名を成したスポーツ選手は、引退後もその業界に残ることが多い。

 モータースポーツの場合、F1で頂点に登り詰めればバラ色のセカンドキャリアが待っている。ゲルハルト・ベルガーはFIA(国際自動車連盟)の委員を務め、ニキ・ラウダは今季好調のメルセデスAMGの非常勤会長。さらには知識と経験を利用し、後進の育成やチーム監督をする人も多い。現役F1ドライバーである息子のマネジメントを行なうケケ・ロズベルグはやや特殊な例だが、投資によって数百億円の資産を築いたエディ・アーバインのように、別の才能を開花させる場合だってある。

 しかし一度身にしみついたレーシングスピリッツは、一線を退いてからも、簡単に捨て去ることはできないようだ。

 ミハエル・シューマッハ(1969年生まれ)は、一度目の引退中の2007年から2009年はバイクレースに夢中になっていた(2010年にF1に復帰して2012年に引退)。

 95年にF1を離れたナイジェル・マンセル(1953年生まれ)は2010年にル・マン24時間耐久レースに、2001年にF1を引退したジャン・アレジ(1964年生まれ)は2012年にインディ500に参戦している。

 また、97年のF1王者であるジャック・ビルヌーブ(1971年生まれ)は、今年のインディ500への挑戦を表明している。いくら年齢を重ねても、彼らはスピードとスリルの世界に身を置いていたいのだろう。

 そして、さらに前の世代が夢中になっているのが、クラシックカーレース。その最高峰といわれるのが、イタリアで開催される「ミッレ ミリア」だ。

 元々は1927年から1957年に開催されていた公道レースが母体であり、モータースポーツ創成期の伝説的ドライバー、タツィオ・ヌヴォラーリ(1892-1953)や二度のF1王者となったアルベルト・アスカリ(1918-1955/彼が事故死したモンツァサーキットのコーナーは「アスカリシケイン」と呼ばれている)が参戦しており、イタリア全土を熱狂させていた。しかし死亡事故が多発したことで、1957年にイタリア政府からの中止を宣告される。現在は安全面を考慮したレギュレーションに変更しており、1977年からクラシックカーレースとして再開している。

 現在の「ミッレ ミリア」がユニークなのは、1927年から1957年のレースに参戦していたマシンのみを使用できるということ。つまり参加できるのはごく一部の超富裕層のカーマニアだけというレースイベントだ。

 また、ブレシアとローマを結ぶイタリアの田舎道を名車が走る抜ける姿は、あまりにもロマンティックなため「世界一美しい自動車レース」と称される。

 しかも、上流社会の社交の場というだけでなく、レースも本気で盛り上がるというから面白い。なにせ参加ドライバーが豪華なのだ。世界各国の名士に交じって、何とF1黎明期に活躍し、初期「ミッレ ミリア」の1955年大会に優勝したスターリング・モス(1929-)やル・マン24時間耐久レースで6回の優勝を数えるジャッキー・イクス(1945-)も参戦しており、本気で優勝を狙っている。

 速度制限やタイム設定(決められた時間通りに、交通法規に合わせて走る)があるため、クラシックカーを労(いた)わりながら、丁寧かつスムーズに走らなくてはいけないので、ドライビングテクニックが物を言う。そのため超熟練の名ドライバーにも、十分勝機はあるそうだ。

 このレースをサポートしているのが、スイスの時計メーカー「ショパール」。1860年に創業した老舗で、1963年に宝飾メーカーを経営するショイフレ家が経営権を取得してからは、時計のマニュファクチュールブランドという顔と、宝飾ブランドという顔の両面を持つようになった。「ミッレ ミリア」とのつながりは1988年からで、オフィシャルタイムキーパーを務める一方で、レース参加者にスペシャルモデルを提供している。このモデルは特別なクラスに属している証明であり、レース&カーマニアにとっては最強のステイタスアイテムとなっている(雅楽師の東儀秀樹氏も所有とのこと)。

 もちろん一般ユーザーも購入できるモデルは存在する。しかし限定生産のため、こちらもコレクターズアイテム化していて入手は困難。これも参加自体が容易ではないクラシックカーレース「ミッレ ミリア」に似ている。

"モータースポーツ界随一のエクスクルーシブウォッチ"は、世界屈指の趣味人のためにある。しかし、この時計を着けることで、モータースポーツ界のレジェンドたちと同じ世界を、少しだけ味わうことができるのだ。

篠田哲生●文 text by Shinoda Tetsuo