大山のぶ代は欠席、砂川啓介さんの一周忌法要で毒蝮が「老老介護」を語る
「当日は、砂川さんの60年来の友人の毒蝮三太夫さんをはじめ、十朱幸代さんや、勝呂誉さん、ささきいさおさんなど、総勢180人が参加していて、生前いかに彼が多くの人に親しまれていたかがわかりましたね。ただ、妻の大山のぶ代さんは欠席していましたよ」(法要の参加者)
7月上旬、雲ひとつない晴天に恵まれたこの日、昨年7月11日に尿管がんでこの世を去った砂川啓介さんの一周忌法要が行われた。会場となった都内の斎場には生前、彼と付き合いのあった人たちが一堂に会した。
砂川さんと30年以上、苦楽をともにしたマネージャーの小林明子氏が当日の様子を説明する。
「今回集まっていただいた方々は生前、砂川が行っていたライブに来られていた方たちが中心です。みなさまから“お別れの会をやってほしい”という要望が多かったので、毒蝮さんに弔辞を読んでもらい一周忌法要という形をとることにしたんです。喪主は妻の大山のぶ代とさせていただきました」
'64年に、元祖『ドラえもん』の声優を務めた大山と結婚した砂川さん。ふたりはおしどり夫婦として知られていたが、'15年に砂川さんが大山が認知症であることを公表し話題を呼んだ。
「砂川さんは'13年に胃がんの摘出手術を受けましたが、'15年に尿菅がんが発覚。その後も、あまり体調が芳しくありませんでした。ただ、ふたりの間に子どもがいなかったため、砂川さんは病と闘いながら大山さんの介護をしなければなりませんでした」(スポーツ紙記者)
砂川さんを気にかけていた意外な人物
一周忌法要で弔辞を読んだ毒蝮は、こう振り返る。
「そうとう苦しかったと思うよ。会うたびに体調が悪くなっていくんだから……。のぶ代さんが認知症になっても人には言えず、介護うつ、介護疲れで病気を併発して、それが原因で旅立ってしまった。介護はひとりで抱えちゃいけない。彼が身をもって教えてくれた教訓ですよ」
そう語る毒蝮は、闘病と介護に苦しむ砂川さんを気にかけていた意外な人物の名を口にした。
「'11年に亡くなった立川談志さんも、啓介のことはずいぶんと気にしていたのよ。啓介には俺が紹介したんだけどね。談志と会うたびに“啓介来ないの? 啓介を呼ぼうよ”とよく言われたよ。“啓介は爽やかな青年みたいでいいよね”っていつも言ってた。だから、談志もあの世で迎えて喜んでくれたんじゃないかな」
砂川さんの最愛の人であり、法要では喪主を務める予定だった大山だが、この日の一周忌も体調不良のために来ることができなかったという。
「彼女は来られなかったからね。代わりに、悔いのない介護をしてもらって本当に感謝しているだろうということを啓介に伝えたよ。彼は命と引き換えに介護をしたけれども、命懸けでやったことが俺たちのいい教訓だよ」(毒蝮)
砂川さんは、今も天国から最愛の妻を見守っているに違いない。