政美)

最初の頃は配役にも口を出していたんだけどね。いちばん最初の十津川警部役の三橋さんは熱心で、自分の背広の裏に『十津川』と刺繍を入れたりしていた。

――不思議なのが、十津川警部シリーズなどで、各局にわたって出演されている、山村紅葉さんです。通常、そういうことはできませんよね?

あの人は、しょうがないんだよね。

――しょうがない、と言いますと?

もみちゃん(山村紅葉さん)は、ぼくのマネジャーをやってくれてるからさ、しょうがないんだよ。ぼくは芸能界のことわからないから。あの人は自分でマネジメントもやってるじゃないですか。『私が出るって言わないと、西村さんはOKしませんよ』とか言ってるらしいんだよね(笑)

――すごいですね。それでどの局の十津川警部シリーズでも出演を。

だからドラマ化とかそういったことで、ぼくが「いいよ」と返事してしまうともみちゃんから、怒られるんですよ。

そういえば、テレビ朝日系で同じく西村先生原作の「鉄道捜査官」という沢口靖子さん主演のドラマシリーズが放送されている。そちらにも山村紅葉さんは、小料理屋「てまり」の女将役として出演中だ。

つい先月、同局で西村京太郎トラベルミステリー第70作スペシャルとして「十津川警部VS鉄道捜査官・花村乃里子」という両番組が合体したドラマが放送された。どちらにも出演されている山村紅葉さんは、どのように登場するのかと思っていたら、なんと驚きの1人2役であった。

ツイッターのTLがにぎわったのは言うまでもない。

「小田原城殺人事件」の秘密とは?

――ドラマの脚本はチェックするのですか。


展示ルームに飾られている各局のテレビ台本(撮影:坪内政美)

送られてきますからね。最初はチェックしていたけど、(原作の小説から)かなり変えられちゃってるね。なんか女性役が多いなと思ったら、華やかにしたかったから増やした、とかね。

原作料をもらってるからしょうがないね。

――そういう問題ではないです、先生!

たとえばね、小田原城殺人事件ってドラマがあったんですよ。でもそんなの書いてないんですよ。

――書いてない?

彦根城での殺人事件の話は書いたんです。場所が変わってしまった。彦根城が遠いので、ロケにお金がかかるから、というわけ。でもあんまりうるさく言うと、台本を送ってこなくなっちゃうからね。

――そういうものですか……。

ぼくが原作だと書かれた「オリエント急行殺人事件」というドラマがあるんです。でもやっぱり書いたことないんだよね。聞いてみると、「みなさんの慰労のため、イタリアへロケに行ってきます」ということらしい。元の小説と違う場所でも、それをオリエント急行にしてしまえばいいわけだから。

調べたところ、テレビドラマの「オリエント急行殺人事件」は2003年に放送。その原作は、西村先生の「愛と悲しみの墓標」という作品だった。会津と日光が舞台だった作品が、突然ローマが舞台になった。

先出の「小田原城殺人事件」の放送は2014年。ローマロケの2003年はまだテレビ制作でお金が使える時代だったが、2014年は消費税増税の年である。景気の波が、そのままドラマ作品に影響しているのも面白い。

――ところで、先生の最高年収は7億円だと聞いたことがあります。

その年、新聞の長者番付で1位だった。ところが翌年、編集者が「大変です!」と言ってきたんだよね。「渡辺淳一さんの『失楽園』が売れてる」って言うんですよ。このままだと2位になってしまうので、納税額を増やしましょうと提案された。控除を減らして、言われるまま税金を多く払ったんですよ。

するとまたしばらくして「今年も危ないです!」と言われてね。「宮部みゆきさんの『模倣犯』が当たりました」と言うので、同様に税金をたくさん払った。「西村先生を1位にしたくて」と言うんだよね(笑)。

――すごい話ですね……。お金はどういったことに使われているのですか?

いちばん高かったのは京都の土地。持ち物では1800万円のスイスの時計が最高額かな。手巻きなので、調節が難しいんだよね。止まってるのでリューズを引っ張ったら壊れてしまった。修理するのにスイスに送る必要があって、それを4回くらいやった。

そしたら奥さんが「時計だけスイスに4回も行って、私は1度も行ったことがない!」と怒ってしまって。時計は隠されて、今どこにあるかわからないんだよね。

――お金を使うのも、なかなか大変ですね。

時計はクォーツがいちばんですよ。

新幹線グリーン席のいすを多数購入

――そういえば記念館2階の視聴覚ルーム、いすを鉄道車両の座席にすれば、もっと雰囲気が出ると思いました。


サービスロボット「enon」(エノン)。自走式ロボだが、現在は固定された状態(撮影:坪内政美)

実はここを造ったときに、新幹線のグリーン車の座席を十何脚か買ったんですよ。1つ2万円。持ってきて設置しようと思ったら、リクライニングさせるには床に穴を開けて固定しないとならない。もう建物は完成していたから、仕方なく返品した。運送料などで40万円かかりましたよ。

――2階展示ルームの案内役のロボットにも興味があります。話をして自己紹介したり、クイズを出してくれたりするんですね。

あれは富士通のロボットで900万円。全部で10体しか作ってないらしい。富士通が製作をやめてしまったんだよね。

西村先生はロボットもお好きだそう。私もロボットの4コマ漫画を毎週連載しているので、ロボットやAIの話にもひとしきり花が咲く。先生の記念すべき600作目の『北のロマン 青い森鉄道線』はAIを搭載した人型ロボットが出てくる話だ。88歳という年齢をまったく感じさせない作品で、時代をつかんだ内容であった。

4月10日、帝国ホテルにて吉川英治賞の授賞式と祝賀会が行われた。なんと西村先生は、ご自分の招待客3名のうちの1人に、私を呼んでくださった。驚きとともに大変光栄で、喜んで末席に加えていただいた。


贈呈式の様子。向かって左が受賞された作家の方々、右側が選考委員の方々(筆者撮影)

表彰式は吉川英治文学賞を受賞された篠田節子さんをはじめ、選考委員の浅田次郎さん、京極夏彦さん、阿川佐和子さんらそうそうたる作家陣のあいさつが続く。その放たれる言葉の力と熱意に圧倒された。そんな中、われらが西村先生は、ひょうひょうとした出で立ちで、しかし印象に残る受賞あいさつと笑いも提供してくれた。

「正直うれしい。年齢(とし)をとると無欲になるというのは、自分が年齢を重ねてうそだとわかった。年をとると、逆に長生きしたくなるし、世間との接触が、欲しくなるとわかってきた。これで本も少しは売れるかな」

最近の列車は殺しにくい?

表彰式が終わってから、隣の会場で祝賀会が行われた。「西村京太郎様」と書かれたテーブルには何十人もの編集担当さんたちが先生にごあいさつをするために、ずらりと並んでいる。招待客であるはずの私は、そこの席に着くのに臆して、離れたところでひたすら帝国ホテルのごちそうを食べていた。


うれしそうに色紙を眺める先生。寝台特急はやぶさは、私が初めて乗車し、鉄道にはまったきっかけとなった列車でもある(筆者撮影)

ひとしきり列がなくなった頃に、お祝いに描いてきた色紙をプレゼント。先生が最初に書いた鉄道ミステリー『寝台特急殺人事件』の舞台、寝台特急はやぶさに、十津川警部に扮した先生と、後ろにカメさんに扮した私が乗っているという構図だ。そう説明すると、先生は「自宅に飾るよ」と喜んで受け取ってくれた。

先生が長年、トラベルミステリーを書かれている間に、鉄道車両はだいぶ様変わりし、寝台列車や夜行列車は次々と廃止に。窓は開かなくなり、トリックを考えるにも難しくなった。

「やはり寝台列車のほうが殺しやすかったね」

最近の列車は殺しにくくなった、と先生。

普段、先生は車いすで移動されるが、新幹線の車いす対応座席が埋まってしまって予約が取れないことも多いという。バリアフリー法が制定されて以来、車いすスペースや車いす対応のトイレが設置される車両が増えたとはいえ、まだまだ不足している。

「なかなか出かけられなくなったよね。バリアフリーでない場所は難しいから、取材も最近は、担当編集に行ってもらうことも多いんですよ」

今後、鉄道に期待することは何かを聞いてみた。その答えは「夜行列車をもう1度復活してほしい」というものだった。

「殺しやすいから、とかそういうことではなく、今の若者に乗ってほしい。あの楽しさを知ってほしいよね」

近年、先生はトラベルミステリーではない、戦争をテーマにした作品なども発表されている。ご自身の使命のように感じられているようだ。

「作品を書き続けるには、飽きないこと。緊張を保つのが大変だね」

つねに世間と接点を持ち、貪欲さと柔和さを合わせもって書き続けることのすごさ。鉄道ファンのカテゴリーでいうと、西村先生は時刻表の数字の羅列を見て旅を妄想する「時刻表鉄」だ。

作品とともに旅を続け、私たちにそれを垣間見せてくれる。先生の「旅」のお供ができることを、この先もずっと期待したい。