「でもあなた、○○ですから〜! 残念!!」というこのフレーズ。R25世代だったら、小中学生のころに聞いたことがあるはず。

今回、登場していただくのは、2004年に『エンタの神様』(日本テレビ)で「ギター侍」としてブレイクした波田陽区さん。テレビ出演が減って「一発屋」と呼ばれるようになり、一時期は外に出たくないほど落ち込んでいたと言います。

そんな状況を変えるため、一念発起して2016年に福岡に移住。現在は福岡でレギュラー番組を持つ人気者になりました。

彼は移住してからどのように前向きになっていったのか? 東京を離れることに葛藤はなかったのか? そこのところをじっくり聞いてきました!

〈聞き手:福田啄也(新R25編集部)/文:吉玉サキ〉


波田陽区(はた・ようく)】山口県出身、1975年生まれ。2004年に『エンタの神様』でギター侍として人気を博した。2016年に福岡に移住し、現在はワタナベエンターテインメントの九州事業本部に所属

福田:
波田さんが福岡に拠点を移されていたのを初めて知った、という人も多いと思います。

現在は福岡でかなりご活躍されていると伺いましたが、お仕事のほうはいかがでしょう?

波田さん:
テレビとラジオを合わせ、8本のレギュラー番組を担当させていただいてます。

冠番組も持たせていただき、関係者の方には頭があがりません。

福田:
おお…今日は、「一発屋」と呼ばれていた波田さんがなぜ生まれ変われたのか、という理由を聞かせてもらいます!

ブレイク時は毎日10万円使っていたが…

福田:
まずは東京にいたころの話から教えてください。

2004年〜2005年をピークにテレビ出演が減少したそうですが、当時危機感はあったのでしょうか?

波田さん:
危機感はブレイクしていたときからぼんやり持っていたんですよ。

「自分の売れ方は先輩芸人とは違って、突発的な売れ方をしているな。このブレイクは短命なんじゃないかな」と。

そしたら、本当に仕事が減ってきて…でも自分は「ギター侍」以外の武器がなかった。

まわりからアドバイスされたことを全部真に受けて、それで失敗してテンパってましたね。

福田:
たしかに、「ギター侍」以外の印象は正直ありませんね…

波田さん:
そうですよね。ピークを過ぎたあとは一発屋としての仕事ばかりでしたから。

一発屋の仕事って、聞かれることが毎回同じなんですよ。「最高月収は?」とか「悲しいエピソードは?」とか。

だんだん「オレにはこれしか求められてないんだ」って虚しくなって、イジけてました。



福田:
仕事が減って、暮らしぶりは変わりましたか?

波田さん:
それまでは芸人仲間や後輩にめちゃくちゃおごってたんですけど、おごる回数が減りましたね。

ブレイクの熱が冷めたあとは、後輩から電話がかかってきたら「あ、この電話に出たら、おごらされるな」って思って居留守を使ってましたね。

福田:
そこまで…

さんざん聞かれてると思いますが、売れてたときと下火になってからの収入の落差は…?

波田さん:
10分の1くらいになりました。

売れていたときは1日に10万円くらいは使っていたんですよ。

毎日、芸人仲間とお寿司や焼肉を食べに行って、そのあとキャバクラにも行ってて、全額おごってました。しかも、帰りには後輩のタクシー代まであげていた。

1日10万円だとしたら、1年で3650万円。そのお金を遣わずに貯金してたら家が建ってますよね(笑)。


すっげえ…

波田さん:
でも、不思議と後悔はしてないんですよ。貯めとけばよかったとか、思ったことないんです。楽しかったので。

ちょっとくらい残しとけば嫁は安心できたんでしょうけど(笑)。


意外とポジティブ!

世間から笑われてるような気がして、外に出るのも辛かった

福田:
そういえばご結婚は、テレビ出演が減ってからですよね。

そのあとにお子さんも生まれていますが、経済的な不安などはなかったのでしょうか?

波田さん:
東京のゴールデン番組には出られなくなったけど、地方の番組とか営業とかで、なんとか食っていけるくらいの収入はあったんです。

ただ、お金のことよりも世間体のほうが気になりましたね。

福田:
世間体というと?

波田さん:
世間から「終わった芸人」って思われてるのがとにかく辛かった。

街を歩いていると、知らない人から指を差されて笑われたこともありますし。次第に日本中から笑われてるような気がして、一時期は外に出るのも嫌になりました。

鬱ってほどでもないけど、かなりネガティブになっちゃって…

そのせいで、当時は嫁ともギクシャクしてしまったんです。

福田:
以前、テレビ番組で社会学者の古市憲寿さんに「波田さんは自分の失敗を東京のせいにしすぎ!」と言われていたのを目にしました。

それについてはどう思いますか?

波田さん:
そんなこと言われましたね!(笑)

たしかに、売れなくなった原因は東京のせいじゃなくて、自分の実力不足だと思ってます。ただ、東京で求められるのは「一発屋」としての仕事ばかりで…

藁をもつかむ気持ちで新ネタを考えてみたり、キャラクターを変えてみたりしてみても答えが出ませんでした。



福田:
そんな辛い状況で、芸人を辞めようとは思わなかったのでしょうか?

波田さん:
それはないんですよ。

ボクは大学を卒業してから芸人しかしてこなかったし、ほかの仕事は考えられなかったんです。

それに、ずっとテレビに憧れてきたから、機会が減ったとはいえ、仕事は楽しかったんですよね。

辛かったとき、「アドバイスをしない」間寛平さんに救われた

福田:
仕事も家庭もうまくいかない状況のとき、周囲の人たちはどういう反応だったんですか?

波田さん:
ブレイクしていたときから、間寛平さんにはずっとかわいがってもらってるんです。

売れなくなってからも寛平さんは変わらず「波田、メシ行こか〜、好きなもん飲みや〜」って誘ってくれて。

それがすごくうれしくて、救われてました。

福田:
イメージ通りの優しい方なんですね…

寛平さんから、何か仕事についてアドバイスをもらうことはあったんですか?

波田さん:
それが、寛平さんってアドバイスを一切しないんですよ。

ほかの先輩方はだいたい「ああせい、こうせい」って言うんですけど、寛平さんはなんのダメ出しもしない。

楽しい話だけしてゲラゲラ笑って、帰りには全員にタクシー代をくれる。説教とかなくて、本当に楽しいお酒なんです。

それが、ボクにはアドバイスよりありがたかった。



波田さん:
あと、寛平さんの奥様が、うちの嫁さんをランチに連れてってくれたりしてたんです。

これはボクの想像なんですけど、嫁さんは寛平さんの奥様に、ボクの仕事のことを相談してたんじゃないかなと…

本当に、寛平さんには家族ぐるみでお世話になってますね。

福田:
寛平さんはなぜそこまで親切にしてくださるんでしょう?

波田さん:
聞いたことはないんですけど、寛平さんもいろいろと苦労されてきたし、本当に優しい方なんですよ。

だからボクも、寛平さんみたいな人になるのが目標なんです。後輩に対してエラそうにするんじゃなくて、楽しく接したいなと。


福岡に行っても、間寛平さん一家とは定期的にご飯を食べにいくんだとか

現状を変えたい。40歳を機に一念発起、福岡へ移住

福田:
ここからが本題です。

波田さんは、2016年に福岡へ移住されましたよね。これはなにがきっかけだったんですか?

波田さん:
息子が生まれてから、「40歳になってもこの状況だったら、なにか新しいアクションを起こそう」と決めていました。

ボクが40歳になったら、息子も小学生になります。そのとき、「親父が一発屋として扱われていたら嫌だろうな」と思っていたんですよ。



波田さん:
それに、ボクより先にワタナベエンターテインメントの福岡事務所で活躍してた人たちがいて、あとに続けるんじゃないかなと考えました。

それで、自分から「福岡に行かせてください」って事務所にお願いしたんです。

福田:
「福岡で仕事がなかったらどうしよう」って不安はありましたか?

波田さん:
最悪、福岡で食い詰めたら芸人を辞めて働けばいい、という覚悟でした。

あのときは福岡で仕事が決まってたわけじゃなかったけど、とりあえず現状を変えなきゃと必死だったんですよ。



「福岡に来てもお前のポジションはないよ」と言われた

福田:
東京で活躍していた人が地方に移住すると、ネガティブな印象を持たれることもあります。

「東京から逃げた」とか「都落ち」とか…

波田さんは、そういう反応をされたことはありますか?

波田さん:
芸人仲間から何か言われることはなかったけど、ネット上で知らない人から「どうせダメだろ」とか言われることはありましたね。

でも、その前からSNSで「一発屋」とかさんざん言われてたので、想定の範囲内というか、あまり気にならなかったです。

福田:
波田さんご自身は、東京を離れることについてどう思っていたのでしょう?

「逃げ」という意識はありましたか?

波田さん:
「とにかく現状を変えなきゃ!」って必死だったから、そんなこと考える余裕すらなかったですね。

まわりがどう思おうと、ボク自身は心機一転、すべてやり直す覚悟で福岡に行きました。

福田:
潔い…! 実際の福岡の人たちはどういう反応だったんですか?

波田さん:
おおむね温かく迎え入れてもらえましたね。

だけど、なかには冷たい人もいました。「福岡に来てもお前のポジションはないよ」って言われたこともあります。

でも、そんなのは覚悟の上だったんで、「そう思う人もいるだろうな」って感じですね。



一発屋だったからこそ、助けてくれる人たちのありがたさを知れた

福田:
移住したあと、仕事は入ってきたのでしょうか?

波田さん:
いえいえ。最初はまったく仕事がなくて、週5でバイトをしてました

「一発屋」時代はバイトしてなかったんですけどね。拠点を移したことで、地方の営業の数も減りましたから。

福田:
なるほど…ちなみにどんなバイトを?

波田さん:
「イモトのWiFi」の宣伝部長として、福岡国際空港のカウンターでWi-Fiルーターを貸し出す仕事です。

イモトアヤコが事務所の後輩で、そのツテで社長を紹介してくれたんですよ。そしたら、「仕事がないんなら宣伝部長やって」って言ってくださって。

朝7時から夜まで、スーツにタスキをかけて、空港に来られたみなさんに「いってらっしゃい!」「ようこそ福岡へ!」って挨拶をしてました。

波田さん:
その社長にしてもイモトにしても、福岡に来てからは本当にまわりの人に助けられてばっかりです。

今となっては、「一発屋でよかったな」って思うこともあるんですよ。

福田:
えっ、「一発屋」でよかった…?

波田さん:
正直、昔は「ゴールデンに出られて当たり前」って思ってた時期もあったんです。仕事があるのは当然だったから、まわりの人に感謝することも少なかったんですよ。

でも、仕事がなくなって、まわりの人間が離れていくこともたくさんあった。どんどんイジけて、ボク自身も嫌なやつになっていきました。

でも、事務所の方や関係者の方々は、そんなボクが福岡に行くことを応援してくださったんです。それに、現地についてからも助けてくれている。

「一発屋」として天国も地獄も味わった、その落差があったからこそ、助けてくれるありがたさをかみしめることができています。



福岡でのブレイクのきっかけは、卓球の水谷隼選手に似ていたから

福田:
その後、福岡ではどのようなきっかけで仕事が増えていったのでしょうか?

波田さん:
2016年のリオオリンピックで活躍した卓球の水谷隼選手のおかげです。

水谷選手の試合があった翌朝、ワイドショーでボクと顔が似ているって話題になったんですよ。そしたら、事務所に電話がいっぱいくるようになって(笑)。

福田:
なんという奇跡…

波田さん:
そして、水谷選手ネタで福岡のワイドショーに出たとき、一緒に仕事したアナウンサーさんが「波田くん、一緒にプロデューサーさんに挨拶しに行こうよ。波田陽区が福岡にいるってちゃんと知らせよう」って言ってくださって、局のエラい方に挨拶回りをしたんです。

そこで福岡のテレビ業界に認知してもらえてたんだと思います。

福田:
それまで、ご自身から売り込みをかけることはやってなかったんですか?

波田さん:
東京にいたころは、「どうせ一発屋の仕事しかないんでしょ?」ってイジけて、あまりやっていませんでした。

でも、そのアナウンサーの方が声をかけてくださったことをきっかけに、自分から「使ってください」って頭下げるようになりましたね。

もともと、人見知りだから本当はひとりでいたいタイプなんですけど、福岡のみなさんは本当に優しくて…

今では苦手だった飲み会に顔を出すようにしたり、スタッフさんと積極的にコミュニケーションをとったりするようになりましたね。

福田:
そういえば、ほかのインタビューで「福岡では一芸人として扱ってもらえる」とおっしゃっていましたね。

いまではロケや情報番組の司会もやられているとか。

波田さん:
そうなんですよ。ディレクターさんやプロデューサーさんに挨拶していたときに、「じゃあロケでもいいならやってみる?」と言われて、使っていただけることになりました。

そこでとにかくボケて、ダメならツッコんでと、貪欲に動けたんです。それでほかの番組にも呼んでいただけるようになって、今の冠番組があります。

特に、ラジオで自由に好きなことを喋れるのはうれしいですね。悪口とか下ネタとか(笑)。



東京にいたころは田舎者って思われたくなくて、背伸びしていた

福田:
最初にお会いしたときも思ったんですけど、今の波田さんってすごく肩の力が抜けている印象です。

それも福岡に移住したからなのでしょうか?

波田さん:
自分で言うのもなんですが、明るくなったと思います。っていうか、一発屋になる前の自分に戻ったのかな。

東京にいたときは背伸びしてたんですよ。

田舎者なのに、「負けたくない」とか「恥かきたくない」って気持ちがあって…でも、今は自然体でいられますね。



波田さん:
それに、今は仕事以外の面もすごく充実してて。

親に孫を見せられてるとか、信頼できる友だちと会えてるとか、そういうことがボクのなかではすごく重要なんです。

仕事で成功する人生もいいけど、仕事以外の面を大切にする人生がボクには合ってたんでしょうね。

福田:
それに気づけたのも、福岡に移ったからかもしれませんね。

逆に、移住してみてわかった「東京のメリット」ってなんなのでしょう?

波田さん:
やっぱり「一攫千金できるようなデカいチャンスがたくさんあること」じゃないですかね。

売れつづけているビッグな人たちはみんな東京にいるわけですし、実力さえあれば成功できる可能性は東京のほうがあります。



「地方のほうがいいよ」とは言わない。でも、しがみつく必要もない

福田:
東京が辛くて、「地方に住みたい」とか「地元に戻りたい」と考えてるけど一歩が踏み出せない若者もたくさんいると思います。

そんな人たちが波田さんの姿を見たら、勇気をもらえそうですね。

波田さん:
うーん。でもボクは、東京で頑張ってる人に「地方のほうがいいよ」とは言えないです。

ボクは移住して幸せになったけど、それは「ボクがたまたま地方が合ってた」だけなんで。

福田:
あっ、そうなんですね。

てっきり、移住したい人の背中を押してくれるのかと…

波田さん:
だって、幸せの尺度は人によって違うじゃないですか。

たとえば野生爆弾の川島さん(くっきー)とか東京が合わないように見えていたけど、ずっと東京で頑張ってたからこそブレイクできた人もいる

諦めて地元に帰ってたら、今の成功はなかったかもしれないですよね?

福田:
たしかに…

波田さん:
だから、簡単に人に移住を勧めることはできないです。

でも、もしも目的もないのに東京にしがみついてて苦しいなら、いったん離れてみる選択肢もアリだとは思いますよ。

それに対して、「都落ち」とか言う人もいるかもしれないけど、言わしときゃいいんですよ。地方移住は恥ずかしいことじゃないんだから



「ボクが今ここにいられるのは、まわりの人が助けてくれたから」と何度も言っていた波田さん。

「ギター侍」としてブレイクした時期、「一発屋」として指を差された時期、そして福岡で自分らしさを見つけた今。

天国も地獄も味わったからこそ、その言葉に重みが出ていたんだと思います。

波田さんが福岡で成功できたのは、その周囲への感謝を忘れない気持ちと、背伸びをせずに生きられる場所を見つけたからだったんですね。

苦しかったら東京にしがみつく必要はない。今の環境で少しでも苦しいと思っている人は、「自分に合った生き方を見つけること」が大切なのかもしれません。

〈文=吉玉サキ(@saki_yoshidama)/取材・編集=福田啄也(@fkd1111)/撮影=長谷英史〉

波田陽区(@hata_youku)さん | Twitter
https://twitter.com/hata_youku

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