あの南アフリカ戦”後”の現状は?菊谷崇が考える日本ラグビー界の課題
2015年、イングランドで行われたラグビーW杯において日本代表が強敵・南アフリカ代表を破ったことは記憶に新しい。「ラグビーワールドカップ史上最大の衝撃」、「スポーツ史上屈指の番狂わせ」というような見出しで世界中に報道された。それをきっかけに一時期ラグビーは国内でも盛り上がりを見せたが、ややその勢いもしぼみつつある。2019年には日本でラグビーW杯が行われるが、さらなる認知の拡大とファンの獲得に向けてチャンスであることが間違いない一方、そこに向けて抱える課題もある。そんな日本ラグビーの現状を、トップリーグ・キヤノンイーグルスに所属する菊谷崇選手に聞いた。菊谷氏が持つ日本代表キャップ数68は歴代5位の数字を誇る。
ラグビーは高校生が一番伸びしろがある
-まずは菊谷選手がラグビーを始めた経緯を教えてください。
高校から始めたのですが、それまではラグビーというスポーツを知らなかったし、小学校からずっと野球をやっていました。高校は御所実業(当時は御所工業)というところに進学しました。中学校の体育の先生が、後の御所実業高校での恩師になる武田先生という方の大学時代の後輩だったんです。それで中学校の体育の先生から『受かったら紹介してあげる』と言われて。連れて行かれたのが、御所工業の体育教官室。武田先生のところに行ったら『お前はラグビーをやれ』と言われたんです(笑)
-ラグビーを始めてみてどうでしたか?
最初の1ヶ月は女子マネージャーとパスをする練習で、超楽しかったんです(笑) 工業高校に女子はすごく少ないので。先輩たちはグラウンドでしごかれているんですけど、楽しくてそこまで見えないんですよね。監督に誘われた4人が入部したのですが、最初の1ヶ月が終わった瞬間、僕以外はみんな辞めました。 落差が半端なかったんですよ。先輩は怖いし、練習も厳しいし、ラクビーはあまり良くわからない。毎日、授業で意図的にミスをして、補習を受けるなど、いかに練習に行かないかを考えていました。ただ、監督が怖すぎて辞められなかったんです。辞めたいとはほぼ毎日、常に思っていました。
-ちなみにですが、高校からラグビーを始めて代表まで入るという選手はどのくらいいるのでしょうか?
そんなに少なくないと思います。大阪だと中学からラグビー部があるところが多いのででそういう選手が少ないだけですが、中学からやっていることにどれだけメリットがあるかというと、特にないと思うんですよね。ラグビーというスポーツ自体、体が出来上がらないと、成長の伸び代が変わってくるので。フィギュアスケートやバレーボールは小さい時に仕込んでおかないと、大きくなっても伸び代があまりないスポーツじゃないですか。そういう意味では成長期が終わった高校生が一番伸びます。中学校からやっている延長で、高校で1年生から試合に出られるのは大きいと思いますけど、3年生になった時にどれだけ違うかというと、指導者が良ければ伸び代的には変わらないかなと。
-菊谷選手は大阪体育大学に進んだ後にセブンズの代表に選ばれましたが、15人制の代表に入れるとは思っていたのでしょうか。
全く思っていませんでした。セブンズの代表には大学2年で選ばれたのですが、15人制の代表になりたいとは特に思っていませんでした。トヨタに入ってスコッド(代表候補)に入ってからですね。強化スコッドに入ってから「1回くらい、キャップを獲りたいな」と。
セブンズがあったおかげで、みんながオフシーズンの時に大会に臨むことができたんです。その結果、4年間ずっと練習している感じだったので、オフシーズンに世界レベルを経験できたことが伸び代になって良いステップになっていました。大学の練習や試合といっても、やっぱりインターナショナルの経験とは全く違う。その経験を良い流れで大学に繋げられたので、大学よりもセブンズでの経験の方が4年間の中では大きかったですね。
-その後、社会人になって15人制の代表に選ばれたと。
2005年にあったW杯を最後にセブンズを引退しました。社会人になって体作りを重点的にやっていたので、セブンズでだんだん走れなくなってくるんですよね。15人制の体になってきて、「セブンズはもう無理だな」という感じだったので、結構すんなりと入れましたね。
その後、2005年の11月に初めて15人制の代表に選ばれたんです。セブンズを引退した後にトヨタの留学制度を使って、ニュージーランドに行っていたんですよ。そのまま帰ってきてシーズンで出ている時にスコッドに入って、呼ばれたという流れですね。
-世界との差を最初に感じた時はいつでしょうか。
2005年11月の時は1試合のテストマッチのみでした。2006年に大会にも連れて行ってもらったんですけど、その時でしたね。トンガ、サモア、フィジーと試合した時のインパクトがなかなか激しかったですね。
-その後はイングランドでも1シーズンだけ、プレーをしていますね。
日本人がやるにあたっては全然問題ないのかなと思いますけど、行くだけの勇気がいると思います。ニュージーランドであれば向こうと日本のシーズン両方に出られるんですけど、イングランドに行くということは日本のシーズンに出られなくなるんです。今の五郎丸(歩)もそうですけど、完全に自分のチームを捨てて向こうのチームに100パーセント専属で行くということになるので、その分の決断力はいります。日本の家は全て取り払うという感じなので、それは難しい経験だと思います。
-そこを決断できたのはなぜなのでしょうか?
僕はもともと、最初に入ったトヨタを辞めるつもりだったんです。指導者になりたいという思いがあったのですが、トヨタにいると仕事もしなければいけない。プロではないんです。選手を辞めてその翌年からコーチに就く、という考えが僕の中ではなくて、しっかりと経験を積んだり勉強をしたりしないと、人に教えてはいけないなと思っていたので、そうするためにはまずにプロになる必要があるなと。社員のままじゃ勉強ができない。そういう意味でトヨタを出る必要があるなと思ったのですが、その中でエディー(ジョーンズ:前日本代表HC)さんから『海外を挟んでみればどうだ』という紹介があったんです。
“W杯後”の人気はもう上がり終わっている
-2015年に日本がW杯で南アフリカを倒したことのは、大きく捉えていますか?
僕にとっても大きかったですね。2013年、14年と代表で一緒にやっていて、最後の15年は叶わなかったですけど、そのメンバーをしっかりと応援できた。あれだけしんどい練習をしてきたので、努力が報われたことが本当に嬉しかったですね。
-一般的なラグビーの注目度も上がりましたよね。
上がり終わりましたね(笑)今はもう、入場者数も完全に戻りましたよ。
テレビに露出するというのは大きかったのですが、それを継続できなかったのは良くないところだったなと。W杯のメンバーは31人なのに、そのうちテレビに出ているのは5人くらいというのも良くないところだったのかなと。次世代のスターも生まれてきていないし、五郎丸も海外へ行ってしまったので。いきなり、スターがいなくなっちゃんたんですよ。
-そういう意味ではコーチとして次世代のスター選手を育てていきたいという思いは強いですか?
そうですね。今は高校代表のコーチもしているので、トヨタにいたら絶対できなかった環境の中でできているのは大きいですね。
-やはりスター選手がいれば注目度も高まりますよね。
そこがいれば簡単ですよね。とりあえずその人を挙げておけばいいですし、ファンもその人を見に来る。その人が来ることによって付加価値として次の人が見に来てというサイクルも生まれますし。
ただ、ラグビーは15人でやるスポーツで、五郎丸はずっと“チームが”ということを帰ってきてからも言っていたんですけどね。逆にそこで、“俺が”と言ってしまうと、チームでやる上でどうなんだと。そこの難しさはありますね。自分で点数を稼ぐのに自分が道を切り開くという選手は世界中にもいない。誰かからパスをもらってトライをとるというのがラグビーという考えがあって、スターにしてはみんな謙虚だなという感じがあるんです。そういう意味では面白い選手の方が、例えばサントリーの畠山(健介)とか、完全にお笑い担当じゃないですか(笑) 。ああいう選手のほうが露出増えてくれたら良いなとはと思いますね。
-南アフリカに勝利したことで下の世代にも影響がありそうですね。
高校代表にも日本代表に憧れてもらえるので、それは良いことかなと。以前はどこが好きなのかを聞いたら『オールブラックス!』と言われて、憧れるところを間違えているだろうと(笑)ただ、今はみんな日本代表に憧れてくれているんですよ。僕の若い頃は日本代表なんていい、チームだけでいいという感じの時もあったので、そういう意味では流行りのレガシーというか、廣瀬俊朗とかリーチ・マイケルが築き上げた4年間というのは大きいかなと思います。
-育成面でいうと、中学年代になるとラグビー部があまりないというのがネックになっているような気もします。
中学は本当にないんですよ。小学校のスクールの延長上で中学校もやっているところはあるんですけど、相手チームがいない。中学校にラグビー部があっても、同様に相手がいない。協会が出している各年代別の人数を見ると、意外と登録数はあるんですけどね。練習試合で終わっているところが多いみたいです。プレーヤーも、他のスポーツもするしラグビーもするというような状況になっているので。ラグビーで中学日本一を目指す!という仕組みを作らないといけないなとも思いますね。
スクールには日本一を決めるサントリーカップというのがあるんですけど、中体連は何もなく、高校は花園(全国高校ラグビー大会)という状態なので、なかなか難しいですね。スクールでいくのか部でいくのか。中学の部活にラグビーを教えられる先生がいても転勤してしまえば部はなくなりますからね。
-小学年代からラグビーを知ってもらうための普及は何が重要だと考えていますか?
タグラグビー(※)の存在は大きいと思います。ちょっとずつ広まっているし、危険性も少ないし室内でもできる。それに、まず小学生は楽しめないと続かないので。経験の少ない指導者がそういう楽しさや学びを提供できるかできないかというのも大きいです。小学生って試合は楽しいですけど単純な練習は楽しくないじゃないですか。単純な練習を試合の中に詰め込んだ練習メニューを提供し、本番に繋げていくことがベストと言われている中で、日本のタグラグビーやスクールの指導者は、そこにどこまでフォーカスできているのかという部分は日々考えています。
※タグラグビー
身体接触や地面に倒れるプレーがない新しいスタイルのラグビー。相手選手を止めるためには、タックルの代わりに、相手選手の腰に付けたタグを取らななければいけない。
-指導者が増えることも重要ですね。
その必要性がすごく大きいですね。例えば自分の息子がラグビースクールに行ったけど結局、マリノス(J1リーグ所属の横浜F・マリノス)のスクールに入ったと。サッカーを選んじゃったと。なぜかというと、練習が楽しくない。場所の提供もあまりなく、時間も少ない。土日しかなくて、平日はやらないという。ラグビーが人気出て、求める人が増えて、ラグビースクールは人数も増えていますけど、それをしっかりと提供できていないんです。指導者のレベルも高まっていない。スタートコーチの免許は1日で取れてしまうんですよ。そんな簡単に免許が取れてしまうので、みんなコーチになれる。そういうことをしていて、ベストなものを提供できているかというと、なかなか難しいと思います。とはいえ、お金の面もありますし、プロとしてボランティアでできる仕事じゃなくなってもきます。
-そういった状況下の中、日本で開催されるW杯までの間にやっていきたいことはありますか?
僕が日本代表に対してすることというのは何もないし、協会やサンウルブズがやること。ただ、一緒にやっている選手たちに教えながらプレーをするし、サンウルブズに入っている人もいるのでアドバイスすることはする。キヤノンというチームからたくさんの選手がサンウルブズに入ることも重要だし、僕も代表の選手やコーチを知っているので、しっかりそこに送り出しやすいような環境の中のコネクションの一人となればいいかなという思いは持っていますね。