IペースとEペースが生まれる場所 マグナ・シュタイアの工場訪問
もくじ
ー 英国初プレミアムEVの故郷
ー マグナ・シュタイア グラーツ工場
ー 幸先良いスタート ペースは順調
ー 寄り道は失敗 グラーツ到着
ー いよいよ生産ラインへ
ー 品質が重要 驚きの光景
ー 番外編1:今回のルート
ー 番外編2:Eペースの実力
英国初プレミアムEVの故郷
英国初の高級EVであるIペースに乗ってほんの数百mも街を走ってみれば、このクルマに対する注目度の高さが理解できるだろう。エンジンサウンドを発しないこのクルマの滑らかなボディラインは道行くひとびとの視線を集め、停車するたびに質問攻めにあうことになる。
新聞やTVニュースでも大々的に取り上げられたことで、あまりクルマに興味の無さそうなひとびとでさえ、このクルマには直ぐに気が付く。多くのひとびとにとっては高値の花だが、だからこそ、Iペースは単なる新し物好きにとっての高級モデル以上の重要な存在となっているのであり、大変革期にある自動車市場においては大注目の1台でもある。
だが、このクルマがどこで生産されているかを知る人は少ないだろう。Iペースは、柔軟な生産体制のもと、高級ブランド向けの希少モデルづくりを生業としているマグナ・シュタイアの、長い歴史を誇る広大なグラーツ工場で生産されている。
現在のジャガー・ランドローバー(JLR)の苦境や、先の見通せないブレグジットを理由に、この新しいジャガーの生産地が大陸欧州に移されたことを喜ぶひとびとがいる一方で、英国製でないことを残念に思う向きもあるだろう。
それでも、このプロジェクトは上手くいっている。現在ここでは2台のジャガーが生産されており、Iペースはその非常に柔軟性のある最終組み立てラインを、いまやジャガーでもっとも売れ筋のモデルとなったコンパクトSUVであるEペースと共有しているのだ。
では、なぜマグナが選ばれたのだろう? それは、この2台が発売を間近に控えたタイミングで、すでにJLRの生産能力は限界に達していたからであり、長年にわたり、驚くほどのクオリティーで異なるブランド向けに数多くのモデルを生産してきたグラーツ工場は理想的な場所だった。
マグナ・シュタイア グラーツ工場
90年に及ぶマグナの歴史は、馬車の時代が終わりを告げようとしていたころ、スロベニア移民のヨハン・プフ(アウトバーンには依然として「プフヴェルケ」の標識が立っている)により始まり、1930年代に合併でシュタイア・ダイムラー・プフが誕生するまで、自転車とオートバイ、さらにライトカーの生産を行っていた。
第2次世界大戦後、グラーツ工場は軽量4 x 4モデルと自社ブランドでフィアット500を生産していたが、その後メルセデスやサーブ、アウディ、フォルクスワーゲン、ジープ、アストン マーティンやミニといったブランド向けの車両生産に乗り出している。
現在ではこうした車両生産だけで、世界29カ国に400以上の拠点を持つカナダの巨大企業、マグナグループの400億ドル(4兆3545億円)にのぼる売り上げの10%ほどを占めており、昨年、グラーツ工場ではさまざまな顧客向けに合計16万8000台の車両生産を行っている。
こうした興味深い事実が、クリスマス休暇前の慌ただしい時期にもかかわらず、カメラマンのリュック・レーシーとともに190psを発揮するEペース RダイナミックS 4 x 4(スタートプライスは3万7870ポンド/540万円だ)でマグナ・シュタイアを訪れ、ジャガーの生産ラインを見学することにした理由だ。
特に、革新的モデルであるIペースの生産工程を見学とともに、なぜ、普通のエンジンモデルであるEペースと同じラインで混流生産することができるのかを知りたいと思っていた。
今回の3日間のツアー計画は単純なものだった。朝早くロンドンを出て、英仏海峡トンネルを素早く通過したあとは、ともかくフランスの警官と130km/hに設定されたオートルートの速度制限に気を付けながら、フランス西部と北部に拡がる空いた道路で距離を稼ぎ、どこか出来る限り遠くの安宿に転がり込もうというのだ。
そうすれば、Google Mapが1593kmと算出した風光明媚なザルツブルクを含むルートの半分以上を初日で消化し、2日目には目的地に辿り着くことができるはずであり、3日目夜のミュンヘンからのフライトで英国に戻るまでに、余裕をもってマグナの工場見学とインタビューを行うことができるだろう。素晴らしい3日間になりそうだ。
幸先良いスタート ペースは順調
午前6時にブリクストンにある自宅へレーシーを迎えに行くと彼の準備は万端だった。8時15分には海峡トンネルの入り口に到着し、予約したよりも30分早く横断することができたのだから、素晴らしいスタートと言えるだろう。
どんなときも長い1日を幸先よくスタートするのは素晴らしいが、とりわけ、140km/hにクルーズコントロールをセットして(この速度はフランスの警官の注意を引くことなく、時間を短縮するために慎重に検討したものだ)、楽しくおしゃべりをしながらフランスの平野を快適に進もうと考えているような場合にはなおさらだろう。
打合せやパソコンから解放され、助手席に座っている間にeメールをチェックするのは無上の喜びかも知れない。
給油のため1度だけフランス西部で停車した時には、ランナバウトでタイヤを燃やしていたフランス政府に抗議するデモ隊に進行を邪魔されそうになったが、午後5時頃にはストラスブールを越えてドイツ国境にまで達する事ができた。
今夜の宿は、TripAdvisorで1時間以内という条件で探したシュトゥットガルトのIbisエアポートホテルに決め、早くも午後6時30分にはホテルへと到着したが、およそ12時間も移動を続けていたのだから今日はこれで十分だろう。
初日の頑張りの結果、2日目に残されたのはわずか650km程度であり、あとはアウトバーンが自動的にミュンヘンまで連れて行ってくれるはずだ。その日の午前中は、みぞれと降り積もる雪のせいで、1時間ほど予定よりも遅れたが、お陰で交通量は減り、200km/h以上のスピードで快走するクルマに怯える必要がなくなるとともに、四輪駆動システムにオールシーズンタイヤを履いたEペースの驚くべき安定性のお陰で、オーストリア国境に達するころには遅れを取り戻し始めていた。
寄り道は失敗 グラーツ到着
オーストリアをクルマで旅するには9ユーロ(1121円)で許可証を購入する必要があるが、道路沿いのブースで「9日間用、9ユーロ」と叫んだ相手は、ボンド映画「ロシアより愛をこめて」で演じた敵役のクレッブ大佐がいまも印象深い女優のロッテ・レーニャそっくりだった。彼女がいまも元気でいるか気になったが、カメラマンのリュックにはまったく理解できなかったようだ。それもそうだろう。この映画がヒットしたのは彼が生まれる25年も前だったのだから・・・。
無事オーストリア国境を通過するとザルツブルクはもうすぐであり、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの家は絶好の撮影ポイントだと考えて50kmもの寄り道をしたのだが、実際には、ヴォルフガングと彼の影響ははるか昔に失われ、いまでは酷い渋滞と不愛想な地元ドライバー、さらには忌々しい駐車規制に取って代わられていた。
それでも、なんとか1時間ほどねばり、ふたたびA1号にのって凍結した湖を越えると、美しい山岳地帯を抜け、そのまま直角に右折してA9号線でさらに南東へと進み、見事な山並みのなかグラーツへと近づいて行った。
今夜の宿だが、マグナ・シュタイアの工場横にあり、朝には巨大な朝食を食べながら、新しいパーツについて語り合う多国籍なエンジニアたちで半分ほどが埋まるウォルター・P・クライスラー公園近くのIbisホテルが良いだろう。
ジャガーがプラント・グラーツと呼ぶこの工場は街から数分の場所にあり、同時にメルセデスやBMW、ジャガー向けの車両生産行っていると聞いて想像するとおりのその広大な敷地は、半世紀にもわたって彼らの顧客を丁重かつ慎重に出迎えてきた。
いよいよ生産ラインへ
グラーツ工場が得意としているのはプレミアムな少量生産モデルだが、その事務的とも言える雰囲気と従業員の様子から、この場所には虚飾などまったく無縁だということがすぐに見て取れた。われわれは今日1日の拠点として殺風景なミーティングルームへと招き入れられたが、そこから延びる廊下にはさらにいくつもの同じような部屋が続いているのが見えた。
JLRで重要な役割を担っているふたり、EペースとIペースのチーフプログラムエンジニアを務めるグラハム・ウィルキンスと、製造プログラム責任者のグレゴール・マクラクランが入ってくると、この部屋の雰囲気も一気に華やいだものとなったが、彼らがこのプロジェクトに集中するとともに、マグナ側で立上げ責任者を務めるロバート・ヒュウマー率いるチームを完全に信頼していることは明白だった。
グラーツで生まれ育ったにもかかわらず、われわれよりも見事な英語を話すヒュウマーは、生産を立ち上げる際には不可避とも言えるさまざまな課題を解決するために集まった経験豊富なエンジニアのひとりだが、そうした立上げ初期の問題というのは、少なくとも製造工程においては過去のものになったと集まったエンジニアたちは強調する。
Iペースではバッテリー調達が課題だと話すものもいたが、それはマグナのせいではなく、彼らの仕事はバッテリーを搭載することにある。つまり、マグナでの生産は順調ということだ。
マグナとジャガーのパートナーシップは5年前のプレ-コンセプトミーティングにまで遡り、車両生産をマグナが担当すると決まった4年ほど前からは、ミーティングも定例化していた。ウィルキンスとマクラクラン、そしてヒュウマーによれば、ミーティングはスムーズで実り多いものだったという。
安全シューズに履き替えて、車両に傷をつけないため時計とベルトのバックルにカバーをすると、ロボットがIペースのプレス成型されたアルミニウム製ボディパネルの組付けを行っている、ホール71と呼ばれる新設ラインへと案内された。
ボディの組付けは87台のロボットによって行われ、1台あたり2600ものリベットを84基のリベットガンで溶接するとともに、177m分の接着を行っている。1台のボディを組み立てるのに必要な時間は500秒であり、ホール71では1時間あたり、およそ6台のボディを生産している。
品質が重要 驚きの光景
ここにいる全員が品質の重要さを強調しており、つねに組み立てられたボディの精度が測定され、シフトごとにオフラインで1台が品質チェックを受けているという。万一、重要公差に0.2mm以上の誤差があった場合には、徹底的な対応がとられることになる。
このボディ組立てラインがIペースの生産プロセスのハイライトとも言えるが、最後に訪れた、かつてプジョーRCZクーペの生産が行われていたホール1近くこそ、今回のツアーで個人的に是非見ておきたかった場所だった。
ここでは、見慣れた最終組み立てラインにIペースとEペースが交互に流されてくる。これまでの数十年、フレキシブルだと言われるアッセンブリーラインをいくつも見て来たが、7万ポンド(998万円)もする総アルミニウムボディのツインモーターのEVサルーンと、4万ポンド(570万円)のスチールボディにエンジンを横置きにしたコンベンショナルなSUVがこんな風に混ざり合って組み立てられている光景など見たことがなかった。奇妙な光景だが、電動化の未来とはこういう風にやって来るのかも知れない。
ヒュウマーはさも当たり前のように、慎重な検討がこのアッセンブリーラインが上手くいっている理由のひとつであり、さらに、最終組み立て工程で必要となる主要パーツを効率よく手配することで、オフラインでも問題無く作業を行うことができるようになっていると話してくれた。
「もちろん、非常に経験豊富なスタッフのお陰でもあります」と彼は言う。「こうしたプロセスは過去にも経験済みです。ときには5つの異なるモデルをひとつのラインで生産したこともありますが、そうした場合も生産のペースと品質を落とすことはありませんでした。それがわれわれの仕事なのです。」
番外編1:今回のルート
クロプリーとレーシーはロンドンから英仏海峡を越え、フランス北部を抜けてストラスブールへと向かい、2日目にはシュトゥットガルト、ミュンヘン、さらにはザルツブルクを経てグラーツへと辿り着いた。
オーストリアへ向かうと決めたときには、すでにEペースと素晴らしい週末を過ごしたことがあったが、それまでは、モデルチェンジを控えたイヴォークとの関係性や、アルミニウムボディを持つ大型モデルのFペースを上回る重量もあって、このジャガー製小型SUVは個人的なお気に入りモデルではなかった。
しかし、2017年の発売以来すでにいくつかの改良を受けており、滑らかで力強い4気筒ディーゼルと9速オートマティックギアボックスの組み合わせがこのクルマの魅力を増すとともに、その比較的コンパクトなボディによって、Eペースのコーナリングはまるでゴルフのようなドライバーとの一体感を感じさせてくれる。
初日の非常に滑らかなフランスの路上では、ほとんどロードノイズに煩わされることもなかったが、例えそうでなかったとしても、抑えられたウインドノイズと、ポジション高く座れば郊外の景色を楽しませてくれる非常に快適なシートは、このクルマを今回の旅にピッタリのモデルにしていた。
Eペースで唯一とも言える不満は、フロントシートのポジションによっては、リアのスペースが大人には不足するということだったが、だからこそ、子供が大きくなった家族向けにジャガーはFペースをラインナップしているのだろう。
一見したところ正確なトリップコンピューターによれば、Eペースの燃費は13.8km/ℓとのことであり、ドイツでは161km/hから185km/hで走行していたことを考えれば十分な成績だろう。一方で、692kmほどの航続可能距離は、われわれのお気に入りだった多くのディーゼルのライバルモデルたちよりも短いものに留まっていた。
だが、それがこのクルマの魅力を台無しにしているわけではなく、このクルマの優れた能力にはやや物足りないというだけだ。
この旅が終わる頃には、出発前よりもEペースのことが好きになっていた。できれば深夜便で帰国するよりも、このクルマを運転して英国まで戻りたかったほどだ。つまり、Eペースにとっては素晴らしいテストになったということだろう。