「僕が居てはいけない」引退・山本昌、TVカメラに語った心境
9月30日、プロ野球現役最年長選手で同25日に引退を表明していた中日ドラゴンズ・山本昌投手が名古屋市内で記者会見を行った。
すると同夜、フジテレビ「すぽると!」では「出会いが生んだ奇跡の野球人生」と題し、山本の現役生活32年を振り返った他、引退表明翌日に語っていた山本の心境を伝えた。
「このスポーツに出会えてよかった。僕に野球がなかったらどうしてるんでしょうね。運動神経は大してよくない。ただ投げる技術だけは小さい頃からあったみたいでコントロールも小さい頃からいいほう。球は速くないですけど。小中と補欠で野球してましたけど、辞めたいと思ったことはありません。奇跡のような野球人生を送ってこれた」。
引退会見ではこう語った山本だが、1983年のドラフトで5位指名を受け、プロ野球の世界に飛び込むも球速は遅く、決め球もなかった山本は何年も目立った活躍ができない苦しい時期を過ごしている。
だが、その後1988年に参加したロサンゼルス・ドジャースへの野球留学の際、球団職員だった故・アイク生原氏との出会いが野球人生を変えることになった。会見でも同氏の存在や出会いに感謝すると、「まさか自分でもここまで花が咲くとは思いませんでした。あそこがまず原点だった。あそこの出会いがなければと今は思えます。これ以上、自分で筋書きを作れと言われても難しいくらいの野球人生」とまで話した。
以後、中日のエースとしてチームを支えてきたが、キャリア晩年はまさに加齢との戦いに。そんな引き際については、引退を発表した翌日、番組のカメラに心境を明かしており、「チームが変わっていく中で、やっぱり大きく変えるには僕が居てはいけないかなという思いもありました」としている。
今後は「またユニホームを着るチャンスを貰えるように」と言い、指導者を目指す山本。会見の模様が伝えられると同じく左投手として活躍した野球解説者・野村弘樹氏は「現役32年間でピッチングスタイルが全く変わらない。32年間、変えない難しさ。貫き通した強さはカッコいいと思います」と称えた。
すると同夜、フジテレビ「すぽると!」では「出会いが生んだ奇跡の野球人生」と題し、山本の現役生活32年を振り返った他、引退表明翌日に語っていた山本の心境を伝えた。
「このスポーツに出会えてよかった。僕に野球がなかったらどうしてるんでしょうね。運動神経は大してよくない。ただ投げる技術だけは小さい頃からあったみたいでコントロールも小さい頃からいいほう。球は速くないですけど。小中と補欠で野球してましたけど、辞めたいと思ったことはありません。奇跡のような野球人生を送ってこれた」。
だが、その後1988年に参加したロサンゼルス・ドジャースへの野球留学の際、球団職員だった故・アイク生原氏との出会いが野球人生を変えることになった。会見でも同氏の存在や出会いに感謝すると、「まさか自分でもここまで花が咲くとは思いませんでした。あそこがまず原点だった。あそこの出会いがなければと今は思えます。これ以上、自分で筋書きを作れと言われても難しいくらいの野球人生」とまで話した。
以後、中日のエースとしてチームを支えてきたが、キャリア晩年はまさに加齢との戦いに。そんな引き際については、引退を発表した翌日、番組のカメラに心境を明かしており、「チームが変わっていく中で、やっぱり大きく変えるには僕が居てはいけないかなという思いもありました」としている。
今後は「またユニホームを着るチャンスを貰えるように」と言い、指導者を目指す山本。会見の模様が伝えられると同じく左投手として活躍した野球解説者・野村弘樹氏は「現役32年間でピッチングスタイルが全く変わらない。32年間、変えない難しさ。貫き通した強さはカッコいいと思います」と称えた。