[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

写真拡大

最後まで盛り上がりました!

熱戦つづいた平昌パラリンピックも終わり、長い長い「平昌」もひとつの区切りを迎えました。韓国の山奥でやると決まったときのアチャーという気持ちや、高速鉄道作る・作れない問題、ホテルのあり・なし問題、雪不足への不安と降雪機への期待、寒さへの不安と防寒6点セットへの期待、緊急大量ノロ、モルゲッソヨ……たくさんの心配事も過ぎてみればいい思い出。楽しく充実した日々となりました。

18日に閉幕を迎えたパラリンピックも、最終日まで途切れずに日本勢が奮闘してくれました。アルペンスキー女子回転・座位では、すでに今大会4つのメダルを獲得している村岡桃佳さんが5つめのメダルを獲得しました。これは冬季パラリンピックにおける日本選手の一大会の獲得数としては史上最多となるものです。アイススレッジスピードスケートで複数距離のまとめ取りが可能だった長野大会を超えての5個というのは、歴史的な快挙だったと思います。

この日の回転はアルペンスキー5種目のなかでは「一番苦手」ということでしたが、とてもそんな様子は感じさせない滑り。攻めるというよりは丁寧になぞるといった滑りで、ミスなく旗門を通過していきます。1本目を終えて2位、2本目は大きくバランスを崩して転倒するミスがありましたが、他選手も苦しむコースコンディションでのなかのこと。1本目の順位を守り切っての見事な銀でした。

↓私に始まって私に終わるの有言実行!そして村岡さんは早くも北京への意欲を表明!



「次も見られる」ことで、次回の楽しみもいや増す!

北京では夢の「5冠」に挑戦だ!



「いやー、面白い大会だったなー」とダラダラ閉会式待ちをしていると、さらなる盛り上がりが追加でやってきました。日本勢は8位となったアイススレッジホッケーの決勝戦。3連覇を狙うアメリカと、それを阻止せんと立ち向かうカナダの頂上決戦は、稀に見る大逆転のゲームとなったのです。

第1ピリオドに1点を先制し、そのリードを保ったまま試合終盤を迎えていたのはカナダでした。アメリカはアイスホッケーではおなじみの秘策「GKをフィールドプレーヤーに替えて、6人で仕掛ける最後の総攻撃」を繰り出します。実質的なプレーヤーがひとり増えるぶん、パックを奪われればガラ空きのゴールに放り込まれてしまう諸刃の策です。

ありがちな話なのですが、最後の猛攻を仕掛けたアメリカはパックを失い、カナダが独走でゴールに迫るという絶体絶命のピンチを迎えます。試合時間は残り1分。ここで追加点なら完全にアウトという場面。「おぉぅふ…アメリカオワタ…」と思ったそのとき、ガラ空きのゴールに向けて放ったカナダのシュートは「ポストに当たって」跳ね返ったのです。命拾いしたアメリカがパックを拾うと、つないでつないで全員がなだれ込んで起死回生の同点弾に!

これで延長戦に持ち込んだアメリカは、1点先取で決着する延長を制して、大逆転での3連覇を達成。この劇的な決着は、もはやアイススレッジに乗ってるとか乗ってないとかではない、大興奮でした。同点弾そして決勝弾を決めたアメリカのファーマー選手のヒーロー感たるや。オリンピックのほうのアイスホッケーも終盤に激しい点の取り合いを演じて、最後は残り1分で同点に追いつく劇的な戦いではありましたが、負けず劣らずの面白い決着でした。

↓試合の面白さは「展開」にある!技術・体力はあくまでもそれを演出するバックボーン!


残り1分、リスク覚悟の猛攻、迎えた大ピンチ、逃れて同点、そして逆転!

アイススレッジに乗っても面白い試合はできる!



クロスカントリースキーで金メダルを獲った新田佳浩選手が、パラリンピックを目指すきっかけとなったのは、誘いをかけたコーチの「パラリンピックは弱者の発表会ではありません。アスリートの大会です」という言葉だったそうですが、やる側も、見る側も、そういう意識が大切なのかなと思います。

村岡さんの「私に始まり、私に終わる」、成田緑夢さんの「ヒーローになりたい」、勝った選手たちの野心は明るくて前向きです。リハビリのために、生きる支えとしてスポーツを始めるという一面もあるのかもしれませんが、世界の頂点をかけて戦う舞台というのは「弱者の発表会」なんて意識ではおさまらないものでしょう。そこに出ること、そして勝つことで栄光を手にする眩しい舞台のはずですし、そうしていかないといけない。

「かわいそうな人だけど今日はパーティーをしてあげましょう」なんてメソメソ飾りつけしているヤツがいたら、それは違うぞって思うじゃないですか。イラッとするじゃないですか。「かわいそう」はいらないのです。「かわいそう」で区切ってるわけではないのです。身体に不自由がある階級の大会であることと、かわいそうな人を集めた大会であることとは等しくないのです。

怪我をしたアスリートや、挫折したアスリート、金銭面で苦しんだアスリートが、昔話を振り返るのと同じことです。確かに大変だったのでしょうが、それも含めて今があり、それがあったからある今なのです。怪我をしたり、不自由があってよかったとまでは思わないまでも、「最終的にこんな素晴らしい日がきたのは、あの辛い日々があってこそ。すべては無駄じゃなかった」と思えるタイミングはあるもの。かわいそうだから讃えるのではなく、頑張った人を讃えるときに大変だった逸話があると一層グッとくる、それは五輪もパラリンピックも大差ない話だと思います。

2020年は東京でコチラが迎える側として大会をやります。ぜひ、素晴らしい大会にしたい。「かわいそう」を捨てて、楽しむための準備をしたい。そのほうが自分が充実するじゃないですか。「かわいそうな人のためのパーティー」なんて辛気臭いものをやるのか「アスリートの大会」をやるのか、それは自分の気持ち次第なのです。僕は辛気臭いのはゴメンです。興奮して、盛り上がって、ハイタッチする大会をやりたい。「かわいそうな人のためのパーティーをやってしまった…」なんて後悔はしたくない。たぶんこれが自分の人生で最初で最後となる、「自分の街」での五輪・パラリンピックなのですから!

↓なので、閉会式で見た北京大会の出し物はちょっと違うと思いました!


車イスの少女が、想像のなかでは自分の足で踊るって違うでしょ?

車イスの少女が車イスのままで、想像よりも素晴らしい瞬間を迎えられるってことに意味があるわけじゃない?

その夢のような瞬間のひとつがパラリンピックなのだから!

自分らしく、自分のままで輝きたい!それは誰にとっても同じ希望です!



ありがとう平昌!お疲れ様平昌!次は2020年東京でお会いしましょう!