私の大好きな彼氏には、結婚願望がない。

それを知ったのは、30歳の誕生日。順調な交際を2年も過ごした後だった。

東大卒のイケメン弁護士・吾郎との「結婚」というゴールを、疑うことのなかった英里。彼が結婚願望ゼロと知った日から、不安と焦りが爆発。占いに行き、友人にもアドバイスを求める。しかし、吾郎は「結婚は嫌だ」の一点張り。

そんなときに出会った、結婚願望のある男・きんちゃん。吾郎に盲目だった英里が、友人の勧めで彼とデートすることになった。




―きんちゃんは、友達だもん。

まるで言い訳をするように、英里は自分に「きんちゃんは友達」と言い聞かせる。吾郎以外の男性と二人きりで会うのは、久しぶりのことだ。

「結婚を1年9ヶ月かけて“検討”する」と一方的に言い放った吾郎は、すっかり英里との関係を修復したものと思っており、以前のように週末は一緒に過ごす気でいるようだった。

それを英里は「友達と映画を観に行く約束をしている」と、勇気を振り絞ってやんわり断った。チクリと罪悪感が疼いたが、しかし、嘘をついているわけではない。

―吾郎くんには、私の立場なんか分からないんだわ。

吾郎は、結婚までは最短で3年半かかると言った。30を過ぎた女にとっては永遠とも思える時間である。確証もない約束に期待して33歳で結婚に至らなかった自分を想像すると、背筋が凍る。

すでに2年もの順調な交際を経て、どうしてそれほど結婚に臆病になるのか、英里にはやはり理解できない。吾郎は3つの理由を述べていたが、要は自分が軽んじられているだけとしか思えなかった。

本気で自分のことを愛してくれていたら、きっとすぐにでもお嫁さんにしたいと思うはずだ。

モヤモヤと思い悩んでいると、目の前にベンツのクーペが停まる。

「英里ちゃん!お待たせ!乗って乗って」

相変わらずのプーさん風の笑顔を浮かべて、きんちゃんは車のドアを開けてくれた。


吾郎と正反対の癒し系男。その魅力は...?


偏屈吾郎とは対極の、優しいお父さんのような男


「すっかり、春の陽気だねぇ」

『IVY PLACE』のテラス席でコーヒーを啜りながら、きんちゃんは本当に気持ち良さそうに言った。

ベージュのセーターにジーンズという恰好の彼は、やはり少々ぽっちゃりとはしているが、清潔感があり落ち着いた雰囲気で、まるで上品な家庭の優しいお父さんのようだ。

実際に彼は、代々木上原生まれのお坊ちゃんだと咲子が言っていた。

「パンケーキ、おいしい?少しもらっていい?」

「うん、食べて食べて!」

嬉しそうに甘い物をつつく男の姿も、英里にとっては新鮮だった。

吾郎はスイーツを断じて口にしないし、こういったお洒落系のカフェも「女子供用の店だろう」などと言い、なかなか一緒に来てはくれない。




「英里ちゃんは、ああやって写真撮ったりはしないの?」

隣のテーブルでパンケーキにシロップをかける動画を一生懸命に撮影している二人組の女の子を何となく眺めていると、きんちゃんはさり気なく聞いた。

「うーん、最近はあんまり...。女友達といるときは撮ることも多いけど、もう30歳だし、インスタグラマーでもないし...」

―まるでグラビアアイドル撮影会のカメラ小僧だな

かつて、英里がデート中に食べ物の写真を可愛く撮ろうと試行錯誤していると、吾郎は呆れたように言い放った。

旅行中に景色を撮るのに必死になっていたときは、「お前は今という時間を楽しめないのか?」と顔を歪められもした。

たとえインフルエンサーやSNS好きでなくとも、女は可愛いものや思い出を形に残したがる生き物だ。しかし、吾郎にそんな風に叱られてからは、デート中には滅多に写真を撮らなくなっていた。

―カシャ

不意にiPhoneのシャッター音が響く。振り向くと、きんちゃんがニコニコと英里の写真を撮っていた。

「勝手にごめんね。でもここ日当たりが良くて、すごくいい感じに撮れたよ。ほら」

画面を覗き込むと、そこには俯き加減でコーヒーカップに手をかける、お洒落な女が写っている。きんちゃんの言う通り、木漏れ日の照らされた絶妙な光加減が素敵だった。

「わぁ、すごい!きんちゃん、上手!センスいい!!どうしてこんなにうまく撮れるの?」

「そうかな、ありがとう。僕は妹が二人いるから、撮らされ慣れてるのかなぁ」

そう言って目を細める彼に、英里はますます親しみを覚え始めた。


すっかりきんちゃんと打ち解けた英里。しかし、まさかの事件勃発...?!


良い意味で“普通”の価値感を持つ男との、気楽な時間


当初英里は、自分を好きだと言ってくれる男に甘え過ぎるのはどうかと思っていたが、きんちゃんの偉大な包容力は、そんな不安も消し去ってくれた。

予定通り英里が観たかった映画「ラ・ラ・ランド」を六本木ヒルズで鑑賞し、『サッカパウ』のアート感溢れるクリエイティブなイタリアンを堪能する頃には、親しい友達か、あるいは本物の父親に感じるような安堵感すら持ち始めた。




そしてアルコールの回り始めた英里は、気づけば吾郎の愚痴までこぼしていた。

「吾郎くんはね、カッコ良くて頭いいからって、他人のことを見下し過ぎなの。最近気づいたけど、喋り方も変だし、やっぱり咲子が最初から言ってた通り、変人なんだわ」

「あはは。まぁ、たまにいるよね、そんな人。きっと悪気はないんだよ」

吾郎の話をしても、きんちゃんは温和でフェアな姿勢を崩さず、英里の話に根気強く付き合ってくれた。

「ねぇ、きんちゃんは結婚願望ある?」

「あるよ〜。もう30歳だしね。自分のことだけ考えて生きるのは楽だし自由でいいけど、だんだん飽きてきたよ。そろそろ家庭を大事にするとか、そういうステージに入りたいなぁ」

「そうよね、それが“普通”よね」

吾郎のようなエリートの恋人との2年間の付き合いの中で、自覚は薄かったが、英里は常に緊張感の中にいた気がする。

仕事や食事、プライベートの時間の使い方にストイックな彼に気を遣い、また邪魔をしないように気を付けていた日々。決して苦ではなかったが、やはりどこか背伸びしていた自分がいたのだ。

いい意味で“普通”であり、緊張感のないきんちゃんとの時間を、英里は単純に楽しく思った。



アンダーアーマーのウェアに身を包んだ吾郎は、六本木一丁目の自宅から青山霊園まで、夜の街をランニングしていた。

「夜のお墓なんてよく走れるね」と英里は震え上がっていたが、本当にお化けが出るとでも信じているのだろうか。

英里のことを思い出すと、吾郎は苦々しい気分になる。

自分なりに結婚について譲歩した姿勢を示したつもりではあったが、彼女はいつものように目を輝かせる笑顔を見せることなく、今日も自分の誘いを断ったからだ。

―まぁ、そんなときもあるだろう

吾郎は基本的に、人間関係でウジウジと悩むのが大嫌いである。

「人の感情」という自分の力の及ばない不安定なものに対して、あれこれと論理立てるのは非生産的であるからだ。そんなときは、身体を動かして汗を流すに限る。

スピードを加速し、青山霊園から西麻布まで一気に走る。すると吾郎の目に、信じ難い光景が写った。

それは、丸々と太った男と楽しそうに笑い合いながらベンツのクーペに乗り込んで行く、英里の姿だった。

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吾郎がヤキモチ?!傷ついた偏屈男がとった行動とは...?