白鵬にしかわからない「横綱心」、稀勢の里は本当に “努力で天才に勝てる” のか
8日、大相撲名古屋場所が開幕したが、そこに横綱・稀勢の里の姿はない。
稀勢の里は2017年1月場所に優勝して横綱に昇進し、次の3月場所も優勝するも、13日目の相撲で左大胸筋と左上腕部を負傷。以降、出場しても途中休場した4場所を含む計8場所連続の休場というワースト記録を更新してしまっている。
復活を信じる声が続々と
果たして他のスポーツでは、1年以上休んでいるトップ・ランクのプロ選手はいるのだろうか。
プロ野球の世界ではピッチャーが肘や肩を故障して手術、長く休養するニュースを目にすることはある。テニスの錦織圭選手も昨年後半から今年前半、手首のケガで大会を欠場していたし、フィギュアスケートの羽生結弦選手も足のケガで2017年の全日本選手権を欠場しながらも、オリンピックで見事に優勝した。
しかし1年以上ランキングを下げることなく、個人競技の選手が休業するというのは珍しいことかもしれない。
また、ご存知のように大相撲で横綱という地位は特別であり、1場所でも勝ち越す(15日間のうち8勝以上する)ことができなければ、引退しなければならない。
ちなみに横綱に次ぐ大関という地位も、2場所連続で負け越すと大関から陥落となる。とはいえ、引退にはならないのだから、1場所でも負け越し=即、引退の横綱とは過酷な地位でもある。
そういう意味も含めれば、横綱としての稀勢の里の8場所連続休場というのは、かなり厳しいものであると言わざるを得ない。引退勧告を受けても仕方ないかもしれない。
それでも稀勢の里を、相撲ファンたちは応援し続けている。
場所開催直前の5日に、既に名古屋入りして稽古を積み重ねていた稀勢の里が、
「場所前、必死に調整してきたけど、調整がうまく進まず、相撲が戻らなくて今場所休場することにしました。また来場所するべきことをして頑張っていきたいと思います」
とコメントして休場を発表。すると、「強くなって戻ってきて」「みんなの願いが叶いますように」「必ず帰ってきて」と、稀勢の里の復活を信じる声がツイッターなどにも多く上がっていた。
なんとかしようと、もがいていた
稀勢の里人気の理由を、彼が日本人横綱だからと見る人もいるが、実際にそんなことを恥ずかしげもなく言う人はごく一部だろう。彼は横綱に上がるずっと前から人気の高い力士で、その理由に相撲の面白さだけでなく、その生き様にある。
史上2番目に若い17歳9か月で十両に上がり、期待の星として注目されて18歳3か月で幕内力士に。そのときに本名の「萩原」という四股名を「稀な勢いで駆け上がる」という意味で「稀勢の里」という名に変えた。
期待の若手、きっとすぐに横綱に……誰もがそう思ったはずが、そこからが、いばらの道。
優勝のチャンスを目前にしながら格下の相手に転がされ、「あーあ」と土俵下で落胆の表情を見せる。“ここ一番!”というときになると目をパチパチして頬が紅潮し、素人目にも緊張が分かる。
メンタルが弱く、それが勝負に響く。さらには父のように慕い尊敬していた親方が2011年に急死して、彼をさらに迷わせた。恐らくメンタル・トレーナーに学んだのだろう、取組直前に花道や土俵下で謎なアルカイック・スマイルを浮かべ、自らに暗示をかけているかのような表情を見受けた時期もあった。
一生懸命なんとかしようと、もがいていた。
稀勢の里には高倉健がテレビCMで言った「不器用ですから」をかぶせてみたくなる。歯がゆいほど、うまくやれない。恥ずかしがり屋で愛想もなく、ファン・サービスも滅多にしない。
それでも持ち前の体躯の良さと抜群の運動神経、そして厳しい稽古で上がってきた。休場イメージがついてしまったが、横綱になるまで、1日しか休んだことがなかった。相撲ファンはそれを知り、理解し、全部ひっくるめて稀勢の里を愛する。
長年のファンである友人は「ここってときにダメなんだよねぇ」とため息をつきながら、だからこそ応援する。大相撲の世界では昔から勝ち負けに関係なく、キャラクターや個性で愛されることは多い。
大相撲はスポーツでありながら興行でもあり、愛されキャラは存在するのだ。そういう多様な魅力があるからこその大相撲。ある女性ファンは稀勢の里を「魔性の男」とも呼んだ。
「目が覚めた気がする」
小器用には生きられないけど、何度も何度も挫折しながら横綱まで上がった稀勢の里、きっとまたその強さを取り戻し、優勝して涙を流し、その涙に感動する日が来るはず、と信じさせるものを持っているのだ。
とは言え、ここ最近はさすがにどうなの? という声が高まっていたのも事実。新聞やネットの相撲記事には「調整不足」「何をしていた?」と書かれた。
怪我から1年。怪我より自信喪失や相撲勘の迷いが大きいのでは? との声もある。「もうみんな見限ったの?」と思っていた矢先の名古屋場所直前、稀勢の里に手を差し伸べたのが先輩横綱の白鵬だった。
7月2日、九重部屋での出稽古(他の相撲部屋に行って稽古すること)で稀勢の里に会った白鵬は、自ら声を掛け稀勢の里と土俵で実践的な稽古をした。
稀勢の里は何度も白鵬に土俵に転がされたが、これが大きな刺激となって「目が覚めた気がする」と語った。そして稀勢の里は、翌日には白鵬のいる宮城野部屋へ自ら出向いた。
これまで出稽古に行くことにも躊躇していた稀勢の里が、連続して出稽古をし、2日続けて会った白鵬は「俺が稀勢の里の彼女みたいだね」などと冗談を飛ばしたが、実は2日目には実践的な稽古の相手はせず、基本型の稽古の相手だけを務めた。
何故って? 白鵬はこのとき稀勢の里が名古屋場所に出ると信じていたからこそ、自らの手の内を見せる、実践型稽古を再びしないことを選んだ。ただ優しくするだけがチカラビトの信頼関係ではない。
稀勢の里にはそれが通じていたんだろう。
身体中に土をつけてる稀勢の里の腕に白鵬が手を掛け、何やら話しかけると稀勢の里は笑って答えた。その表情は、ここしばらくの虚ろで弱気なものとは違って、自分を取り戻した、しっかりした顔になっていた。
卒業文集の言葉
横綱だってチカラビトだって、一人の若者だ。迷いもあればスランプもあって当然。自分の力を信じてもらえなかったり、誰より自分の力を、自分が一番信じられないときだってある。
そのとき「横綱のことは横綱になった者にしかわからないのだから」と言って、本気で稽古を共にしてくれる人がいるのは、何よりの力だろう。
残念ながら、白鵬自身も支度部屋で足を滑らせ、踏ん張ったときに膝にケガを負い、11日から途中休場になった。逆に今は、稀勢の里が白鵬を心配しているかもしれない。横綱ふたりの思いは、私たちにはわからないものが、たくさんあるだろうから。
しかし、さぁ、そのまま流れに乗って名古屋場所! と、思うようにいかないのもまた稀勢の里だ。
白鵬は「今、出れば9勝10勝はできるイメージだけど、横綱は出れば優勝を求められる。それを考えての決断だろう」と後輩横綱の気持を代弁した。
そうか! と、この言葉に納得したが、一方で「横審(横綱審議委員会)は稀勢の里にだけ甘い」という声も相撲ファンからは上がっている。
確かに「横綱の推薦及び横綱に関する諸種の案件に関して日本相撲協会の諮問に答申し、進言する機関」である横審は、横綱の出場などに関して一定の判断基準を持つべきだ。
鶴竜や白鵬に休場が続けばすぐに引退を口にしながら、稀勢の里へは「決意を尊重」と、ひたすら応援する。その一貫性のなさは、逆に稀勢の里には負い目になってしまっているんじゃないかという気もする。
さて、名古屋場所がこれから盛り上がる中、稀勢の里は己の人生を賭けた戦いへと一人、どう備えていくのだろう? ファンは心配する、というよりは信じて待っている。
子どものころ、卒業文集に「努力で天才に勝ちます」と書いた稀勢の里。今度こそ、それを見せる覚悟の時だ。
和田靜香(わだ・しずか)◎音楽ライター 作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人VSつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。