坂本龍馬

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 リーダー不在の現代を象徴するように、「歴史上の人物で、誰に首相になってもらいたい?」といった現実逃避的な質問を度々目にする機会がある。決まって上位に選ばれるのは、坂本龍馬と織田信長の二人だ。特に坂本龍馬は、2010年の年間ドラマ視聴率1位を記録した「龍馬伝」や、2009年と2011年で続けて同ランキング2位を記録した「JIN-仁」など、ここ数年で更に人気が高まっている。

 幕末のヒーロー坂本龍馬の、「日本を今一度洗濯いたし申し候」との名言は誰もが耳にした覚えがあるだろう。橋下市長率いる大阪維新の会もヒントを得た船中八策では、上院議会と下院議会の設置や、官位を廃止して有能な人材を平等に登用するなど近代民主政治の礎を築き、鎌倉時代から江戸時代まで長年続いた武士階級による支配から民衆を解放した人物だ。

 そんな坂本龍馬と同じ時代を生き抜き、先見の明に優れ、意外にも多くの共通点を持つ人物が、民主主義の本質を説いた名演説「人民の人民による人民のための政治」などで世界的に知られる、史上“最も愛された大統領”エイブラハム・リンカーンだ。

 リンカーンが生まれたのは1809年で、その後1836年に坂本龍馬が誕生。リンカーンは9歳、坂本龍馬は12歳の時に幼くして母を亡くしている。その直後、坂本龍馬は剣術を学ぶべく土佐の道場に入門し、更なる強者を求めて22歳まで江戸にて剣術修行に励む。リンカーンもまた193cm、84kgの巨漢を活かして、22歳の頃にレスリングの賭け試合に出場。その腕力と大胆さで知られるようになるのだ。

敵を味方にかえる“交渉力”

 坂本龍馬は、日本初の株式会社となる亀山社中(後の海援隊)を組織すると、犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩の間を取り持つべく、倒幕を目指しながらも武器調達に悩む長州藩に対して、薩摩藩の名義で買い付けた武器を転売。その交換条件として、食糧難にあえぐ薩摩藩に長州藩から米を送り届けることで、両者の不仲を見事解消し、誰もが予想しなかった薩長同盟を締結した。また、攘夷派だった坂本龍馬が、開国論者の勝海舟を斬りに行った際、先見の明に優れた勝の話に感銘し、その場で弟子入りを志願。派閥を超えて良いアイディアは柔軟に取り入れ、大局で物事を捉える視野の広さで、敵を味方へと変えていった。

 出馬以前、弁護士職に就いていたリンカーンは、寝る間も惜しむほど精力的に活動。その誠実さと公平性から「正直者エイブ」との愛称で終世まで親しまれ、前述のゲティスバーグ演説をはじめ数々の名演説で多くの味方を獲得していった。それは異なる政党の政治家だけでなく、リンカーンと大統領選を争った人物でさえ例外なくだ。通常であれば避けて当然の人材を招き、自由に意見や議論をさせたのである。そして2度目の大統領選では、共和党内の派閥を一つにまとめ上げるだけでなく、対立する民主党議員の一部からも支持を集め、40万票以上の大差を付ける圧勝で見事に再選を果たした。

もし相手に自分の意見に賛成して欲しければ、
まず相手に自分はあなたの味方だと分かってもらうことだ。
これこそ、人の心をとらえ、相手の理性に訴える最善の方法である。
相手が自分をことを味方だと思っていれば、
遅かれ早かれ、自分の意見に賛成してくれる。
- エイブラハム・リンカーン -

世界を変える“決断力”

 上級武士と下級武士との身分格差が著しい土佐藩と、過激な尊王攘夷を掲げる土佐勤王党に失望し、自由を求めた坂本龍馬は、1862年に脱藩を決意。脱藩とは、臣下の身分でありながら一方的に主君を見限ることで、本人のみならず残った家族までもが重罪に問われる危険性があったという。しかし、故郷を捨て、家族までも捨てる坂本龍馬の決断が無ければ、“日本の洗濯”大政奉還も実現したかどうか定かではない。

 リンカーンは、まだアメリカ合衆国南部で奴隷制度が当たり前とされた時代に、反対意見を表明した。彼の大統領就任を機に合衆国から脱退した南部11州によるアメリカ連合国との間で、国を二分する南北戦争が勃発。アメリカ史上最多となる62万以上(一説には75万人以上)もの多くの若い犠牲を伴い、身内の共和党内からも和平交渉を望む声が上がる中、奴隷解放こそが「平和への礎を築く、すべての人間の本当の自由」へ繋がると信じるリンカーンは1865年1月、憲法修正案第13条を議会に提出。“世界を変える”大きな決断を下すのだった。

出来ると決断しなさい。方法などは後から見つければいいのだ。
- エイブラハム・リンカーン -

愛されるリーダーの“人間力”

 激動の幕末に島国からいち早く世界へと目を向け、「日本の夜明け」を夢見た“人たらし”坂本龍馬。また、人種差別が根強く残る時代に、「すべての人間は自由であるべき」と夢見た“最も愛された大統領”リンカーン。国を二分する争いの中で、揺るぎない理想と信念を貫き通し、見果てぬ夢を追い求める人間力こそが、人々に愛されるリーダーたる資質なのだろう。

 リンカーンは1865年4月にフォード劇場で暗殺され、続いて1867年12月に坂本龍馬が近江屋で暗殺。時代を切り拓いた直後、不慮の死を遂げてしまう結末もまた、後世まで語り継がれるリーダーの宿命なのだろうか。

 本日4月19日からは、巨匠スティーブン・スピルバーグが12年間構想を温め、「偉大な指導者が求められる今こそ、この物語を知ってほしい」と語る映画『リンカーン』がいよいよ公開となる。物語の舞台は、リンカーンが大統領選で再選を果たし、南北戦争が4年目に突入した1965年1月。自らの理想が招いた戦争は多くの命を奪っていき、遂には彼の息子までもを戦地へと駆り立てる。息子には反発され、妻からは叱責を浴び、一国の指導者たるリンカーンも、公務を終えて家に帰れば一人の父親に過ぎなかった。“人間の尊厳”と“愛する家族”との狭間に立たされたリンカーンが下した究極の決断とは? “世界を変えた28日間”の物語が今、明かされる。坂本龍馬が好きな日本人ならば誰もが、リンカーンの人間力に、今を生き抜く希望を与えられるに違いない。

もし最後の結果が良ければ、
私に浴びせられた非難などは全く問題ではない。
ただし、最後の結果が悪ければ、
たとえ十人の天使が私を弁護してくれたところで、何の役にも立ちはしない。
- エイブラハム・リンカーン -

MOVIE ENTER『リンカーン』特集ページ

『リンカーン』4月19日(金)TOHO シネマズ日劇他全国公開!
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