「ゴメスさんは高校時代の部活で、けっこう真剣にテニスをやっていたんですよね? あのころの経験って役に立っています? 僕は帰宅部だったから、そーいうのわからないんですけど……」

とある飲みの席で、とある人から、こんなことを唐突に尋ねられた。

たしかに私は高校時代、硬式テニス部に3年間所属しており、わりと本気でテニスをしていた。もちろん、そのころの経験は今でも充分役に立っている。

10代に、それも「毎日」のペースで間隔を空けずに身体へと叩き込んだスキルは、スポーツにかぎらず、引退後も細々と定期的に続けさえすれば、50代になっても“それなり”に発揮することができる。だから、私は“それなり”の上級者が集うテニスの会合でも「引退後も細々と定期的に続けていた」おかげで、足手まといになることは絶対にない。“それなり”にこなせるから「次」もお呼びがかかる。こうやって加入させてもらったコミュニティーのメンバーから、お仕事をいただいたこともある。充分すぎるほど役に立っている。

けれど、これが野球になるとそうもいかない。私は40代になってから野球を始め、10数年間ずっと週2〜3回のペースで試合や練習に参加し続けているくせに、本格的に取り組んでいる年数だけでは、よくよく計算してみるとテニスより全然長いのに、ちっとも上手くならない。リトルや高校野球をやっていた“だけ”の人たちには、どんなに頑張ってもかなわない。10代に、「毎日」のペースで間隔を空けずに身体へと叩き込んだスキルの賜物ってヤツだろう。

当たり前の話、仕事以外で「同じことを毎日やれる機会」は“学生”のみに許される特権である。そして、その特権は多くの場合「授業」「部活」といったかたちで与えられてきたわけだが、昨今その「部活」に対する不必要論が、にわかメディア上でささやかれている。

「勉学を除く活動は部活ではなく民間のクラブでやればいい」なんて極論の声も少なからず聞こえてくる。

テニスも含む、体操や柔道や陸上や水泳……などの個人種目は、すでにそういった流れが主流となっているようで、オリンピック種目にいたっては「民間」どころか「国」が“優秀な素材”を囲い、エリート教育を施している。仮に、囲われたエリートたちが高校や大学の体育会“にも”所属していても、そこから参加する大会は“肩慣らし”程度の練習試合でしかない……らしい。あの最年少プロ棋士・藤井四段を中学の部活では、とてもじゃないけど扱いきれないのが好例である。

本格的にやるなら「民間(もしくは国)」のクラブで、そこそこに和気藹々とやるなら「部活」で──それも一つの妙案であるのは理解できる。『ブラック部活動』(東洋館出版社)の著者である名古屋大学教育社会学准教授・内田良氏も、『現代ビジネス』(講談社)でそんな風なことを書いている。

個人種目はそれでいいかもしれない。ただ、野球やラグビーやサッカーといった団体種目にこの定理を当てはめるのは、現状ではなかなかむずかしいのでは……と私は思う(サッカーに関しては、すでに民間のクラブが幅を利かせつつあるのだが)。これらチームワーク系のスポーツや文化活動(合唱や吹奏楽とか?)で「将来メシを食うレベル」を目指したい“生徒”たちがごそっと抜け落ちてしまった放課後を想像してみてほしい。“そこそこ派”の部員集めは、もしかすると凄まじい獲り合いとなってしまうのではなかろうか。

あと、いくら実際では太刀打ちできないにしても、(我々の時代の)テニスだと、大阪では「清風高校」、全国では「柳川高校」が大きな壁として立ちはだかっていなければ……ちょっぴりモチベーションが下がってしまうのも、また事実だったりする。中高生だと、まだ自分の力量を客観的に図れないままプロを目指す子だって多いはずだし……。

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