「盛り土問題」は他人事ではない Part2/日沖 博道
以前、“「盛り土問題」は他人事ではない”と題したコラム記事にて、マスコミと都議会が論点のズレと優先度の取り違えに明け暮れる状況に対し、企業社会でも珍しいものではないと指摘したことがある。http://www.insightnow.jp/article/9437
しかし小池都知事がその後、矛先をオリンピック会場問題、そして都議選へと変遷させるにつれ、今や「誰が決めたのか?」という犯人探しはすっかり下火になった様相だ。しかし最近、知人がこの騒動の経緯を整理してくれた解説によると、どうやら発端は石原元知事だとのことだ。
関係者の話によると、都幹部との昼食会で石原知事(当時)が「盛り土より安く済む方法をある専門家から聞いたのだが、コンクリートの箱を重ねて埋め込むやり方のほうが工期も短く済むらしいぞ」などと発言したらしい(もちろん、具体的な表現は違うかも知れない)。それを受けて部下の都幹部の人たちがその方式に変更するようにしたのだが、何せ正式な会議で決めたわけではないから、どこの議事録にも意思決定の経緯が載っていない。
「誰がどういうプロセスで決めたのか」と問われても、正直に答えれば「そんないい加減な決め方で決めていいと思ってるの?」と突っ込まれるのが明らかなので、誰も答えようがなかったのだとのことだった。
その知人も当事者じゃなく伝聞なので、どこまで真実かは藪の中だが、いかにも有りそうな話だ。そして企業経営の場でもこうした事態は実は日常茶飯事なのだ。
経営トップが軽い気持ちで「こうしてみたら?」とサジェスチョン(推奨)したつもりの発言が、直属の役員・部下たちにとっては「天の声」として聞こえ、その意を汲んで関係者全員が先回りして万端抜かりなく整える、という状況である。経営トップ自身としては決定・指示したつもりは全くないにもかかわらず、だ。
例えば、CEOが軽いジョークのつもりで「明日のゴルフの前にゴルフ場近くの店を現場視察するかな?」と発言したがために、該当する店が休日の早朝にスタッフ全員呼び出されて直前まで大掃除させられた(でも結局、経営トップは来なかった)という例もある。禁煙家の社長が「ウチの煙草好きの連中は本当に仕事をしているのか?」と言ったために、彼らをさらし者にするような喫煙ハウスが社屋隣に建設された例もある。
経営トップが独裁的か高圧的で、そのせいで「腰巾着」的取り巻きが本質的なことを考えない連中ばかりであればあるほど、こうした滑稽な事態が繰り返される。
心ある部下は既に遠ざけられているため、「そんなアホなことは止めてください」と直言する声は聞こえず、経営トップは自らの指示の結果とすら気づかずに、その結末だけを見て、改めて「またウチの連中は無駄なことをやっておるわい。どうしてワシの気苦労を分かってくれんのか」と嘆くのだ。したがってその経営トップが引退するまでこうした悲喜劇は繰り返される。
ちなみに冒頭の石原元知事の話に戻るが、盛り土をしない決定の経緯はどうだったのかを問われて「何も知らない、僕は騙されていた」などと発言していることで、氏は知らぬ振りをしたとか責任逃れなどと非難されていた。しかし我が母校の大先輩の唯我独尊の性格からして責任逃れをすることは考えにくい。もし本当に自分が決定したという認識と記憶があれば、どんなに非難されようと「俺が指示したんだ。それが悪いか?」と開き直るはずだ。
現実には、そもそも自分が実質的に決定し指示したという認識が元々ないか(この可能性が一番高い)、(残念ながら既に耄碌されているとしたら)実際の経緯を忘れて被害者意識のみ強くなってしまっているかのどちらかだろう。
もう一つの「ちなみに」だが、「盛り土」の代わりにコンクリート壁の空間を作るというのはむしろ合理的なやり方であったという指摘を幾つか目にした。よくなかったのは、公明性大な意思決定がなされなかった上に、その経緯を正直に言えないがために誤魔化していることではないかと思う。