平安時代、関東・甲州は「日本」の北限であり、蝦夷との戦いの最前線だった。まず朝廷で出世の見込みの立たない桓武天皇の曽孫が桓武平氏として、898年に上総介となり、関東豪族を鎮撫。ところが、平氏内の親族争いから、939年には平将門が「新皇」として関東の分国化を図る。翌年には鎮圧されたが、こんどは関東を抑えるために、1029年、河内源氏を甲斐守として派遣。連中は関東にも勢力を拡大。これが武田家の源流とされ、源頼
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平安時代、関東・甲州は「日本」の北限であり、蝦夷との戦いの最前線だった。まず朝廷で出世の見込みの立たない桓武天皇の曽孫が桓武平氏として、898年に上総介となり、関東豪族を鎮撫。ところが、平氏内の親族争いから、939年には平将門が「新皇」として関東の分国化を図る。翌年には鎮圧されたが、こんどは関東を抑えるために、1029年、河内源氏を甲斐守として派遣。連中は関東にも勢力を拡大。これが武田家の源流とされ、源頼